千鳥ヶ淵全戦没者法要が近づいてまいりました。先日盆参りのときの話。
たしか第3回からほとんど毎回参加してくださっているご門徒に、今年はどうですかとお尋ねしたところ、参加のご返事をいただきました。
この方は、父親を戦死でなくされておられます。毎年8月15日に日本武道館で行われる全国戦没者追悼式にも欠かさず参加しているそうです。ただし、今年は5月にお母樣をなくされていますので欠席することにしているとのことでした。靖国神社にもよく参拝をするとのことですが、遺族として戦没者を追悼していただけるのならどこへでも足を運ぶ、イデオロギーとは無縁のいわゆる「まじめな戦没者遺族」と言うことができるのではないかと思います。
その方の言で、
「本願寺さんでやっていただいている千鳥ヶ淵法要、本当にありがたく思っています。参加者が年々増えていて、それも若い方が多い。ほんとうにうれしく思っています。必ず参加します」
とのことでした。
9月18日の千鳥ヶ淵全戦没者法要に若い人が多いのは、本願寺派では僧侶に靖国問題に関心のある人が多いからだと思います。
そして、靖国問題に関心のある僧侶が、門徒を引率して参拝します。
しかし、千鳥ヶ淵法要に参拝を希望する門信徒は、僧侶の意図とは別の思いで参加します。靖国問題を意識することはなく、「本願寺さんが戦没者(我が身内または戦友)のために法要をしてくださる。ありがたいことだ」という思いです。
この方たちは、ご門主のご親教を共感を持って聞かれ、追悼の対象を全戦没者とすることにも違和感はありません。ご門主のご親教がなくなった後にも、今年はご門主はいらっしゃっているかどうかをいつも気にしています。
でも、靖国神社には参拝するのです。
この、いわゆる「まじめな戦没者遺族」に対して私たち僧侶はどのようにすれば良いのでしょうか。
いわゆる「まじめな戦没者遺族」に対して、神経を遣って対策を講じてきたのは、靖国神社護持派の人々です。
国主催の全国戦没者追悼式は、靖国神社に変わる恒久的な施設にならない形態で行われています。靖国神社でするべきと思っているのですが、それが叶わないので、遺族の要望に応えて式典時のみの祭壇を設けての実施を容認したのです。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、国立の施設ではありますが、戦地から持ち帰った引き取り手の特定できない遺骨を納める場所としての位置づけを明確化し、国としての追悼施設は靖国神社であるという立場をとります。もともと靖国神社は遺骨を納めることをしませんから、千鳥ヶ淵戦没者墓苑とは併存することに違和感はありません。墓地ですからあまり目立たないように施設的にも配慮されているのかもしれません。
ですから、国立の追悼施設には絶対反対の立場となるのは当然です。墓は、お寺や地域の墓地です。その上、国などの追悼行事がすべて新しい常設の追悼施設で行われるようになることをもっとも警戒しているのは誰であるかは明瞭です。
現在でも、靖国神社国家護持を期待している人々の力が政治的にも非常に強いことを認識しておかなければなりません。
そこで、いわゆる「まじめな戦没者遺族」に対するアプローチの仕方に、私たち僧侶はもっと工夫をしなければならないのではないかと思います。
9月18日、千鳥ヶ淵でお会いしましょう。
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群生海
2003.09.01 |
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