本願寺新報(4月20日付)の一面左すみに、次のような記事がありました。全文を引用します。
2月20日号記事について
本紙は、2月20日号一面で、ハンセン病元患者の方から本願寺御影堂平成大修復の瓦懇志を進納いただいた記事を掲載いたしました。
この記事が、ハンセン病元患者の皆様や関係の方々のお心を傷つける結果をも招いてしまいましたこと、申し訳ありませんでした。
今後、さらに同朋運動への取り組みを深めた紙面作りに励みます。
本願寺新報社
常に、過ぎるくらいに細かいところまで気を使って編集をしている本願寺新報社の方々には忸怩たる思いがあると思います。反対を押し切ってまで記事を出させることのできる立場の方がいたということです。今まで積み上げた経験をすべて踏みにじられ、この謝罪文です。
今回の出来事から、「拓く伝道」のもとに御同朋御同行の教団として展開していく道のりの遠さを感じました。
この囲み記事は、受けとめ手によって多層的な受け止め方があります。
1、ある人は、これによって、「謝罪」が済み、免責されると思う。
2、ある人は、差別的な意識に基づいた募財勧誘であったと受けとめる。
3、ある人は、この記事は何を言おうとしているのか分からない。
4、(穿ってみれば、もっともっと多層的な受け止め方があります)・・・・・。
なぜ、今回の記事が「ハンセン病元患者の皆様や関係の方々のお心を傷つける結果をも招いてしま」ったのか、すべての読者が判読できる状況になっていないということです。
かつて、本願寺派のある布教使が、被差別寺院や門徒の進納を掲げ、彼らですらこれだけやっていますよ、だから皆さんも、という差別意識に基づく意図をもって募財を勧めたことにより糾弾を受けました。
今回、本願寺新報の筆者がハンセン病に対する差別意識に基づいて件の記事を書いたと断定することはできませんが、このような形で取り上げたことは著しく配慮を欠いたものでありました。
ハンセン病元患者の方々の被差別からの解放は、まだ、その一歩を踏み出したばかりであり、私たち宗門人には差別被差別からの解放の視点でこの問題に取り組んでいかなければならない責任があるのです。そのようなときであるにもかかわらず、瓦懇志勧誘の美談に仕立て上げたのです。ハンセン病元患者や差別解放に取り組む多くの人々に、深い悲しみや疑念を与えたことは間違いありません。
この記事については、草稿の段階で基幹運動本部や本願寺出版事業局関係者から問題ありとの指摘があったにも関わらず採用されたとのことです。 どなたの圧力かは知りませんが、出版事業局所管総務の責任は大きいのではないでしょうか。 この記事の問題性を指摘されていながら、責任ある立場の方が上下関係の枠組みに固執したばかりに、本願寺教団がその問題性に気づくことができなかったという結果を作り出してしまったのです。
今回、外部からの指摘を受けて初めてこの謝罪文が出されたわけですが、これで、この問題が解決したとは到底考えられません。今後の適切な対処を期待します。 また、宗門内外に与えた影響を考えると関係総務の責任のとり方は、注目をすべきところだと思われます。
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本多 静芳 (2002.05.01) |
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