仏教ちょっと教えて 




029 仏教は何を拝むのですか


 Q: 「NHK教育の『世紀を超える大修復』見ました。そこで、常に思っていた疑問をあらためて感じました。『仏教は、ブッダを拝むのか、親鸞(等の、宗派を興した人)を拝むのか、それとも、教えそのものを受け取るのか』というものです。
  私のように、宗教(殊にキリスト教や新興宗教にうさん臭さを感じ)に入り込めない人間にとっての最大の疑問は、『者』や『物』を拝むのか『心』を拝むのかということです。
 この疑問は、天皇制とのかかわりをもって、私の心に沈殿しています。かつての戦争時に日本の仏教界がこぞって戦争協力者となった背景に、『物』や『者』によって思想行動を制御する側面があったように思われるからです」と。



 A: ある方からこのような質問を受けたのですが、あまりにも、本質的なところに質問の矢を向けられたので驚いております。
 私の連れ合いに、「どう答える」と聞いたら、
 「仏性を拝む。あなたならどう答えるの?」
 「真宗の仏教では、何か実体的な対象を私が拝むというのではないね、アミダさんが私を拝んでくれているんだね」
 「ああそうね、そうだったわね」
という会話をしました。

 福井県のある地方では、今でも阿弥陀如来という言葉はあまり使われないそうです。彼らはこういうそうです。「はたらきさま」と。私にはたらきかけているもの、それがアミダさんだ。私が忘れていようが、唾をかけようが、どうしようが、私に向かって、気づかせよう、目覚めさせよう、知らせようとはたらくものを浄土仏教では阿弥陀如来と暫定的に呼ぶようになったのです。
 そういう意味でいえば、浄土という目覚めた世界、人びとに向けて願いをかけた世界が出来上がったのも、凡夫を目覚めさせようというはたらきによって建立されたというのがその経緯です。
 無論、死後の世界とか、死んでから行くところという意味は、そういう具体的なはたらきかけを実感しない人びとがそれらの言葉を聞いて、しかも、話合いに加わらねばならない事情があったので、阿弥陀や浄土をこの私の生きるということと切り離した実体的な存在として語り始めたからでしょう。

 さて、仏教は何に向かって拝むのか。

 歴史を遡って、釈尊の仏教の時点でいえば、本来的には法(ダルマ)でしょう。
 さて、ダルマとはなにか。
 ある人は、「ゴータマをしてブッダ(目覚めたもの)たらしめたのは、ダルマである」といいました。仏教徒が拝むものは、私を目覚めさせる法、すなわち「はたらき」です。
 しかし、それが実感できないとき、それは知識として学ぶしかない訳です。すると、それは実体的なものになっていきます。ブッダの像を拝むとか、宗祖の像を拝むとか。はたらきを受け止めるのでなく、対象的な実体として拝むことになってしまいます。
 それでも、そうした行為の背景に教学として、拝んでいる対象は単なる偶像ではなく、凡夫を目覚めさせようとする「はたらき」そのものである、ということがハッキリしていれば、キンキラの仏像を拝んでいたって、可能性としては、私を拝んでいてくれる法のはたらきが明らかにわが身にうなずけてきます。

 しかし、日本の社会の中で、そうした仏教のはたらきを尊ぶ集団、すなわち僧(僧伽 ・サンガ)というものが成立するのに二つの形態があったようです。
 一つは、今言ったような私を目覚めさせるはたらきに出会えたもの同士の連帯をどこまでも呼びかける集団。
 もう一つは、それを実体的に捉える意識を下地として形成される集団です。
 真宗仏教のひとつの悲劇は、前者の集団が、後者の形成過程を持ったということです。もちろん、現教団の教学はそのことに自覚的ではないですから、それがむしろ教団外のこの問題に意識をお持ちの方に露呈されるのです。
 親鸞聖人を像にして拝み始めたところから、問題は始まっています。それは、はたらきを実感していない人に対して、不親切な態度であったということです。もちろん、その像を通して、自身の中にある実体的・固定的にものごとを捉えようとする私がいるということに気づかれる方もおられるでしょうが、多くの人には、実体的・固定的にものごとを捉えることを助長してしまうことでしょう。そして、それはまさに天皇制を借りたものだった訳です。
 一度始まったものは、もう元には戻りません。そうした意識を抱えながら存続していくのです。
 無論、内部にその問題点を指摘していく運動はいつの時代にも生まれています。
 現在では、それは基幹運動と言う形で存続しています。(戦時教学を批判的に扱えなかった本願寺教学の陥穽についての論究もしています。)それは、平和と平等の具体的な運動を展開しています。差別法名のこと、環境問題のこと、原発のこと、靖国問題のこと、人権のことなどなど。
 もともと、真宗仏教は親鸞聖人においては被差別を含む人間の解放という形で産声を上げています。貴いものを権威づけるのに、卑しいものを形成しておく必要がある権力にとって、民衆の意識と生活の解放運動そのものである「念仏を称えること」や、さらにそのように「いのちの平等」を呼びかけるはたらきとしての阿弥陀仏の教えなど不快きわまりないものであることは当然のことです。天皇制がこういうところから問われるのは当然のことですね。


