仏教ちょっと教えて 




038 真宗の葬儀と法要儀式


Q: 浄土真宗の葬儀・法要儀式のいわれと心得についてお教え下さい。


A:   はじめに

 私は二〇年程前、学部の学生だった頃、本山の勤式(法要・儀式を司る部門名)に長く勤めておられたある先生から、
 「昔は、寝棺でなく座棺だったのを知っているだろう。さて、亡き人はどちらを向いて座っていたか知っているか」
と尋ねられて、答えに窮した覚えがあります。先生は、
 「亡き人も私たちと同じように阿弥陀さまの方を向いて合掌しているのだ。もういのちは終わっているが、今生の最後の姿もまた、平生によろこんだ阿弥陀さまの御本願に手を合わす姿をとるのだよ」
と教えてくれました。

真宗における葬儀・仏事の意味

 もとより浄土真宗の葬儀は、「人生最後の大切な別離の儀式であるから、厳粛に執行すべき」ものであり、さらに法事も含めてその意義は、「故人に対する追善回向の仏事や、単なる告別の式ではなく、遺族・知友があいつどい、故人を追憶しながら、人生無常のことわりを聞法して、仏縁を深める報謝の仏事」であると本願寺派をはじめとする浄土真宗各派の書籍などに解説がみられます。
 また、「これを主宰する僧侶は、生死出ずべき道を自らに問い、威儀をととのえ、正規の勤式を実践して、衆目の範を示すべき」であり、その荘厳も「いたずらに華美に流れず、清楚簡略のうちにも荘重になすべき」とされています。
 そしてその儀式は、本願念仏に基づくものであり、「各地に行われている誤った風習や世俗の迷信にとらわれないように心がけねばならない」とも指摘されています。
 浄土真宗本願寺派では、今日行われている「葬儀の勤式は、第八代蓮如宗主の葬儀次第に準拠し、伝承されてきたものであり、他宗で言う、引導をわたすことではない」ものであるとされています。
 そして、「道俗ともに、念仏読誦して故人を偲び、これを縁として、仏恩報謝の懇念と、哀悼の意を表す儀式」と規定されています。
 「人生の終わりに臨んで、永年お育てにあずかったご本尊にたいするお礼の勤行である」と前掲書にも解説されています。こうしたことから、臨終に当たって共に阿弥陀如来さまに手を合わせて平生のお育てを感謝し、確かめる儀式であることが知られます。先に述べた勤式の先生のいわれる言葉も肯かれることでしょう。
 葬儀とそれに連綿と続く法事は、身近な人の死を機縁にして、平素は目を向けなかった生老病死するあるがままの自分のいのちの姿を見つめ、愚かな凡夫が本願念仏のはたらきによってこの度お浄土に往生させていただけることを実感や感動をもって受け止めるとても大切な機会です。
(この項目の「 」内は、法式調査研究委員会勤式指導所編集「浄土真宗本願寺派葬儀規範勤式集」本願寺出版より引用しました)

葬儀の標準的な荘厳の意味と式次第

 深い縁に結ばれた人との人生最後の厳粛な別離の儀式なので意義深く勤めます。ですから世間体を気にしながら形式的にしたり見栄にとらわれてむやみと華美にわたることがないことです。また、浄土真宗のみ教えにそって行い、そして亡き人を偲びつつ、浄土に往生させずにはおかぬ阿弥陀如来の大悲を仰ぎ、心からお念仏を称えることが重要です。
 なお、こうしたことから葬儀においては、浄土真宗らしい言い方があります。( )内の言い方は真宗らしくありませんので、用いておりません。
荘厳壇      (祭壇)
念ずる      (祈る)
哀悼の意を表する (冥福を祈る)
合掌・礼拝  (黙念)
法名   (戒名)
故人 (魂・魂魄・御霊)
私たちをお導き下さい
(安らかにお眠り下さい・おやすみください)
み仏の国に生まれる(幽明境を異にする)
浄土に往生する  (天国に昇天・永眠する)
お浄土・み仏の国 (草葉のかげ・あの世)

