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021 第19回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要に参拝しての思い


第19回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要に
参拝しての思い

   今年は参拝者が昨年の倍以上はありましたでしょうか。法要縮小の姿勢を改めた昨年の法要は、前年までの余波をくい止めるまでには至らず参拝者数の最も少ない法要でありました。しかし、今年は、門主のご臨席ご焼香がありましたことと、昨年の反省が生きたのか大勢のご参拝の中での法要となりました。まことにありがたいことであります。参拝者の数は力だと思います。大勢の参拝は個々の参拝者にとりましても張り合いになります。この状況を保持すべく私たちも努力しますが、宗門としても大いに努力していただきたいと思います。



   
法要に参拝した者として次の3点について意見を述べさせていただきたいと思います。


@本願寺派がなぜここでこのような法要を勤めるかという願いがもう一つ伝わらなかったのではないかとの思いがあります。せっかく「法要のしおり」の中に明確に示されているのですから、法要の流れの中でそれを参拝者全員が確認できるような工夫が必要なのではないかと思います。


A今回の参拝者の特徴は若い方たちの参加が目立ったことです。宗門系学校の千代田女子高校の吹奏楽団や合唱団そして武蔵野女子高校などの参加もありました。また一般参拝者席にも仏教青年会の方々など若者の姿が目立ちました。その方々に法要の意義が伝わったでしょうか。少々心配です。主催者として、そのような方々への配慮が必要だったのではないでしょうか。法要のプログラムの最後に、実質的な法要執行責任者の謝辞を入れることにより、ある程度のフォローができたのではないかと思います。


Bこの法要は、各国大使館、国会議員、産業界等に案内をして実施されている宗門としては唯一の恒例行事です。今年は、自自公連立、官房長官による靖国神社特殊法人化発言、そして北朝鮮や東ティモールなど国際的な問題から拍車がかかった、武力(軍隊)による平和維持の常識化の流れなど、宗教者として看過できない社会問題が山積しています。この機会に宗門としての思いの一端でも発言すべきではなかったのではないでしょうか。黙っているのは認めたのと同じことではないかと思います。千鳥ヶ淵法要は発言のチャンスの一つだったと思っておりましたので残念でなりません。今後、ぜひ何らかの形で宗門の姿勢を社会に明らかにしていただきたいと思います。


                         無憂樹



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