仏教ちょっと教えて 




 008  家を建てる。地鎮祭?起工式?

  今度、家を建てることになったのですが、大工さんから「地鎮祭をやってください」と言われました。私は仏教徒なので地鎮祭というのはちょっとひっかかるものがあります。こういう場合、仏教ではどうしたら良いのでしょうか。


   お寺に連絡して仏教式の起工式をしましょう。

   なぜならば一般的に、家などを建てる際に、地鎮祭といってお塩やお酒でその土地を清め、宮司さんにお祓いをしてもらう方が多いのではないでしょうか。地鎮祭といえば、建築にとりかかる前に土地の神さまを鎮めるためのお祭りの儀式です。

   言いかえれば、その土地に神さまが住んでいて、家を建てるとその神さまが怒り出してしまうと困るから、丁重にお奉りをして怒り出さないようにする。そうすれば事故も起こらずに無事建築を終わらせることができるというものです。つまり私ではなくて、「そこにいる目に見えない何者かが、家を建てることによって怒りだし、それが災いとなって家族や大工さんなどに降りかかって、事故でも起こしたら大変だ」ということでしょう。しかし、そこには、私を含めて建築に携わる当事者自らの行為を問題にしないで、事故がまだ起きてもいないのに、事故が起きた場合の責任は神さまにあるのだと責任転嫁しているわけでもあります。

   地鎮祭にあたるものを仏教では起工式といいます。しかし、その内容とするものは、さまざまなおかげによって建築の運びとなったご縁をよろこび、これを仏さまに感謝するとともに、自ら責任をもって工事に取り組もうと身をただし、仏前に誓う儀式であります。

   つまり、そこにいる何ものかという二人称三人称を問題視するのでなく、一人称の私自身のありようを確認する儀式であって、その意味で「地を鎮める祭」をしないのです。そこにいる何者かではなく、私が気をつけなければならないのです。

   たしかに、工事や建築に携わる時には大なり小なりの事故はつきものです。けれども「ここは地鎮祭を済ませたから、もう大丈夫だ」といってしまうと、かえって注意を怠ってしまうものです。

   阿弥陀如来のお慈悲は、つい注意を怠り自分を見失いがちな私たちに対して、目覚めを促してくださいます。そのお慈悲を仰ぐとき、「もう大丈夫」ではなく、建築に携わる一人一人が「よりいっそう気をつけなくてはならないなあ」と気づかされるのではないでしょうか。

      古市 道仁


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