仏教ちょっと教えて 




028 ご本山の2つのお堂
 Q: ご本山にはなぜ2つのお堂があるのでしょうか

 A:  本願寺の2つのお堂
 本願寺には、2つのお堂が、あります。北側にありますのが、いわゆる本堂と呼ばれる阿弥陀さまを安置されているお堂で阿弥陀堂と呼ばれております。そして,南側にありますのが、ご開山聖人の御木像(ご真影)を安置されているお堂で御影堂と申します。現在は、平成大修復工事中で、ご真影は、阿弥陀堂にご動座されました。現在は、阿弥陀堂には、ご真影、阿弥陀さまがおられ、総御堂と呼んでいます。
 この2つのお堂は、共に国の重要文化財に指定されています。また、ユネスコの世界文化遺産にも登録されました。このように国の宝物といえるお堂ですが、どなたでもいつでもお堂の中に入って参拝することができます。

開門時間
 本願寺の開門時間は、春秋は、午前5時30分から午後5時30分まで(3,4,9,10月)。夏は、午前5時30分から午後6時まで(5,6,7,8月)。冬は午前6時から午後5時まで(1,2,11,12月)です。ただし、ご真影のお扉が、開いているのは、開門からおゆうじ(午後4時)までです。この形式になったのは、昭和23年からで以前は、定刻開扉と依願開扉とあったそうで、毎日おあさじ、午前10時、正午、午後2時、おゆうじと時刻をさだめての開扉と、参拝の方々の願い出のたびに行われた依願開扉とありました。依願開扉は、明治31年より取りやめとなり定刻開扉のみとなっていました。
 今は、いつでも礼拝できるのでよりご真影を身近に感じられるようになりました。

本願寺の歴史
 もともと本願寺は、親鸞聖人のご遺骨を安置する廟堂から出発いたしました。第三代覚如上人のころ本願寺と名のり、寺院化してゆきました。第七代存如上人の頃になって、御影堂と阿弥陀堂が並び立つ両堂様式になりました。この当時の御影堂が五間四面、阿弥陀堂は三間四面の小堂であったと『実悟記』などに記されてあります。
 大谷の廟堂は、最初は、堂内に聖人の墓標が安置されていたが、やがてそれに代わって聖人のお木像(御真影)が安置されるようになりました。その建物は六角形の小堂でした。
 六角堂とか八角堂は、一般には遺骨等を安置する廟堂の形式のものでした。しかしその中に安置されていた墓標から聖人のお木像にかわるにつれてそのお堂の性格が、廟堂から次第に、聖人のご住居であるという性格が強くなってきました。覚如上人の時、六角堂が、戦火に焼かれた後、再建された建物は、普通の寺院建築であったようです。その中心は、ご真影でご本尊として十字名号が、安置されていたようです。『実悟記』によれば本願寺は、開山聖人のご座所であると規定されていました。したがってその頃は、本願寺全体が、親鸞聖人のご住居とみなされていたと考えられます。両堂と分かれても御影堂は聖人のご座所であり、阿弥陀堂は、浄土の世界を儀礼的にあらわしたものといえるでしょう。

ご影堂
 ここで現在の御影堂の内陣をご説明いたしましょう。骨肉のご影とよばれる親鸞聖人のご真影が、中央に安置されています。そして両脇には聖人の法灯をうけついでこられた次第相承の善知識、すなわち宗主(歴代の御門主さま)の影像が安置され、北余間(向かって右)には、十字名号が、南余間(向かって左)には、九字名号が、安置されています。仏教のなかで祖師の像を安置する祖堂が寺院の諸堂のなかで最も大きいのが、鎌倉仏教の特色です。本願寺は、聖人の廟堂から出発した歴史と聖人の信仰を基軸とした教学と信仰によって成立していること、また聖人のご子孫を宗主として教団の中心として推戴の性格からいって、ご影堂は儀礼的にも教団論的にも重大な意味があります。

阿弥陀堂
 次に阿弥陀堂です。阿弥陀堂は、本願寺の本堂です。本尊として阿弥陀仏像が安置されています。この阿弥陀さまは、木像で、その像相は、両足をそろえて立つ等足立像の如来です。一般には、施無畏印(右手または左手の五指を伸ばし、手のひらを外に向けて肩の高さにあげる印。仏が衆生に施無畏の徳を与えることを象徴する)、与願印(右手または左手の五指を伸ばし、手のひらを外に向けて下に垂らす印。仏が衆生の願いを実現してくれることを象徴する)と呼ばれる印相をとられています。その印相は摂取不捨の名乗りをあらわしているとみるべきでしょう。
 その両脇には真宗伝統の祖師である龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都という六高僧の真影が、三人ずつ左右に分けて安置されています。
北余間には、聖人ご自身を真宗に導いてくださった聖徳太子の絵象で、太子十六歳のおすがたです。
 南余間には、面授の師である法然上人の絵像が、安置されています。聖人は、聖徳太子を観音菩薩の化身と仰ぎ、法然上人を勢至菩薩の化身であると信じておられていました。太子を本尊の左に上人を右に安置したのは、観音菩薩と大勢至菩薩の位置に準じているのであろうと思われます。
 聖人は29歳のとき六角堂において受けた聖徳太子(観音)の夢告にみちびかれて、法然上人(勢至)と遇い、選択本願の救主阿弥陀仏を信ずる身となられたわけです。それは、あたかも観音の導きによって勢至に遇い、勢至の教示によって阿弥陀仏に遇うことができたというべきです。その念仏の信心を龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都といった六高僧の伝統が支えているのです。聖人の信心にしたがって浄土をあらわし、阿弥陀仏の救いの世界をあらわしているのが阿弥陀堂です。
 駆け足で、御影堂と阿弥陀堂をご案内いたしました。ご本山を参拝される時のご参考になれば幸いです。

                        麻布 真海


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