仏教ちょっと教えて 




022 「お布施の額」について
 Q:  「法事をしたいのですが、ご住職にお布施の額を尋ねても答えてくれません。どのくらいの金額にしたらよろしいのでしょうか」

 A:
 今年1月26日以降各新聞に全日本仏教会が、「戒名料」という言葉をなくし「布施」に統一するとの報告書を発表したとの報道がありました。そのせいか、お布施に関する質問をよくいただきます。また、それに合わせて“明朗会計化”と称して葬式のお布施を一律料金とするお寺の紹介などもあり、このような質問になったのではないかと思われます。

  布施というのは、お釈迦さまの時代からも、仏教徒としてなすべき実践行の、重要な徳目の一つとされてきました。

 具体的には、仏教の教えや慈悲のこころを人々に伝える布施行を「法施」といい、おもに僧侶がその役割をになってきました。また、教えを受ける側の人々は、仏教を生活のよりどころとするために、「財施」といって、お金や物、人的支援など、できる範囲の物理的な奉仕を行い、仏教教団を護持してきました。

 このように、多くの人々の法施、財施の実践によって、仏さまの教えは受け伝えられてきました。

 ですから、ご住職が法事のお布施の金額をいくらですと言わないのは、そもそも、布施は、何分の読経でいくらの料金だとか、何文字の戒名でいくらの値段とかの、代価として支払う性質のものではないからです。

 あくまでも、私たち自身が仏教の教えやおこころを聞き、また一人でも多くの人に伝わるよう、仏法護持のためと仏法興隆の願いをもって、実行するこころざしが、布施であります。

 ご住職に金額を言ってもらい納めるものでなく、ご自身の判断でお決めになり、すすんで誠意をこめてお寺に納めるものです。

 ですから、「読経料」、「法名料」、「戒名料」(浄土真宗では戒名といわずに法名といいます)という言葉も布施の考え方からは誤りなのです。

 全日本仏教会の決定も、一部の僧侶が対価主義に堕してしまっているの反省から、本来の布施のこころに帰る動きであるのです。

                     早島 大英


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