法治国家とは、一面、国家による罰則によって成立しているとも言える。したがって、死刑というものが存在するのは、その国が国を統治していく上で、最大の効力をそれによって期待しているからである。
しかし、懲役刑が生きることによって罪を償わせることに対して、死刑はそれを認めないという点で、明らかに線引きが必要である。
4月3日付『中外日報』によると「天台宗は3月31日、死刑制度を廃止すべきだとする宗派見解と現行制度への提言を公にした。宗務総長の諮問機関『死刑制度に関する特別委員会』が同日付で最終答申(別掲)を取りまとめ、同宗・藤宗務総長がこれを宗派見解として明らかにした(下記その要旨)。伝統教団では昨年6月、真宗大谷派が当時相次いだ死刑執行の停止を求める声明を発表しているが、制度そのものに反対する婆勢を鮮明にしたのは天台宗が初めてという」とのことである。これは、大いに評価されるべきであろう。
同宗が、問題としているのは、人の手によって、人を死という形で罰することが、仏教の不殺生戒というものに照らしあわせてみても、認められないということである。そして代替刑として、仮釈放のない無期懲役を考えている。それは、生きることによって、罪を償い続けるということでる。それらの視点を社会全体の中に周知することが天台宗のみならず、すべての仏教教団の責務であると考えることができるのではないだろうか。
竹柴 俊徳
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