A: 国が検討を進めている「新しい戦没者追悼施設」について、私たち浄土真宗本願寺派の教団の中でも意見が割れています。
その主たる争点は、国立の追悼施設が必要か否かという点です。
もともと、故人の追悼という行為は、きわめて宗教的なものであり、それぞれの信ずる宗教で個々に行われるのが本来の姿であります。しかし、国家が行った戦争により亡くなられた人々に対して、国として哀悼のまことをあらわして欲しいという遺族の心情も無視することはできません。世界には、アーリントンの無名戦士の墓のように国賓が参拝する国立の施設がある国が多くあります。
ただし日本の場合、不幸なことに戦前の追悼の場は、戦争を賛美し国民の戦意の高揚を図る軍が管理する施設でありました。また、国家神道の本山の役目をはたしており、そこには信教の自由はありませんでした。
ですから、宗門の中には、国が国立の追悼施設をつくることに対して、強い危機感を持っている人々が大勢いるのです。その人々は、新たに靖国神社とは違う代替施設を作ったところで、国立の施設となりますとその機能が戦前の靖国神社と同じになってしまうということを心配しています。国のために戦って亡くなったものを讃え英霊として祀ることは、戦争を美化し国の施策の誤りを正当化する施設として機能する可能性があり、すなわち第二の靖国になるとの懸念からです。非戦平和の立場から、二度と戦争を繰り返してはならない。また、故人が浄土に生まれたのかそれとも靖国に行ったのか迷わせるという、信教の自由が踏みにじられてしまった姿にはけっして戻ってはいけないという思いがあるのです。
現政権が進めているいわゆる有事法案などの動きも関連して気になるところです。福田康夫官房長官は7月24日の衆院有事法制特別委員会の質疑の中で「思想、良心、信仰の自由が制約を受けることはあり得る」として、思想や信仰を理由に自衛隊への協力を拒否することが認められないケースがあるとの考えを明らかにしています。
たまたまか意図的なものかは分かりませんが、この同時進行は、新しい施設をつくったとしても第二の靖国となるのではないかとの主張に説得力を持たせます。また、アメリカのイラク対策などの強硬姿勢に協力し犠牲者がでた場合の受け皿の設置を急いでいるのだと主張する方々もいます。
したがって、反対の立場の人々は国立の施設に懐疑的であります。
それに対して、新しい施設の設置に賛成する人々は、「国家および国民が戦没者全般に対して、信教の自由を犯すことなく、厳粛に記念行事を行うことができる施設」の建設を求めています。追悼の対象を敵味方の区別なく戦災死を含めたすべての戦争犠牲者とし、また、非戦平和の立場から新たな戦死者の受け皿にならないことを求めています。そのために、国に対し意見を言い積極的に働きかけをしています。
意見が分かれているといいましても、信教の自由、政教分離、過去の戦争への反省と非戦平和を願う立場はどちらにも共通しています。
小林
泰善
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