仏教ちょっと教えて 




013 いじめで辞めたいOL

 
Q:私は二十歳になるOLです。最近、職場である女性からいじめられるようになったのです。まわりの人たちはあまり気にしていません。私は生来あまり気の強い方ではありません。彼女のひどいしうちや激しい言葉づかいに返すことばもなく、ただ黙っているだけです。毎日、私のプライドが傷つけられているようで、なんだか最近は会社をやめたいという心境になっています。


 A:「われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ。略。あいともに賢く愚かなること、みみがねの端なきがごとし。」
             聖徳太子『憲法十七条』第十条

 あなたは、ご自分でおっしゃるとおり、気の強い方ではないのでしょうね。だから、自分の方から、会社をやめようという心境になっているのでしょう。文面からは詳しいことは分かりませんが、会社をどうしてもやめたくないという気持ちよりも、やめてしまってもかまわないという気持ちのようですね。

 いじめは、百人いれば百通りの原因と間接的な状況があり、一概に論じられません。一人で悩むのではなく、まず、会社において相談相手を捜し適切なアドバイスを得る努力も必要です。しかし、それは人間と人間の関係であることは間違いありません。ここでは人間の関係としてお答えします。

 人間は自分の思いを通したいという根源的な欲求をもっています。その思いのもとを自我といい、その思いがしがみつく姿を我執といいます。人間は自分を意識する以前からこうした自我が生まれ、自我の要求を追求しようとします。ですから、それは気づく以前から私と一緒の感情であり、その自我の感情によって人間の意識は左右されています。

 ところが仏教では、この自我こそが迷いであり、この迷いの心が自分を苦しめ、そのことによって周りの人々をも苦しませていくのだと教えてくれます。

 相手がいる以上、相手を無視してすべて自分の都合の思い通りになるということはありませんね。つまりそこには自分の思い通りにならないという問題が生じます。あなたの思いは、決して隣の人の思いとまったく同じというわけではありません。自分の思いと相手が合うときは、あの人はいい人だといえます。しかし、私の思いと相手が合わないときは、あんな人とは思わなかったと、私達はたいてい自分の思いの都合の上から考えます。

 あなたの職場の女性が、何がきっかけであなたにとって「ひどいしうちや激しい言葉づかい」と思われることをするようになったのかは分かりませんが、その女性にも自分の思い通りにしたいという強い欲求を内側にもっていることが知られます。その人に、お互いが対等であることを気づいてもらうために、まともにそのしうちや言葉に応えず、拒否する、抵抗する、無視することなどの行動も必要でしょう。

 ところで、仏教者であり、詩人でもある相田みつをさんの詩に、「せともの」という題の感銘深い一篇があります。

「せともの」 相田みつを

せとものと
せとものと
ぶつかりっこするとこわれてしまう
どちらか やわらかければ だいじょうぶ
やわらかい こころを 持ちましょう

 本当の柔らかい心とは何でしょうか。「私は、柔らかい心なのに、あなたが瀬戸物」と思う心が、瀬戸物の心ですね。「私が、瀬戸物だった」と気づかせてもらう心が、本当に柔らかい心です。 

 人間の生活する環境の中でも職場は、生産効率が重視され、合理的であることが何よりも優先されるところであり、極めて非人間的なあり方が要求されるところです。しかし、その場を憩いの場であり、安らぎの場であると同時に、人間が人間として育てられていく場にすることはできないでしょうか。

 しかし、あなたに立派な人間になることを要求しているのではありません。むしろ、愚かな私を見せて頂く、気づかせて頂く場の一つとして職場を受け止め、人間が人間になる場にしたいと思うのです。

 人間がぶつかった限り、私は瀬戸物だったのです。しかも、気づかせてもらうのは、私の力ではできません。相手の瀬戸物のおかげで、自分の瀬戸物に気づかせてもらえたのです。
 「あなたが、いなければ私の姿に気づくことすらできませんでした」と受けとめられたところに、本当にいのちが深まっていき、人間の関係が深く育てられていくのです。

 外に表れなくとも人は皆その内側にかたくなな心をもっています。その証拠として、あなたのプライドがそこに間違いなくあるということです。

 いつでも、つらいことがあれば、お寺にお参りにいらっしゃい。そして、如来様の前で、静かに手を合わせて、悲しいこと、つらいこと、いやなこと、悔しいことを深くみつめてご覧なさい。かならず、かならず、本当のやわらかい心が見えてくるでしょう、そして、良く自分が見えてくるでしょう。
 
 「私も、瀬戸物でありました。」と気づかせてもらうのが、本当の柔らかい心だと、この私も受けとめていきたいと心の底から願うものであります。

  しかし、あなたに立派な人間になることを要求しているのではありません。むしろ、愚かな私を見せて頂く、気づかせて頂く場の一つとして職場を受け止め、人間が人間になる場にしたいと思うのです。


                  本多 静芳
        (『法話情報大事典』雄山閣より転載)


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