法 話
                        小林泰善


  

★☆いじめを考えよう☆★
  「見て見ぬふりをするのもいじめているのと同じこと」
 いじめとは、「長期間にわたり継続的に、ひとり又は少数のものに対し、心理的又は物理的な攻撃により苦痛を与えること」です。そして、いじめは、マスコミに取り上げられるようなことにまで発展しないまでも、特別な事件ではなく学校生活の中で頻繁に起こっている日常の問題であるのです。

 中学3年の喜多晶子さんの『いじめられた苦しさといじめた後悔』という作文に、

 「いじめ。あなたはしたことありませんか。したことがないといいきれますか。回りのある子がいじめられている時、見て見ぬふりをしてませんでしたか。

──怖いんだよね。──

かばったり助けたら、次にいじめられるのは自分だと思うから─。そんなこと、かっこつけてるとか、良い子ぶりっことか偽善者だって言われるから─。だからかばわない。だから助けない。だから見て見ぬふりをする。

──それって同罪だよ。──

なんで。仲間に加わってない。だから、僕は・私はいじめてない。そう思っている人はいませんか。いじめられたくない。だから仲間に加わってしまう。そんな人もいませんか。」(『川崎市人権作文集』より)

とあります。喜多さんは、見て見ぬふりをするのも「いじめているのと同じこと」と指摘しています。現実にはその立場の子どもたちが大多数であり、そのことが、いじめの状況を深刻にしているとも言えるのです。 いじめという社会問題を解決することは、非常に難しいことであると思います。まず個々のいじめを発見し、それを解決しない限りいじめられている子どもにとって問題の解決にはならないからです。「いじめられたと遺書に書くな」といじめられているケースの報告もあり、いじめはますます巧妙になり陰湿化しています。解決のためには、友人や学校、家庭や地域社会の協力が必要不可欠です。


   

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