10月15日、築地別院において2003年度東京教区「男女共同参画にむけての研修会」が開催されました。 今年は講師に曹洞宗より川橋範子先生(名古屋工業大学大学院助教授)と瀬野美佐先生(女性と仏教・関東ネットワーク)をお招きし、曹洞宗の寺族の問題を踏まえて坊守寺族の問題について勉強をさせていただきました。 そこで私なりに感じたことを書いてみたいと思います。
寺族が公然と認められるようになったのは、1872年(明治5)4月に明治政府が僧侶の肉食・妻帯・蓄髪等を許可したことに始まります。ただし、浄土真宗と他宗とではその範囲が異なります。 他宗では、出家すれば女性であろうと寺族ではなくなります。しかし、在家主義の浄土真宗では、住職以外の家族は僧侶であろうが無かろうが寺族ということになっています。
教団の中での女性問題の解決は遅々として進んでいません。 共同参画のかけ声はありますが、性による役割分業の実態は戦前からの旧態をそのままに残していると言っても良いでしょう。特に浄土真宗は伝統的な家父長制の家制度の枠組みをもって教団を維持してきたのです。 ただ出家仏教における陰の存在としての寺族とは違い、在家主義の立場から「坊守」という公然たる立場はあったのです。しかし、それとて家制度の枠組みから一歩も踏み出すものではありません。
川橋先生が指摘しておられた「教団の中の女性問題は、世間とリンクしなければならない」との視点はとても重要だと思います。 特に世襲制の浄土真宗寺院では、寺族ということに意味のない特権意識を持っている場合が往々にしてあります。としたならば、それは「所詮寺の中の問題」と批判され、門信徒をはじめとして社会の認知は得られないでしょう。
現実には、寺院において寺族の女性が果たしている役割は大きなものがあります。坊守が教化団体の重要な役割を担っている場合も多く、また住職に代わって法務を勤めている場合も少なからずあります。本願寺派では女性僧侶の比率が3割に迫っています。
そのような女性たちの努力にもかかわらず、女性僧侶は住職の代理であり、女性住職は男性住職が誕生するまでのつなぎ役としてしか評価されていません。 それは、社会がそのような評価しかしないから問題なのではなく、宗門が教団内の女性の活動を過小評価し、寺院や教団における正当な地位を与えていないからにほかなりません。
現在では、坊守という地位は婚姻により成り立つものでありますが、社会に認知されるためには、婚姻ということだけではなく宗門として定めた課程を踏むことを条件とすべきでありましょう。 やはり、教団の中の女性問題につきましても、瀬野先生が最後に指摘しておられましたが、「信仰の問題を切り離すことはできない」という点が、最も重要なところではないかと思います。
宗門における女性の問題、そして、男女参画の問題への取り組みは、宗門の将来の鍵を握る大切な事柄であることは間違いありません。
|
小林泰善 2003年11月1日
|
|
|