美しき空席


  それは、月の美しい土曜日の夜でした。まだ、日本と言う国が旅行の自由化を始めて五,六年しか経っていない昭和四十五年頃の渡航先でのお話です。
私は、現地の日系人とドライブに出て、眼下に海を見下ろす瀟洒なレストランで夕食をとりました。そこに入ってすぐ目に付いたのは、花をいっぱい飾って、二本の特別に大きなローソクを点した窓辺のテーブルでした。言うまでもなく予約席です。私たちは、その近くに案内されたが、どんな人たちがこのテーブルに着くかしら、そして、今宵、何を祝おうとしてるのかしらと、非常に興味をそそられました。花は、純白の百合や菊、カーネーションといったものばかり、ローソクは、二時間たっぷり持つもので、窓から吹き上げる潮風にも消える気配の無い大きさでした。
私たちは、ゆっくり食事をとりましたが、とうとう最後のデザートになっても、予約席には、誰も現れません。ローソクは、すっかり短くなりました。
それでもたいして気にも留めていなかったのですが、気が付くと、マネージャーと給仕長はそこを通りかかるたびに立ち止まって情のこもったまなざしで、そこだけぽつんと空いているテーブルをじっと見つめているのです。それがいかにも優しくて、それでいて妙にもの哀しそうなので、私はマネージャーに聞かずには、いられませんでした。
すると、哀しいいわれがあったのです。
[ちょうど五年前の今夜でした。結婚式を挙げた若夫婦が、このテーブルでお祝いの食事をなさいました。ローガンさんと言う舟の乗組員のご夫婦で、やはり今夜のように花を飾りローソクを立てましてね、とても幸福そうでしたから私どももはっきり記憶しているのです。次の年の記念日にもやはり二人でみえたのですよ。そして同じテーブルで食事をなさったのですが、三年目には五ドルの為替と電報が来たのです。奥さんは乳がんでなくなられ、自分は航海中で来られない、しかし、あのテーブルは自分たちの為に予約しておいてくれないか、と言う文面でした。あの清らかな美しい奥さんが・・・・・・と、私どもは、びっくりしてご希望どうりしたのですが、それから毎年きまって、為替と電報が来るのです。去年は横浜、今年は、ロンドンからまいりました。きっと今ごろローガンさんは遠くの空で亡くなった奥さんの事を思っておいででしょうね。]
そう話すマネージャーの話を聞きながら、何と素晴らしい話しなのだろう。私は深く心をたれました。それと同時にマネージャーの心遣いを嬉しく思いました。卓上に飾られた花代だけでも五ドル以上のものでしたから・・・・・
もっと話を聞いているうちに、この五ドルの為替がそっくりローガンさんの奥さんが眠っている教会に年々寄付されている事を知って私も同席の日系人も、人の心の美しさに益々、感動してしまいました。花を飾った中で大きなローソクの炎が、かっての日の優しい愛情に結びついていく美談は、まるで現実を超越した一遍の詩を誘うような美しい話ではないでしょうか。


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