A: 〈喪〉とは一般に、人の死後に親族が家族の死を悼んで、特定の期間行いを慎み、華美を避けて謹慎することを言います。過去においては、貴族・武家の社会では宗教的な意味合いから制度として法律化されていました。
現在では宗教性は薄れてきています。それでも、世代や地域によっても異なりますが、派手なことを避け、結婚式の出席や神社の参拝、年始参りも控える場合もあるようです。 明治の初期には太政官令で服忌令が出されています。これは江戸時代の武家の制度にならったもので、父母・夫13ヵ月、妻90日等、嗣子、非嗣子等々、喪に服する期間は事細かに定められていていました。また、喪は人の死に関してだけではなく、出産に関しても定められていました。
現在一般に思われているところの〈喪〉とはだいぶ様子が違うものです。
ちなみに喪服の色は元来は白でしたが、明治政府の欧化政策で西欧の風習が取り入れられたため黒い服となりました。
〈喪〉には二つの考え方が見られます。一つには、人の死を悼んで遺族が謹慎する期間という〈礼〉としての面。もう一つは神道的なケガレの思想に基づいた、自分の身についた穢れを他に移さないための〈忌(物忌)〉という面です。
では、現在ではどうでしょうか?都市部では人の移動が早くて頻繁なために、親戚とも地域とも次第に関係が薄れて、〈喪に服する〉という意識も意味も希薄になってきているようですが、地域によってはいまだ色濃く残っているところもあるようです。
ご質問は〈物忌〉としてではなく世間的な〈礼〉としてのものだと思われますが、母方のお祖父さんという場合では、年賀欠礼をしない地域の方が多いのではないでしょうか。 仏教においては死は生の要素であって、生と死は分けて考えられるものではありません。また、葬儀も亡くなった人を送るものであると同時に、私を浄土に導く先達としてお迎えする儀式として行われます。
仮りに喪に服さないとしても、大切な人を亡くした時などに、お祝いなどはれやかな場に出る気がせず、亡き人を偲びたい、と感じるのは自然な感情であると思います。そうした意味からは、すでに〈喪〉という形式(慣習)があるのですから、その中で自分のありようを見つめることも意義あることと思われます。
その一方で、喪に服するという考え方は、ともすれば死を〈穢れ〉として捉えるという、仏教の立場からはほど遠い考え方につながります。この点にご留意下さい。
(三春 和順)
|
|