仏教ちょっと教えて 




026 兄弟が別々に法事を勤める
 Q:  遺産相続等の問題で兄弟の仲がこじれてしまい、年忌を別々に勤めることになってしまいました。故人が浮かばれないのではないかと心配です。

 A:
 現在の法律の基本的な立場は、家というものを認めず個人を尊重しています。したがって、極端なことを言えば兄弟がそれぞれ個人の意志で親の法事を勤めるのは当然のこととも言えます。しかし、社会通念としては、現在でも、先祖の法事は家の行事であるとの認識が一般的です。別々に法事をするということは好ましいこととはされません。身内としては、社会的な体面も気になるところであり簡単に割り切ることはできません。

  しかし、肉親であるが故に、こじれた時の修復はなかなか困難であると思われますので、親の法事であるからといって無理やり一緒に勤めても、それでますます気持ちが離れてしまうという可能性もあります。火に油を注ぐような結果になったのでは、むしろ亡くなられた方に申し訳がたちません。

  ですから、たとえ別々であったとしても、兄弟それぞれが法事をしたいという気持ちがあることを尊重し評価すべきだと思います。それぞれ法事を勤めて、仏さまの願いを聞く場を持つことが大切なことであります。

  お寺では、ひとりの方の法事を別々にすることは、特にめづらしいことではありません。私の寺でも、「実家では法事を勤めているのですが、遠方のため帰省できないので、国のお寺から紹介されてきました」と言って家族で法事を勤められる方が時々おられます。ですから、兄弟の中がこじれて別々に勤めることになったとしても、今回のご法事は、たまたま、こころの距離が遠くなってしまっているので別々に勤めるのだと考えればよろしいことだと思います。時が違っても、仏事を縁として同じ仏さまを礼拝しているのです。いつの日か、必ずや兄弟一緒にお勤めできることでありましょう。希望を持つべきであります。

  また、別々に法事を勤めることによって、亡きひとが浮かばれないのではないかとの心配をするひとがありますが、それは、心配することではありません。阿弥陀さまにおまかせすればよいことです。亡きひとのことは心配はないのです。むしろ、残された者の迷いが、亡きひとを迷い者に仕立て上げてしまうとしたら、その方がずっと重大な問題です。亡きひとが迷うのではないかと心配するよりも、亡きひとが一番みなさんのことを心配していてくださることを忘れてはならないと思います。


                     小林 泰善


 戻る

  POSTEIOSホームページ目次へ戻る