A: 仏教において「蓮」は、「泥中の蓮華」と言われ、そこにひとつの意味を持たせるのです。
蓮は、決して美しい環境とは言えない泥の中に美しい華を咲かせ、私たちの心を和ませるのです。つまり、泥とは今私たちがいるこの世界を示し、華は「さとり」を表現しているのです。ただしこの「さとり」とは仏教の特殊な境地を指しているのではなく、私たちの日常的な生き方の中に「さとりのヒント」があるのです。
私たちは、様々なモノや環境や価値観に振り回されて生きています。私は先日盲腸で2週間の入院をしました。それまで「健康」はゆたかな人生を送る上での重要な条件にすぎないと考えていました。それが激痛と共に過ごした数日間は、「健康はありがたく必要不可欠なもの」であると考えるようになり、1週間も過ぎると、「健康は時間と共に回復するものである」と思うようになりました。
さらに退院日が近づくにつれ健康に対する執着が増えてきたのです。しかし、これらは私の中で完治する病気であり、期間限定の入院という前提に立った価値観だったのです。
私たちは、状況(自分の都合の基づいた状況)によってころころ変化する価値観を振り回し、そこにかじりついて生きているのではないでしょうか。それは泥の中に生きるようなものです。そのような生き方に根底から気づかされ、めざめさせられるような転換が「さとり」なのです。
「泥中の蓮華」は、人生の「本当の歩みとは何か」ということと、蓮の華は泥の中でしか咲かないということも教えているのです。
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回答者: 山崎 龍法
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