ブラジルを知るI 〜 日系人の中の日本語 〜 |
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ハワイや北米と比べ日本語が通じると言われているブラジル日系人社会ですが、これにはやはり条件として比較的という条件がつくと言えると思います。 確かに日本の高度成長期まで南米移民があった事を思えば、日本語が他の地域に比べ通じる事は間違いないのですが、だからと言って明治期に渡った移民の影響が無いわけではありません。つまり、ブラジルに渡って永くなる日系人の中には、その後の状況によってかなりの差があり、日本語が殆ど通じない日系人も居ると言う事なのです。 ブラジルの場合、世代によって日本語が通じる、もしくは通じないと、一概に分ける事は出来ません。地方によっては四世に至るまで日本語を流暢に話す人も居れば、日本で生まれたのにもかかわらず、殆ど日本語を話せない人も居ます。これはやはりブラジルへの移民事情が大きく影響しているのでしょう。 日本語を話せないのは偏に必要性が無いからで、日本語を話す三世、四世はその必要性があったと言う事なのでしょう。必要性は外部の影響によって左右されますから、外部の環境が日本語を存続させているかそうでないかの決め手になっていると言えます。 私も最初びっくりしたのですが、三世の方で、現地で育ったにもかかわらず、十五歳になるまで現地語を殆ど知らず、以後街に出てきて皆がそうで無い事に気付きびっくりしたと言う話を聞きました。その人の出身の町はもともと日系人入植地で日系人が多いのですが、何代にも渡って日本語が存続し、今でも街中では日本語が話されていると言う話を聞きました。その町では日系人以外でも日本語を覚える必要性があるので、非日系でも日本語を割と知っているそうです。 そういった町の日系人家庭では、徹底して日本語が使われ、我々から見ると「此処は日本じゃないから、そこまで…」と言う感じも受けないではないのですが、今他の町では大分少なくなってきた日本語学校も運営されておりました。 ブラジルは移民国家で、深刻な経済危機や軍政も経験してきた国ですから、そこに暮らす人々には、依ってたつ何かが必要だったのでしょう。それは頻繁に変わる法律や政策、正義ではなく、自らのアイデンティティーだったのかも知れません。それが日系人の場合、日本人の証である日本語だったのでしょう。それが、ブラジル日系人の中で日本語が永く存続し得る一因と言えるのかも知れません。 |
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寺田 崇裕 |
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