A: 浄土真宗では死というものを穢れとは考えません。葬儀や時には法事の時にさえ、穢れを払うために清め塩を使用するのが一般的になっています。これは死や死者を穢れたものと考える習俗から来たものといわれています。 しかし、自己の愛しき肉親や友達との悲しい別れにあたって、そのなきがらを穢れたものと考えることは、亡き人に対する冒とくといわれても仕方ありません。
確かにこの世において自己の愛しき人と別れなければならないということは大変つらい厭うべきことには違いありません。しかし、それは亡き人にとって新たなる浄土における生の出発点でもあるのです。 ですから、亡き人は阿弥陀如来の限りのないいのちを生きる方となられたのです。これからも、私たちとともにいつもおられて私たちが阿弥陀如来の大きな願いに目覚めるように働きかけて下さるはずです。
死という別れがどれほど私たちにとって悲しい体験であったとしても、死や死者というものを穢れたものとしてタブー視することがいかに間違っているかおわかりだと思います。
ですから、浄土真宗にあっては物忌みということは一切ありません。肉親の死に出会った人が旅行に出ることが禁じられるということもありません。私たちのいる場所がそのまま仏さまとともにいる場所なのですから。まして仕事のために旅行することには一切差し支えありません。
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回答者: 高橋 審也
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