11月9日付の『中外日報』に次の記事が出ていました。
1日の総長選挙で再選を果たし総長職に返り咲いた同総長は、同日午後5時に宗務所大会議室に職員を集めて訓辞を述べたが、その中で「総辞職、不信任、そして解散。このようなことはあってはならない。それは(総長候補者を指名した)ご門主のお心を傷つけることになる」と語った。
この意味をどう解釈したらよいか。武野総長が、自戒を込めて信頼を得られる宗門運営をしていくとの発言をしているのだとしたら期待がもてます。しかし、前後の脈絡から解釈すると、むしろ、門主の信任を得た総長を「総辞職、不信任、そして解散」に追いやるようなことをするのは門主に対する裏切りであると威圧しているように読めます。
この度の混乱の中では特に、それぞれの立場から門主を利用して正当化を図る発言が目立ちました。そして、門主による総長候補者指名がひとまずの結論でありました。その経緯をみていますと、宗会議員が大谷家を意識する気持ちがよく分かります。宗門全体のことを考えるより大谷家を意識しての行動になることはある程度やむを得ないことなのでしょうか。
最近の本願寺新報の記事をみていますと、仏青や仏婦などの大会がありましてもメインは大谷家に関する記事です。本願寺派の常識だと納得はしてみても、それが今後、門信徒を含めて社会一般に通じていくとはとても思えません。
『中外日報』に出ている総長の発言は、まさに虎の威をかる狼。このようなあり方を続けていくとしたら、必ずや門主制そのものが論議の争点になることと思います。
もっとゆるやかな門主制であってもいいのではないか。それは宗会議員や宗務員の意識改革をすることでできることではないでしょうか。現行制度内でも十分可能だと思います。門主不当責と言いながらご門主を追い詰めている今のあり方を打破しなければなりません。このままではご門主の発言の場もますます失われていくことになります。
宗門の将来を考える中で、宗会において門主制の論議をタブー視することなく、是非とも取り上げ改善していっていただきたいと思います。
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無憂樹 2002.11.16 |
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