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092  宙に浮く国立追悼施設建設構想 


宙に浮く
国立追悼施設建設構想

 8月15日、小泉首相は靖国神社参拝をせず、雨の降り続く夏とは思えない涼しい一日は近年になく静かに過ぎました。
 昨年の暮れに福田官房長官の諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設のあり方を考える懇談会」の『報告書』が提出されたにもかかわらず、追悼施設の建設構想は一向に動きだしていません。

 8月15日付の朝日新聞によると、小泉首相は、
  「国立の戦没者追悼施設の建設構想が進展を見せていないことについて『宙に浮いているということじゃない。静かに、冷静に諸般の情勢を見ながら考えるということ』と述べた」
とのことです。ただし、新聞の論調によりますと宗教界が主張している賛否の意見とはかなりかけ離れたところで頓挫しているのであり、宗教界の主張が反映されているとはとても思えません。

 特に本願寺派では、国立追悼施設の問題は宗政上の混乱と絡んで政争の具と化してしまったきらいがあり、論議を深めるどころか総局寄りかどうかを見定める踏み絵のような状況となってしまいました。

 そのような中、この夏、『戦争と追悼 靖国問題への提言』(菅原伸郎編著・八朔社)が発刊されたことには大きな意義があります。国立追悼施設の問題では、すっかり硬直化してしまった本願寺派内の論議にも大きな波紋をもたらすものと思われます。

 現実の国立追悼施設建設反対の動きは、第2の靖国になりかねないとの懸念からなる国への不信に依拠する宗門内の反対論とは全く異なり、靖国神社護持派の強力な働きかけによるものです。「遺族の遺族を」の時代になりつつある現在にありましても、その動きは強力なものであることを私たちはあらためて認識しておかなければなりません。戦死した親族や戦友への心情的な思いを共有する世代から、理論として受け入れる世代に移行しつつあるということです。それはより偏狭な教条主義を生み出す土壌にもなりかねないことと強く懸念いたします。

 ヤスクニの問題で、今私たちが何をしなければならないか。『戦争と追悼 靖国問題への提言』は、そのことを私たちに強く問いかけている本であると思います。

 それにしても、国立追悼施設の問題を政争の具にしてしまった責任の一端にある総局はいったい何をやっていたのかと思います。宗門内に対して説得力のある説明ができなかったばかりか、つい最近の会合でも、総局は被害者意識丸出しで、「反対するな」の一点張りでした。当然のことながら、総局は批判にさらされる立場です。一度決断して行動を起こしたならば、説明責任は免れません。宗門内の混乱の原因が総局にあるということを総局自身がしっかりと認識していただきたいと思います。


群生海  
2003.08.17

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