(ネットを通じての知人へのアドバイスから) それと目を描く時、人間様を 観察していても分るんですがよく言いますよね、 「目は口ほどにモノを言う・・」って。 人物画の場合も同じと考えてください。 描いている時の心を一番表している所が 描いている時の作者の目と、出来上がった作品の目なのです。 ■ 2003.2.19 ■ |
私の会社の同僚Tさんは昔からうなじを刈り上げたことが無かった。 なぜならそこにそれぞれ逆巻の旋毛が2つあるからだ。 その彼が髪の毛を短くした。それもソウトウ・・・。 例の旋毛も丸出しだ。思わず笑ってしまうくらいぐるぐるまわって、 その境目は爆発している。 休憩中、彼が私に静かに語り出した。 彼:「俺よう、今家族で鶴折ってるんだぁ〜。」 私:「へぇ〜、仲が良いんだ、羨ましいね。何でま・・た・・。」 「・・・・・・・・・・・・・・。」 「ごめん、それってまさか千羽鶴?・・・。」 彼:「おう、」 私:「誰か身内の人が・・・?」 彼:「て言うか・・例の散髪屋さん、不治の病らしいんだ。 今度入院するんだって。彼が退院してくるまで 刈ってもらえないだろ、だから短くしてもらったんだよ。」 私:「・・・・・・・・。」 私の会社の同僚Tさんは昔からうなじを刈り上げたことが無かった。 なぜならそこにそれぞれ逆巻の旋毛が2つあるからだ。 今日も彼は若い後輩たちにこの旋毛をからかわれている。 ■ 2001.2.7 ■ |
ライカ犬の声 応答せよ!応答せよ! 応答せよ、地球! こちらは*スプートニク。* こちらはスプートニク。 聞こえるか、地球。 窓からは、今、君が見える。 青い、青い、湖の底のように青い、 僕のふるさと。 元気でいるか。 僕のなつかしい山々は、 燃えるような夕暮れ、 あの夏の日の、たくさんの思い出は。 困ったことはないか? 苦しくはないか? 足りているか?食料は? 水は?空気は?樹々を揺らす風は? 熱い涙は? 愛は?希望は?明日への想いは? そのことだけが、気がかりだ。 僕は大丈夫。 まだまだ飛んでゆける。 遥かな地球の未来をめざして、 どこまでも飛んでゆける。 こちらはスプートニク。 こちらはスプートニク。 応答せよ、応答せよ、地球! 応答せよ、僕のふるさと。 * スプートニク * 1957年11月3日。旧ソビエト連邦、バイコヌール宇宙基地より打ち上げられた人工衛星「スプートニク2号」。 乗員として、始めて哺乳類ライカ犬一頭が選ばれた。宇宙の遥か果てを目指して。遥かな地球の未来を夢見て。 が、翌年1月4日冷たい宇宙の中で消滅した。 如月小春さん脚本の「ボクンチ2002」から抜粋した文章の一部です。 何かを感じませんか?私と共感できた人・・・。いますか?言葉に出来ません、 心が震えます。何度読んでも涙があふれ出てきます。 ■ 2000.8.12 ■ |
目の前に広がる暗闇にいつも不安を抱いていたあの頃、 色んなものが妙に鋭角的に見えたものだ。 しかし、いつしかその感覚は丸みを帯び、周りからも 好意的に見られるようになってきた。 今、自分自信に問う時が来たようにおもう。 ■ 1991.10 ■ |
一年ほど前、清涼飲料水のコマーシャルでこんなのがありました。 3〜4歳の男の子が我侭を言ってます。それに耐え兼ねた若いお母さんが ヒステリックに怒鳴りつけて叱っている・・・。良くある光景ですよね。 (ところが、ここからです。) それを見ていた、10代後半くらいの若者たちが (鼻輪をつけて茶髪です。) 何を思ったか、突然唄いながら踊り始めるのです。 そんな叱り方は良くない、あんたは悪者、むちゃ頭にくるみたいな感じで。 そして最後に満足して主役の飲み物を飲み干しこのCMは終わります。 ええ、このCMの作者の言わんとすること良く分かります。でも、多分 この人はまだ子供のいない人、もしくはあまり子育てに参加したことが無い人 ではないかと思うのです。 私も4歳と2歳の男の子がいます。とてもわんぱくで、上のような光景は 毎日当たり前のように見ていますし、自分でもヒステリックになることもあります。 当事者じゃないと分からないんですよね。で、こんな風にしかると 子供がひねくれて不良になる?親と子の絆ってそんな簡単なものじゃ ありませんよ。次の瞬間にはけろっとしていて抱き着いてきます。 ムツゴロウさんみたいに「よぉ〜しぃっ!よぉ〜しぃっ!」ってやると なんかホームドラマーって感じです。 第三者からするとかなり不愉快なんでしょうね。母親のあの態度。 私はすごい信頼関係を感じるんですが・・・・。 ■ 2000.5.25 ■ |
