仏教ちょっと教えて 




039 神棚について


Q: 家を新築したら、親戚から仏壇だけで神棚が無いと指摘され、神棚を設置するように勧められています。どうしたら良いでしょうか?


A:   真宗は「弥陀一仏」の教えですから、ご本尊の阿弥陀如来以外を礼拝の対象とはしません。したがって、神さまのお館である神棚は必要ありません。

     ご親戚からの指摘は、何よりもご自身の信仰がどうあるべきかが問われているといえましょう。初詣に神社へ出かける多くの人々は、無病息災、商売繁盛、受験合格、縁結び、勝利祈願、御祓い、厄除けなどの願をかけますが、これほど自己中心的な欲望と深く結びついているものは無いでしょう。逆に真宗の教えは、欲望に溺れる自己に気づかせていただき、真実に目覚めさせていただく教えです。

     「かなわぬ時の神頼み」は、ごまかしの人生でしかないのです。「神頼み」をせずにはおれない気持ちはわかりますが、それは、わが「いのち」を本当に生きるということを、真正面から見据えている生き方ではないのです。困ったことがあるたびに、何かにすがるだけで、問題を本当に解決する道ではないのです。

     時々「門徒もの知らず」という言葉を耳にすることがありますが、この語源については「門徒、物忌知らず」だったといわれます。

     広辞苑によると「物忌」とは、「不吉として、ある物事を忌むこと。縁起をかつぐこと。」などと出ていますが、身近な例でいえば、友引の日に葬式を出してはいけないとこだわることなどです。

     鎌倉時代に生きられた親鸞聖人は、迷信・俗信に対して、なんと悲しむべきことであろうかと『悲嘆述懐讃(ひたんじゅっかいさん)』で嘆かれ、室町時代の蓮如上人はその『ご文章』に、「物忌といふことは、わが流には仏法についてものいまはぬといへることなり」と明記されています。そして、真宗門徒は日の吉凶などといった迷信・俗信にとらわれない生き方をしてきました。

     親戚の方からのお勧めは、善意からのものでありますので、ご自身の信仰上の立場から、丁重にお断りすることが好ましいと思います。そして、真宗のみ教えを共に喜ばせていただける機会になればありがたいものです。


参考文献
『門徒もの知り帳』法蔵館
『浄土真宗と親しくつき合う本』探求社
『私の浄土真宗』法蔵館



回答者:佐藤 徹 


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