僧侶向けページ


このページでは、僧侶向けの他宗派、他宗教ページです


004 天台宗「死刑制度廃止」声明発表について

 法治国家とは、一面、国家による罰則によって成立しているとも言える。したがって、死刑というものが存在するのは、その国が国を統治していく上で、最大の効力をそれによって期待しているからである。
 しかし、懲役刑が生きることによって罪を償わせることに対して、死刑はそれを認めないという点で、明らかに線引きが必要である。
 4月3日付『中外日報』によると「天台宗は3月31日、死刑制度を廃止すべきだとする宗派見解と現行制度への提言を公にした。宗務総長の諮問機関『死刑制度に関する特別委員会』が同日付で最終答申(別掲)を取りまとめ、同宗・藤宗務総長がこれを宗派見解として明らかにした(下記その要旨)。伝統教団では昨年6月、真宗大谷派が当時相次いだ死刑執行の停止を求める声明を発表しているが、制度そのものに反対する婆勢を鮮明にしたのは天台宗が初めてという」とのことである。これは、大いに評価されるべきであろう。
 同宗が、問題としているのは、人の手によって、人を死という形で罰することが、仏教の不殺生戒というものに照らしあわせてみても、認められないということである。そして代替刑として、仮釈放のない無期懲役を考えている。それは、生きることによって、罪を償い続けるということでる。それらの視点を社会全体の中に周知することが天台宗のみならず、すべての仏教教団の責務であると考えることができるのではないだろうか。
                                         竹柴 俊徳



天台宗 死刑制度に関する特別委員会答申=要旨

 死刑の制度は宗教者の立場として認めるわけにはいかないが、そのためには、前提として以下の事項が克服されることを要する、という合意を確認した。

1.死刑は廃止すべきである。しかし、抑止力の有・無ではなく、死刑の在り方として、応報刑的考えはとりたくない。

2.教育刑としての限界もあり、死刑に代わる刑罰として仮釈放のない無期懲役刑の採用が望まれる。精神障書者に対する措置としては、少なくとも完全な治療に至るまで隔離することが必要。

3.被害者救済の手段を法的に整備して、被害者感情を和らげることが大切である。

4.義務(公)教育を改革して、宗教的情操の指導を強化し、連帯強調の心を養い、非行への誘惑に対する対抗力を強化することに努める。

5.非行への抵抗力、利他心、愛他心は、幼年期までの健全な家庭生活の中で培われるという。家庭の再構築、家族の協力性の強化により、犯罪の減少を図る。
 −−−以上は要約すれば@社会環境の整備A法制度の改革の要望である。

   ◇  ◇  ◇

 そもそも、死刑制度の歴史は古く、処刑の種類・方法も多様で、近代に至るまで諸々の犯罪に対して広く行なわれてきた。以来、我が国にあっては、死刑を定める犯罪とそれに対する刑法が定められて今日に至っている。
 一方、死刑制度の存廃をめぐってはアムネスティ・インターナショナルの「死刑存廃国リスト」によれば廃止国九十九カ国、存置国九十五カ国とほぼ相半ばしている。
 我が国における死刑制度をめぐる世論は、存続すべきが七三%(読売新聞、平成十年十二月二十七日付)となっている。
 当委員会は、これらの事情と中間報告に示した確認事項を踏まえて、特に強調したい以下の三点を再確認した。

1.仏教は生きとし生けるものを殺してはならない不殺生を説く。あらゆる生き物の生命(いのち)を尊重する観点からすれば、人が人を殺生する死刑制度は廃止すべき。現在、世界人権宣言の立場から、加害者の人権を尊ぶ主張がなされ、死刑廃止の根拠とする向きがある。
 しかし、〈生命を尊ぶ〉という立場からすれば、被害者の人権が守られなかった中で加害者の人権を主張するには、納得し難い面が残るし、加害者によって失われた被害者の人権はどうなるのか、という設問が用意されよう。
 むしろ、ここでわれわれが主張したい点は、人間の為した行為が、その人ひとりがその果報を受けるという自業自得、因果応報の不共業(ふぐうごう、他人と共通しないその人個人のなしわざ)にとどまらず、広く他者、社会一般と共通する共業
(ぐうごう)として社会性をもつことを充分に認識すべき点である。


2.従って加害者(犯罪者)は、自らが犯した罪の重みを充分に自覚し、加害者や被害者の家族はもとより社会に対して、自らの為した罪を深く懺悔し、悔過の心を持ち、生き抜いて罪を償い、もって人間としてのめざめ、本性に立ち帰るべきである。事実、教誨師の良き導きによって、服役中に人間としてのめざめを体得した犯罪者のケースも多いと聞く。その半面、出所後も犯罪を重ねるケースも少なくない生いう。

3.人間が生きていく上において、広く他者、社会、自然と共存、共生していかねばならない。今、社会倫理と共生の倫理が改めて問われる現代である。そうした中で、〈生命の尊厳〉と〈悉有仏性〉、そして他者への〈寛容と慈悲〉を主張する仏教の教えに生きる仏教者として、死刑制度の廃止を望むのが当然である。
 しかし、その一方で、犯罪の抑止力として、何らかの制度(仮釈放のない無期懲役刑の如き)があって然るべきかと考える。人を殺すことは、いかなる場合にあっても許されないことは当然であると同時に、犯罪者にとって犯した罪を償うことは、良心ある人間の基本的行為である。
   ◇  ◇  ◇
 われわれにとっては、死刑制度の是非を問う前に、むしろ、人間としての“みち”、社会構成員の一人としての社会倫理を踏み外さない社会、環境の土壌づくりに未来際をかけて、さらに努カすることこそ使命ではなかろうか、と思う。


この項インデックスページに戻る