今月の法話 2000年1月


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更新日 2000/01/05

謹んで新年を迎えられたことを
お慶び申し上げます

  あけましておめでとうございます。このポストエイオス研究会のホームページも3度目の正月を迎えました。

  現在の、携帯電話やインターネットを始めとするコミュニケート手段の発達は、ほんの数年前でさえ想像できなかったほどのものです。

  特にインターネットには、個人レベルからの情報発信という、これまでのメディアにはなかった特徴があります。権威や資本にも依らない、雑多な情報を提供するこのようなメディアの普及は、伝統的な階層的価値観から、横並びの価値観へとの変化を象徴するようです。ホームページを次々と平行移動していくネットサーフィンも、階層や序列といった考え方の薄れつつある現在の感覚に合ったものなのでしょう。

  その一方で、伝統的な様式に頼ることもまた意義を持ちにくく、人やものの存在の意義も個別化せざるを得ません。

  報道されるている、荒唐無稽と思われるような宗教がらみの事件も、こうしたますます求心力を失いつつある時代の流れの中でのことのように思われます。

  地域や時代といった周囲の環境に縛られずにすむことが、ともすれば錨を失った船のような状況を見せるのかもしれません。我が身の重み(現実の姿)を、意識しないですませられるような背景が揃っているともいえます。




穢を捨て浄をねがい、行に迷い信に惑い、心くらくさとりすくなく、悪重く障多きもの
 この親鸞聖人の言葉は「ああ、そうだったんだ」と我が身の重み(現実の姿)に気づかせてくれます。私はこの世の中にまぎれもなく一定の空間を占め、他の生き物の命をいただくことで生き長らえ、人ばかりでなく、知ることができないほど多くの事柄に依存していること。

 世界を鳥瞰図的に見る様々な技術の発達の一方で、自分という枠を一歩も越えることのできない領域を持ち続けているという、その二つの現実を見失うことなく、常に原点に立ち戻って考えなければならないのではないでしょうか。

 我が身の重みというものを錨として流されないように。自戒を込めて。

三春 和順 

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