たしか大学3年の頃からです。女性だけを描きはじめたのは。 それ以外のものはまったく描かなくなりました。 「なぜ?」という問いには、「それしか描きたくなくなったかったから。」 としか答えられません。他にもっと皆さんが納得されるような説明の 言葉があるでしょうが、しかし、それらは先の文章を修飾するだけの ものですし、これ以上何かをつけたすとまったくの嘘っぱちになって しまうと思うからです。 たとえ話をしましょう。 展覧会会場でお客様が、こう尋ねられました。 「なぜ、ここに壁を描いたのですか?」 「なぜ、この女性は裸なのですか?」 作者によってはうまく答える人もいると思います。しかし、果たしてそれらの 答えは言葉に出来るものなのでしょうか?私達は自分の考えていることを うまく言葉などで表現できないからこそ、絵を描きその何かを伝えようと しているのではないでしょうか? 多分、言葉巧みに説明している人達(絵描きさん)も、それはそれで 分かっていて、だから適当に(まったくの嘘っぱちではないと思うけど) 答えているのだと思います。 だから本来、絵しか描けない私にその出来あがった作品について質問 することなどナンセンスなのです。もし私が何かを答えたとすると、 その答え自体がひとつの作品なのだと思ってください。そうすれば 突拍子も無い台詞や態度にも驚かされることは少なくなると思います。 女優の石原真理子や画家の岡本太郎が、テレビで面白おかしく 変人扱いされていますよね。 でもね、自分を偽ったり飾ったりすることを当然に、ごく自然に生きている大人達、 世間一般の既成概念にとらわれず、たまには素直な自分を取り戻して! そして精神を開放するのです。そうすれば、もっとたくさんの感動と巡り会えると思います。 絵を鑑賞する時って理屈なんていらない。観たままを感じればいいのです。 何も感じなければそれはそれでいいのです。 ■ 1988.4 ■ |
私は小学校低学年の時、徒競走はいつもビリでした。 マラソンなんてもってのほか、とにかく病気ばかりしていて 学校にもろくに行って無かったので 体育どころか普通の学科の成績もあまりよくありませんでした。 ただ、美術だけ誰にも負けませんでした。 絵を描くことはとてもうまくて、近隣の小学校にまで 名前は知れ渡っていたようです。 バランスがとれていることってとても素晴らしいことです。 神様が我々に与えてくださった、最高のプレゼントです。 プラス、マイナス、イコール、ゼロ。 プラスが多すぎてもマイナスが多すぎても、どこかが必ずおかしくなる。 ただ、このことは意識していないとどちらかが飽和状態に なるまではなかなか誰も気づかない。 ゼロっていう言葉の意味。 とても大切な、何も無いってこと。 ■ 2000.5.22 ■ |
ドライブやキャンプで、海や山に行く機会も多い咋今、 都会の雑踏の中で暮らす我々は、その時、大自然の雄大さに何かを感じるはずだ。 毎日通学している道路。よく見ると、アスファルトの継ぎ目から雑草が、 そしてけなげにも黄色い花を咲かせている。私たちは何かを感じるはずだ。 知らない人と友達になった。欲しいものが手に入った。バスでおじいさんに席をゆずった。 恋愛映画を観て泣いた。みんな、みんな何かを感じて毎日生きている。 そしてそれらの幾つかは、心を大きく動かすほどの何かかも知れない。 でも私たちは、その心動かされ泣いたこと、 笑ったこと不安になったこと、その根本的な原因などいちいち考えない。 ただ、雄大な自然に涙する。 果たして「あの手前の山の角度がその後ろの夕日に影響して・・」 なんて分析しながら感動する人っているだろうか?自然学者や評論家などはそうなんだろうか? でも、もしそうだとしたら・・・可哀想だよね。 芸術?作品を鑑賞するときだってそう、理屈なんて何もいらない。 ただ何かを感じるかどうか。何も感じなきゃ、それはそれでいいんじゃないのかなぁ。 そんなに難しい顔して何も無い所に何かを見つけだそうとしなくたって・・・。 そして、その何かの原因を追求しなくたって・・・・。 ■ 1999.5 ■ |