〜 「涙」の歌謡曲 〜

〜 なぜタイトルに「涙」が必要か 〜

タイトルに「涙」というキーワードを使った歌謡曲のタイトルは非常に多い。

涙の連絡船
酒は涙か溜息か
涙の渡り鳥
すみれ色の涙
涙のリクエスト
なみだ恋
etc....

編集長がざっと思いつくままに挙げてみただけでもこれだけあるが、
これほどまでに多用されるのはなぜだろうか?

いわゆる日本語の慣用表現で、ある種の感動を喚起させるものとして、
「愛と涙の…」とか「汗と涙の…」などという表現があるが、
ここで感じられるのは、「涙」という言葉の持つ非常な便利さである。
つまり、「愛と涙の…」という表現をとっても、その表現から「涙」
の文字を抜くと、途端にその表現はどこか嘘臭くなる。
「涙」という人間の生理現象を合せて表現することで、その表現その
ものが実にいきいきしたものとして私たちの心に訴えかけてくる。
また「汗と涙の…」の表現でも同様のことが言える。
試しにこの表現から「涙」を抜いてみればいい。
「汗の…」。
これでは、ただ汗臭いだけで、どんな情緒もぶっとんでしまう。
「汗」の後に「涙」とつけるだけで、その「汗」がガラリとイメージUPし、
さらにその美しさすら、強く印象づけられるのである。

こうした「涙」という言葉の持つ魔術性とでも言えるような性格は、
主にイメージ戦略が大切な歌謡曲には持ってこいということができる。
「涙の連絡船」から「涙」を抜いてみればいい。単なる「連絡船」という
タイトルから受けるイメージはかなり拡散するであろう。
だが、歌そのものの求心力は弱まる。

また、「涙」という言葉を掲げた歌謡曲は大体において、男女の別れ
を歌い込んだものである。恋愛の終焉という、情念と愛憎でぐちゃぐちゃ
になってしまった世界をイッキに浄化するには、「涙」の持つハタラキが
必須である。怒ったり悲しかったりする時、大泣きに泣いて、それで気が
晴れた… という経験は誰にもあるだろう。このように「涙」にはある種の
激昂した感情のカタルシス作用がある。
その点で、別れの歌のタイトルに「涙」を盛り込むことは、既に終わって
しまった不幸を、過去のものとして、「次の異性を探そ!次!」という前向
な決意を内側に喚起させるもの…と言ってもよいだろう。(ホンマか?)