宗門の基幹運動がひとつの危機を迎えているように思われる。
中外日報(8月8日付け)によると中央相談員と総局の対立は深刻である。新たな国立墓苑についての総局の方針に、中央相談員が真っ向から反対している。
中央相談員は、新たな国立追悼施設の建設を「国家が宗教に介入し戦争を賛美することを許すことにほかならず、これまでの教団のヤスクニ問題の取り組みに逆行する」と指摘している。また、「つくる会」への武野総長の加入が秘密裏に進められたとして、宗内の意見集約が先決だと主張しているとのことである。
総局の基幹運動に逆行する一連の動きに対しての不満が、新しい国立追悼施設の問題で一挙に爆発したとの感が否めない。しかし、最初に反対ありきの今回の行動はいただけない。
まず、新たな国立追悼施設の建設が、これまでの教団のヤスクニ問題の取り組みに逆行すると結論づけるのは性急すぎる。国の行為は必ず悪となると決めつけるステレオタイプの主張との印象を与えたのでは、一般の支持は得られないのではなかろうか。ましてや今、新たな国立追悼施設の建設の動きに対して一番神経を尖らせ反対しているのはヤスクニ側である。なぜ同じ反対の立場なのか分かりにくい。
次に、総長の行動が唐突だとして、宗門内の意見集約を求めているが、総長は昨年8月13日の小泉首相への要請文や9月18日の千鳥ヶ淵法要でも国立戦没者墓苑建設の要請を明言している。また、小泉首相の発言から始まった新しい追悼施設についての政府の一連の動きなど、論議のきっかけとなるポイントはいくつもあったはずである。その時を捉えて論議や提言をしなかった基幹運動本部の方に問題があると言われても仕方がないだろう。
官房長官の私的諮問機関の懇談会の結論はほぼ固まってきているとの報道もある。ことは急速に展開している。また8月は国民がこの問題に関心を向ける時でもある。むしろ、宗門の機関である基幹運動本部としては、今回の問題に関しては、今まで積み上げてきたヤスクニ問題の取り組みにより得ているノウハウを総局の動きに生かすべきではなかろうか。
反対するのはまだ早すぎる。計画の方向性が明らかになり、そこに問題があるなら反対すべきである。今は私たちの主張を明確に伝えるべき時である。今すべきことは、信教の自由・政教分離・非戦平和の理念に合致する新しい追悼施設の実現のために努力するべきだと思う。
たしかに、本願寺新報ハンセン病元患者記事問題・宗会委員会審議内容漏洩問題に関する一連の対応など直情型無責任体質を持つ現総局に対する不信感は宗内に高まっていることは事実である。しかし、基幹運動がこの総局相手に討ち死にしたのでは、今まで営々と築き上げてきた運動に対して言い訳が立たないのではなかろうか。
中央相談員の各位にはくれぐれも自制をお願いしたい。
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無憂樹 2002.8.16 |
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