臨終から通夜まで

 臨終の時、遺族は気が転倒しがちなので、親戚や近隣の方などを通じて、お寺や自治会の世話役などへ知らせてもらいます。室内の整頓をし、遺体は清浄にし、白布で顔を覆います。着物の左前、守り刀、逆さ屏風などしません。遺体は、お仏壇の正面をさけ、北枕に安置します。部屋の都合で出来ない時はこだわる必要はありません。
 臨終の荘厳はお仏壇にお灯明をあげ阿弥陀さまに合掌礼拝をし、親しい人達を待ちます。葬儀社が進行する時は葬儀社に連絡します。
 葬儀進行は、遺族の手からはなれ、門徒のお仲間、自治会、知人、親戚などが主になるので、細かいことまで口を挟むのは慎みますが、真宗門徒のけじめはしっかりと通します。もし葬儀社に頼む場合は、宗旨と希望を充分に伝え、お念仏の教えを大切にして頂くように、よく打ち合わせしておくことが必要です。
 葬儀責任者は、遺族と相談しお寺へ急ぎ連絡し枕経をお願いし、お迎えに伺います。
 臨終勤行後、お寺と相談し葬儀の日時と場所を決め、その他の指示を受けます。生前に法名をお受けしている時は、その旨をお寺に申し出ます。通夜、葬儀の日時、場所など重要事項に関しては早く(特に日曜、祝日になる場合)お寺に連絡し相談します。場所は、自宅、お寺、集会所、葬儀場などがあります。
 友引は、六曜の一つで本来、勝負なしで友を引くという意味です。この日に葬式を出すと「友を誘い死に引く」というようにこじつけ、俗信としてこの日を忌み始めました。このような日の善し悪しにこだわり、とらわれることは真宗らしさをまったく失います。
 枕経は、お仏壇の前で勤めますので、お扉は開きます。部屋にお仏壇がない場合、ご本尊(阿弥陀如来のご絵像、南無阿弥陀仏の六字名号)をお掛けして礼拝できるようにします。お仏壇のご本尊をお遷しした場合はお扉を閉めます。真宗では勤行は遺体でなく、ご本尊に向かいお勤めします。
 お仏飯は仏飯器に盛ってご本尊にお供えます。故人の茶碗等に盛りません。花瓶には、しきみ・青木等の常緑の葉を挿します。お荘厳は華美にならないようにします。故人の両手を胸元で合掌させ念珠をかけます。守り刀等の刃物類は置きません。
 亡者として死出の旅に出るのでなく、浄土に往生し仏となられたのですから、遺体の枕元に、お茶・水・お膳や団子、箸を立てた一膳飯などは供えません。また、同様に納棺時に経帷子、三角布や手甲、脚絆を着せたり、六文銭、杖、草鞋などを持たせません。柩は七条袈裟、又は棺かけで覆います。
 通夜は遺体の枕元や荘厳壇に、蝋燭をつけ、お香をたき、本来、近親者だけが故人の遺体と一晩を過ごしたものです。現在では僧侶を招き、世の無常の教えを聴聞するようになり、近親者以外の人も出席するようになりました。通夜の席で勤行後、弔問客に飲食を供する習慣がありますが、精進料理、精進寿司、漬け物などにし、生ものは避けましょう。お食事の前には喪主が真宗者らしく弔問のお礼の挨拶をします。通夜には失礼にならぬよう、参拝者は服装を整えてお参りします。
 真宗では、仏門に入った名のりとして「釋○○」(宗派により異なる)と法名を頂きます。院号とは、寺院に居住した人にその院の名をつけたのが院号でした。今は篤信者や寺門護持につくした人に敬称として贈られます。
 御布施は、法施(読経や説法)に対して、財施(金品)のことです。本来、如来さまへ感謝の思いで供えるもので、読経等に対する報酬ではありません。表書は「御布施」と書き、御経料、読経料、志、寸志、御礼などとは書きません。

葬儀の荘厳(飾り)と進行

 葬儀では喪主と責任者をきめます。喪主が葬儀の代表者ですが、悲しみや看病疲れ、来客との応対など、葬儀の進行をすべて指図するほど余裕のないのが通常です。責任者は、喪主に代わって葬儀の進行をはかります。
 本来、葬儀の場合、所属寺住職の他に僧侶の出勤を依頼します。導師に唱和し、袈裟・衣のお世話、式場荘厳の準備などをします。
 永代経をあげる風習もあります。永代読経のことで、お寺が続いて末永くお経が読まれ、み教えを聞くことができ、仏法が子々孫々に伝わるようにとの思いで届けるのが永代経懇志です。それにちなんで、毎年開かれる法座が永代経法要です。
 葬儀の荘厳は、ご本尊が隠れないようにし、礼拝できるように御安置します。真宗ではどんな場合でも、ご本尊に向かって勤行・おつとめ・読経をするのが宗風です。
 葬儀式場の玄関脇等に盛塩・水桶・竹箒などは置きません。本来、弔電は会葬できない者が遺族に対してお悔やみを述べるものであり、弔問者に披露するものではありません。進行係が代わりに読み、仏前に奉呈いたします。
 出棺にあたっては、故人使用の茶碗を割ったり、柩の蓋を石で打ったり、柩を回す等のことは必要ありません。玄関から出るのが原則です。会葬者は合掌して見送ります。

年回法要

 亡くなった翌年から祥月命日に行う仏事を、年忌または年回法要といい、一般には次のようにお勤めします。
 一周忌(翌年)・三回忌(これから数え年)・七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十五回忌・二十七回忌・三十三回忌・三十七回忌・五十回忌(以後五十年毎)。
 葬儀も法要も、私がこの方の子供でよかった、親でよかった、連れ合い(等々)でよかったと在りし日のご縁を喜ぶ身に育てられる仏法に出会う場です。そして、亡き人は二度とない誰も代わって貰えない限りあるいのちを、身をもって今も教え目覚めさせてくださる大きなはたらき、すなわち浄土で仏となられた方であったと知らせて頂くのです。この私にとって大切な仏法に出会うご縁が、身近な人の死という厳しいけれども大切な「意図せざること」なのです。


参考文献
浄土真宗本願寺派 葬儀規範勤式集(本願寺出版部)
法式規範(本願寺出版部)
浄土真宗「必携」(本願寺出版社)
仏事のイロハ(本願寺出版社)
仏教葬祭大事典(雄山閣)
葬儀の心得(浄土真宗本願寺派東北教区若松組)

   

回答者:本多静芳


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