毎年夏に行われる「全国真宗青年の集い」が今年は8月4日・5日の二日間の日程で、東京の築地本願寺で開催されました。
この全国大会は行事内容やテーマ、開催場所などを各地区が持ち回りで担当します。われわれは「垣根(ちがい)をこえて」というテーマを設けました。このテーマには、われわれが知らず知らずにつくりあげてしまっているこころの垣根を見つめなおすという願いをこめたものでした。
ちなみに「真宗」とは謳っていますが、浄土真宗本願寺派の宗派の行事です。本願寺派では、仏教青年会という教化団体があり、その全国的な集いとして、この大会があるわけです。
私が全国大会に初めて参加したのは7年前のことです。それ以来、ほぼ毎年大会には参加していましたが、宗派の行事ではもっとも「楽しい」と感じるものであったように思います。
今、自分が青年会から一線を引く年齢になって、なぜ楽しかったのだろうと考えると、それは若者が自分達なりにみおしえを伝えようと、一生懸命になっている姿がそこにあったからだと思います。何か目標に向かって真摯に取り組む姿はやはり、見ていて楽しいですし、できるだけ協力していきたいという気持ちにさせ、結果として、自分自身も楽しめるのだと思います。しかし、そういった苦労の中には、宗門の抱える問題点も強く感じることでもありました。
お寺に足を運んでいただくということは、仏縁の第一歩であります。これを怠っては、仏教の広がりということはありえません。しかし、若者ほどこの機縁を作ることの難しい年代もないといえます。そんな中、全国大会を開催するにあたっては、参加者の確保ということに関して仏教青年達の大変な苦労があるわけです。
現代において、一方では様々な宗教にこころを奪われる若者も多数いる中で、伝統教団といわれている我々本願寺派においては、青年層へのアプローチに関しては遅れをとっているといわざるをえません。これは、社会的な変化に宗門がついていくことができていないことが原因であるといえます。
宗門は各一般寺院の集合体でありますから、一般寺院の活動の盛衰がそのまま宗門にはねかえっていると考えるべきでしょうが、しかし宗門という巨大な組織という利点を宗門自身があまりに有効活用できていないのだと感じます。
全国大会を終えて、充実感と可能性を感じた会員は多いと思います。しかし、どこか寂しさも感じてしまうのは私だけなのでしょうか。
宗門として、仏教青年会をどのような会にしていきたいのか、それには何が必要で、何が足りないのかを真剣に議論していかなければならないと思います。さもないと、全国大会が各仏青に寄与することのないただのお祭り騒ぎのように感じられてしまうのです。
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竹柴 俊徳 2001.09.16 |
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