A: 人生は思うようにならないものですね。貴女が愛情を一身に注いだ息子さんが、母親である貴女に対して冷たい態度をとっている。貴女が思いをかけただけ、相手も思いをかけていてくれれば申し分ないのですが。
しかし、冷たい態度とはどのようなものなのでしょうか。貴女は、「冷たく感じる」と言っていますが、相談の内容から、別居を求められるというような具体的なものではないようです。おそらく言葉の端々や態度のなかに、敏感に冷たさを感じておられるのではないでしょうか。気になりだしたら、そのような部分だけが目についてしまうということは人間よくあることです。
私たちは、同じ家に住んでいるとしても、皆がみな同じ考えを持っているということはありません。むしろ、ひとりひとりが自分の世界を持ちながらも、妥協しあって生活しているのが家族ということではないでしょうか。たとえば、お孫さんとの関係で考えますと、幼いころにはお婆さんのまわりをついてまわったが、段々と追いかけ間に合わなくなり、子どもたちは友達同志で遊ぶようになります。中学高校にもなると、会話一つとっても、話題がかみ合わないのが実際ではないでしょうか。世代が違うと関心事がまったく異なってしまいます。それを合わせろというのは無理な話です。そして、話が会わないからといってけっして仲が悪くなったということではないのです。最近の傾向でおとなを馬鹿にしたような口をききますが、こころの中ではお婆さんのことを大切に思っているのです。
そして、息子さんであっても同じことです。仕事のこと、子どものこと、妻のことなどいろいろと考えながら生活をしているのです。お嫁さんにしてもしかりです。それぞれの立場を尊重しながら生活をしていかないと、親子といえどもバラバラになってしまうのは世の常です。
貴女は、それほど心配する必要はないのではないでしょうか。家族の一挙手一投足を気にしているのは貴女の神経によくありません。むしろ、無視していられるようなことを考えなければいけません。趣味を持つこともひとつの方法だと思います。趣味といっても、ひとりではなかなかできませんので、地区の同好会に入ることも良いのではないでしょうか。俳句や地域史などの同好会は各地にあります。最近では、歳をとってからピアノに挑戦するひとも増えているそうです。また、趣味ではありませんが、体力が許せば病院や公共機関で募集しているボランティアをするのも良いのではないでしょうか。私にはできないなどとしり込みをすることはありません。新しいことに挑むということは、できなくて当然なのですから、気楽に参加することです。
それと、もう一つ大切なことですが、お寺の法座や婦人会などに是非参加するようにしてください。常に、法話を聞く機会を持つことは、現代社会のギスギスした人間関係の中にあって、こころのゆとりを回復する機会を持っているということです。
私たちは、ひとつ心配なことがありますと、そこにこだわってこころだけでなく態度までギスギスしがちであります。もし、貴女が、ギスギスしはじめたとしますと、回りは避けて通りたい心境になります。それを繰り返せば、態度も冷たく見えるようにもなります。少なくとも、貴女の方からは不和の原因をつくらないようにこころがけていくことが必要です。
法話は、仏法を通して、私のこころを照らしだしてくださいます。思うようにならない社会にあって、思うようにならないこころを持った人間同士が付き合うのですから、自分の思うようにうまく行かないのが当然といえば当然です。しかし、それでよしとしてしまったなら家族とは言えないでしょう。自分のこころを確認する意味でも、月に一度は法話を聞く時間を持ちましょう。
|
回答者:小林 泰善
(『法話情報大事典』雄山閣より転載) |
|