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028 1月22日付・中外日報「どうなる基幹運動」について


 1月22日付の中外日報に「どうなる基幹運動」という記事が出ていました。
 この記事の中で、大変気になることは、「信心の社会性」を問う教学を政治問題として処理してしまおうという姿勢が垣間見えることです。今の宗会がそのような流れになっているのでしょうか。
 「信心の社会性」は、基幹運動展開の中で伝統教学の信心理解への疑問から生じた新しい教学です。したがって、そこで使われている用語は、旧来の教学のあり方からは「教学的になじまぬ表現」なのも当然のこととと思われます。
 だからといって、「信心の社会性」が問われたその背景や真宗者としてその問いへの取り組みまで否定されるものではないと思います。基幹運動の中で生まれてきた教学に、賛成反対を問わず真摯に取り組むのが「教学」というものではないかと思います。「月を指せば指を認む」との諺を連想させるような論議には何も期待できません。
 そういう意味で、この度設置されるであろう「教学会議」に大いに期待するものです。教学論争を、私たちが見える形で展開していっていただきたいと思います。
 また、この記事の中で「アレルギー」という言葉が使われていますが、あまりよい表現ではないように思えてなりません。
  2000.2.1                 無憂樹


資料(『中外日報』 2000.1.22)
 中外雑記
   どうなる基幹運動
●本願寺派 来月二日に招集される第二百五十七回臨時宗会(武野以徳議長)で審議される総局部門の新職制案には、直属寺院振興対策の新設、社会部の廃止などいくつかのポイントとなる部局改編の構想が盛り込まれているが、懸案の基幹運動については教学研究所との連動による基盤強化が図られるようだ。「基幹運動の推進」は歴代の総局が必ず執務方針の中心に掲げ、あらゆる差別の撤廃などを具体的な運動方針としてその推進に取り組んできたが、その過程で打ち出された「信心の社会性」等の理念をめぐっては布教、伝道の第一線に立つ住職、僧侶らの間に少なからぬ混乱も生じている。毎回の宗会の質問戦でも基幹運動に関する質問は“定番”で、昨秋の定宗では下川弘暎議員が「『信心の社会性』は教学的になじまぬ表現」「基幹運動が本当に血の通う運動となるためにはあらゆる角度からの見直しが必要」等と運動理念、用語をはじめとする基幹運動の抜本的見直しを提言、多くの宗議らも下川議員の意見に賛意を示した。今回の改革案では、運動と教学の整合性を保つために教学研究所に「教学会議」を設置、運動と連動した教学の研鑽、そして教学に裏打ちされた運動の展開を期することになっている。また、念仏者の社会実践的部門を強化して一層現実の社会的要請に速やかに応え得る態勢の確立を目指す、とされているが、「信心の社会性」などの“問題”についての具体的な提言はなされてはいない。この改革案について宗内には「従来の基幹運動本部事務局に廃止される社会部などの宗務が移行されることが注目される。基幹運動は同朋運動に偏重し過ぎているとの批判が強かったが、これでそうした“色”が少し薄められるのではないか」と見る向きもある。このような意見の背景には、同朋運動に対する“アレルギー”が根強く宗内に潜んでいることが窺われ、今回の基幹運動に関する改革が単なる「機構いじり」に終始するならば、「さらにその動き(『基幹運動・同朋運動離れ』)を加速させることになる」等と危慎されている。


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