仏教ちょっと教えて 




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仏教用語は読みにくい


Q: 仏教用語はどうして読みにくいの?


A:    「仏教は言葉が難しい」とか「文字が読みにくい」という声はよく聞かれるものです。たしかに、仏教で使われている言葉や文字の中には、現在では使われないような古いものや、大変難しいものが多くあります。
 しかし、それ以外にも私達に馴染みの有る簡単な文字であっても、その読み方が独特なものも少なくありません。

 「礼拝」はレイハイではなくてライハイ。「声明」はセイメイではなくてショウミョウ。「白衣」はハクイではなくてハクエ。「立」はリツではなくてリュウ。「有」はユウではなくてウ。「品」はヒンではなくてホン。数えあげればキリがありません。

 これは漢字の音読みに二種類の読み方が有るからです。辞書を見ると漢字の音読みのところに「漢」と「呉」の二つが記載されていることに気がつくでしょう。
 「漢音」とは,唐代に長安などで使われた読み方で、平安時代のはじめころ日本にまとまって伝わりました。「呉音」は揚子江(長江)下流地域で使われた読み方で、漢音以前に日本に伝わった読み方です。
 このうち私達に馴染みの深いのが漢音の方です。学校で教わるのも漢音が主流でしょう。
 呉音は古典の時間か日本史の時間に出会う位かもしれません。そして、仏教用語に多く使われているのがこの呉音の読み方なのです。

 この違いは普段の私達の生活の中でもよく目にするものです。例えば「封」という文字は「封筒」と書けばフウ、「封建」と書けばホウと読みます。
 とはいえ呉音は一般に馴染みが薄いものです。そのせいで仏教が難しいとか分からないというのは寂しいものです。
 私達僧侶の側からもこの状況を乗り越えた対応姿勢をしていかなくてはいけないのでしょ
                               藤井 芳弘


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