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〜ブラジルの宗教事情〜
仏教事情について
 ブラジルを知る第二弾。前回はほんの少し歴史に触れ、宗教事情もポルトガル人によりもたらされたカソリック系の生活習慣がそのまま国内の事情となっていると紹介した。そこで、今回は各国の移民政策に伴い、日本移民の歴史を紹介しながら、ブラジルの仏教事情について話を進めてみることにする。

 1908年皇国植民会社の水野龍により、サンパウロ州政府との間で導入契約が結ばれた。第1回移民165家族781人は「笠戸丸」に乗船し、神戸港より出航。約50日間かけてサントス港に入港。これが日本人移民の最初である。移民の人たちは沖縄県民、鹿児島県民が最も多く。福島、熊本、広島がこれにつぐ。次いで1910年第2回。そして1912年、1913年と続いた。1917年国策としての移住を促進するため、政府の指導によって移民会社を糾合し、海外興業株式会社が設立され、以後第二次世界大戦が勃発するまで約2500人が渡航した。

 終戦後、再開されたもののブラジル政府の移民制限政策により激減し、1962年で移民政策の幕は閉じた。

 こうしてブラジルは各国の移民者により建国した。現在ではその移民の子孫が国政を担っている。当然のことながらそれぞれの民族がそれぞれの文化を継承している。日本文化の根本をなす仏教が日系社会の人たちによって受け継がれ守られてきたのは言うまでもないことである

 日本人移民は、慣れない土地での過酷な環境や、厳しい政治状況の中でも、移民としての定着率が圧倒的な高率を示した。実は、ここに民族性をうかがい知ることができる。古くからアジア民族は仏教や儒教の教えを生活の基盤とし、心の拠り処としてきた。春に種を蒔き、秋に収穫する。そして蓄えるというように、基本的な生きようを伝えながら、さらに自然との闘いの中で、人間の無力さや現実の厳しさに対応できる心の持ち方を仏さまの教えにならった営みをしてきたのである。日本人移民がブラジル社会で認められる要因になっていることは言うまでもないであろう。現在、日系人は130万人の人口となっている(世界最大の日系社会)。

 現在のブラジルでは、多種多様な宗教が移民文化と共に認められ、仏教も日系社会に根をおろしているのである。現在三世四世あるいは先住者にとって五世六世の時代に入っているが、仏教系の各宗派は開教使を派遣し、カソリックの国であるにもかかわらず仏教の教えをひろめるための殿堂が各地に建てられている。このようにブラジルという国は全てに寛容であり、伝道者を快く受け入れる国でもある。

 次回はブラジルの浄土真宗本願寺派の事情について紹介してみる。
                                              本持 信慈



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