A: 仏教での歳の数え方というご質問ですが、はっきりしたことは解りません。
逆を申せば絶対的な決まりはないということだと思います。
インド大使館に問い合わせましたところ、現在インドでは満年齢ではなく数え年で人の年齢を表記するということでした。公文書もこの年齢で記載されるそうです。お釈迦さまの時代のことは調べておりませんが、多分数え年をやはり用いていたのではないかと思われます。
中華人民共和国の大使館には電話がつながらなかったため、中華民国(台湾)の観光協会に電話してお尋ねしたところ台湾でも数え年を使用しているとのことです。
また本願寺派の教学研究所に問い合わせたところ本願寺派過去帳(本願寺出版社)の「過去帳又はこれに類する帳簿の取り扱い基準」には享年、行年は用いずに年齢としているとのことです。しかし、日本でも戦後まで数え年が一般に使われていました。そう考えるとお釈迦さまをはじめ祖師方の伝記や年表に出てくる年齢は満年齢ではなく、数え年で記載されていたと言うことです。
ある先輩のお坊さんから「私たちは十月十日、母体で育てられていたのだから生まれたときに初めて人間となるのではない」という話を聴いたことがあります。そういう意味で生まれた時に、すでに一歳と数える数え年は私たちが「いのち」というものをどう戴いていくかという意味で深みがあるように思われます。
しかし現在浄土真宗本願寺派の宗務所では満年齢で所属している門信徒の方を記録しているようです。私がお尋ねした範囲の寺院では数え年を用いている寺もございましたが、現在では満年齢を用いている寺の方が多いようです。
また「行年」を中村元師の『佛教語大辞典』で調べますと「現在の年齢」と記載されています。「享年」は「佛教語大辞典」には記載されておりません。『広辞苑』では「(天から享うけた年の意)この世に生きながらえた間の年齢。」と記載されています。
一般にはどちらも「亡くなった年齢」として用いられているようですが、「行年」の方は必ずしも死亡した年齢ということに限定されてはいないようです。また広辞苑の「享年」の解説には「天」という語が用いられているところからすると仏教用語から一般に用いられるようになった語彙ではないのではないかと推察されます。
私の所属寺では「行年」を用いていおりますが、「享年」も一般の用例に従って使っている寺院もあるかもしれません。
酒井 淳
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