 阿弥陀仏(他力)の教えを選んだ訳

 仏教の歴史、それは私の言い方でいえば、人間の歴史です。生物学でかつて、個体発生は系統発生を繰り返すといいましたが、それです。
 まず、私というものが仏(目覚めたもの)を拝みました。しかし、仏を裏切るのは、いつもこちら側です。
 せっかく、五戒を守れよと教えてくれているのに、
 「生き物を殺さないでいられないよ。酒だって、少しくらい飲んだ方が体にいいんだ。お釈迦さんは分かっていない。」
と仏を拒否するのです。仏教の流れには、このように教えに背く煩悩を抱える人間と教えとの構図が常にあります。
 聖道といわれる仏教は、方法論としては素晴らしいのですが、いざ自分が出来るかとなると不可能です。
 私の方から仏を拒否している。そういう私に向かって、私が頼みもしないのに、向こうからはたらきかけてくれるものがない限り、人間が人間を回復することは出来なかったという人間の発見が浄土教の歴史です。
 その向こうからの呼びかけを本願といいます。
 具体的には、南無阿弥陀仏という道理の言葉になります。
 「気づけよ、目覚めよ、そして、思い上がっている身の程を知れよ」
 これが仏から私に向かって拝んでくれている内容です。
 仏教といいますが、そこには系統発生を繰り返す個体としての一人の人間の歴史があります。
 大乗仏教といいますが、それはこうした人間の歴史でもあります。
 比叡山の千日回峰行をされた方も、自分を超え、しかも、自分そのものを通して呼びかけてくれ、拝んでくれているはたらきに出会ったような言葉を語られます。これも同じ大乗仏教であるゆえでしょう。

 何かを拝むというとき、自己を離れた観念的で実体的な何かを向こうにおいている限り、それは仏教ではないでしょう。常に、この私を通して明らかになっていくことが、仏教という営みです。
 たとえ、名も無き、田舎のおばあちゃんであろうとも、救われている姿とはそのような背景があります。

 さて、有名な逸話ですが、昭和の15年戦争の間、被差別部落の解放を訴え、戦争は国家の誤った政策をもとにした殺人行為であることを訴え続け、何回か投獄された植木徹乗住職(等さんの父)は、少年等さんを本堂に呼んでいったそうです。阿弥陀如来の仏像をものさしで叩きながら、「等、よく見ろよ、これは木で出来たものなんだ、こんなものを拝んでいい目にあえるなんて思うなよ。こんなものを拝んでも、本当に拝んだことにならないんだ。アミダさんはな、私に向かってはたらいてくれている仏さんなんだぞ。ただし、門徒の人には内緒だぞ」無論、最後の一言は植木等さんの得意の冗句です。

 あんなに大きな御影堂を作った時に、すでに実体化・固定化していく素地は完璧に出来上がっていたといえます。活き活きとした、如来のはたらきかけから乖離していく素地が出来上がるのです。
 しかし、人間が気づきに至るのは、道理にそれている煩悩だらけの自分であったなあという具体的な姿に出会って始めて可能なのです。

 ある門徒のお年寄りで森ヒナさんという方がいました。
 鈴木大拙(この人は、説明不要だと思いますが禅仏教だけでなく、真宗仏教にも造詣が深く、『教行信証』の英訳をしているのです)博士が、北陸のこのお婆ちゃんに是非会いたいといって出会いが成立しました。(鈴木大拙『妙好人』法藏館参照)
 そして、ヒナさんは、『わが機、ながめりや、あいそもつきる、わがみながらも、いやになる。ああ、はづかしや、なむあみだぶつ』『いやになるやうな、ざまたれ、ばばに、ついてはなれぬ、おやござる。ああ、ありがたい、なむあみだぶつ』と、自分では文字が書けぬので、我が子に書いて貰っています。ヒナさんは、いやになるよな煩悩だらけのザマタレ婆であると歌っていますが、その歌を取り上げて、大拙師「わが身ながらもいやになると書いてあるが、これあんたの煩悩やろ。この煩悩、半分わしに分けてくれんか?」すると、ヒナさんは、「いや、あげられん」、「なんでや?あいそもつきるような煩悩なら分けてくれんか?」というと、「いや、 これは分けられん」、との押し問答の末、ヒナさんは「この煩悩あればこそ、この煩悩照らされて(如来さんというはたらきに)であえたんや」「そうやったな、儂もおばあちゃんの二倍も三倍も煩悩もっとるさかい、お互い、この煩悩大切に生きていこうな」といったそうです。
 ヒナさんは、こう言われています。
 「このウラみたいな愚かなもんの貰いもんも(つまり、煩悩を抱えるわが身)、親鸞さまの貰いもんも、お釈迦さんの貰いもんも、七高僧さまの貰いもんも、みんな同じ貰いもんや。」
 仏法に生かされるというのは、鈴木大拙と全く同じ、いのちの深まりを田舎の名も無きお婆ちゃんにも与えているということなんでしょうね。いや、ヒナさんと同じいのちの感動を大拙にも与えているのでしょう。

 ある新興宗教の勧誘の人が、やはり名も無き真宗門徒のお婆ちゃんのところに来て、「お婆ちゃん、不安ないか。わしら、その不安とってあげる教え広めているんや」
 すると「わしゃ、まだ死にとうない。この不安は私のいのちそのものや、この不安あればこそ、この不安照らされて生きていけるんや。」といったそうです。
 すると、その男の人、じっと眼をつぶって黙ってしまったそうです。
 「どうかしたか」とお婆ちゃんが尋ねると。
 「ばあちゃんのコベ(こうべ(額)のこと)に光さしとる。」といって帰っていかれたそうです。

 この話、私のとっても好きな話なんです。
 長くなりました。これからも私の話につきあってください。

本多 静芳  


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