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最初はどうなるかと思われたぐらいシリアスな話も結局は大爆笑で終了。 続いて披露されたのは以前のツアーでも意外に好評であったGSメドレー。 ジャガーズ、ゴールデン・カップス、タイガース、 スパイダース、ブルーコメッツとあの時代、キラ星の如く光り輝いていた有名バンドの曲をアコギで再現される、それも日本のROCKギター、カリスマ二人が大真面目に弾き、唄い、コーラスまで付けている様は圧巻という言葉が相応しい。 もちろん、馬呆らしく「ブルーシャトー」を『森トンカツ、泉ニンニク〜♪』の替え歌ヴァージョンで披露した事は言うまでもないだろう。 熱いGSメドレーの後はMCタイム。しかし、こうも度々、演奏と交互にMCがあると演奏を聴きに来たのか話(漫才トーク)を聴きに来たのか正直、判らなくなってきてしまう。 MCではチャーと後にバンド(ジョニー、ルイス&チャー 〜 ピンク・クラウド)を組む「ゴールデン・カップス」のルイス・ルイズ加部こと加部正義の話に及び、カップス時代のアイドルバンドとは思えないベースプレイに子供心に驚嘆した想い出を語っていた。(チャーがそのベースプレイをOvationで実演するという嬉しいおまけ付き) 短めのMCの後はいよいよソロコーナーへ突入。まず最初は石やんだ。 「何をやりましょうかねー?」と客席にリクエストを請えば無責任にも色々な声が方々から飛んだ。 その中の「サークルKの歌」というリクエストには「忘れましたねー」と言いながらも唄い切り、この思いがけないプレゼントに会場から大きな歓声が挙がった。 私もTVで数回見たきりのCMで流れた(CMには石やん率いるトレスアミーゴスが出演しているのだ)この曲が馬呆で聞けるなんて..とかなり興奮した。石やんもこれで緊張が和らいだのか、次に披露された曲もリラックスした雰囲気の中で石やんらしい素晴らしいものとなった。 なんでもCD化される前の曲ということで、タイトルを「ぼにんの島」というらしい。 石やんのオフィシャルHPでも大きく取り上げられているがここ最近、足繁く通っている日本の最南端、小笠原諸島の事を唄っている。いわば島唄だ。 石やん曰く小笠原を「未来を感じる数少ない場所」というだけあってこの歌にもその思いが色濃く反映されているが、この島が東京都である事は今更ながら驚きである。 また、こぼれ話として島での石やん人気は凄いらしく、今や島のCD売り上げは浜崎あゆみを抜く勢いであるとか。 本人は笑いながら語っていたが今なら本当に小笠原村の村会議員に当選するのも夢ではないかもしれない。そんな事も感じさせる小笠原への愛に溢れた歌であった。(ちなみに 「ぼにん」とは「無人」の意味である。 小笠原はその昔「無人島・ぶにんじま」と呼ばれており、この「ぶにん」が「ぼにん」となったようである。ゆえに英名は「BONIN・ISLANDS」) 石やんの”暖かい”演奏の後は、おまちかねチャーのソロコーナー。この時、ギターはGibsonのES295に持ち替えられていた。 「RESTAURANT」と曲名がコールされると「おおー」と歓声が挙がったが、私には聞き覚えの無い曲である。 チャーにしては珍しい、というか初めて聴いたボサノバ調のインストは新鮮であったが、長いイントロが終わり歌が始まるとそのオシャレな印象は一変。名古屋だけに 「名古屋市内のレストラン、なんでも味噌味のレストラン」 という歌詞は的を得ているだけに思わず笑ってしまった。 「Restauran」直後のMCでも、名古屋の食文化についてのチャーなりの考察(というか悪口に近いが..笑)もあり、その後は曲作りへと話が及んだ。 そこで話に登場してきたのが元米米クラブのカール・スモーキー石井こと「鉄平ちゃん」(なぜ、カール・スモーキーを鉄平ちゃんとチャーが呼ぶのか、未だ謎なのだが)。 その鉄平ちゃんはチャーが江戸屋レーベル設立の頃、チャーのスタジオを訪れて度々こう言ったそうだ。 「チャーさん 、何かいい曲ないっスか?」 それで鉄平が詞を付けた曲がこれです。と披露されたのがなんと私のフェーバリットソング「ALL AROUND ME」。 「エロイですよ」 と紹介していただけにその日本語詞はホテルでのHを(表現をぼかしながらも)的確に描写しているのは流石、カール・スモーキーと言ったところか。 後日、ネットで調べた処、この曲のタイトルを「2918」と言うのは判ったが、きっと「2918」というのはそのホテルのルームナンバーからきているのだろう。 「2918」の後は、チャーが唯一、フォークソングで影響を受けたというニール・ヤングの「ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART」を石やん、MAC清水氏をステージに招き入れ共に演奏。 チャーがニール・ヤングというのは少々、意外であったがこの曲も昔、TVで聴いて心に残っていたとか。 ちなみに石やんはこの時、ギターをマーチンに持ち替えていたように思う。 チャーがカバー曲をやれば私も...という訳ではないだろうが、今度は石やんがカバー曲に挑戦した。 それも選曲がアイルランドのヴァン・モリソンの「CRAZY LOVE」というから渋いではないか。アイルランド=ケルトミュージック好きな私としてもヴァン・モリソンは挑戦してみたいと思っていたアーティストだっただけにこのカバーは嬉しいばかり。 私にとって「音楽の新たな扉」を開いてくれた感じである。 (曲紹介時の「昼なのにヴァン(晩)・モリソン」「夏でもサム(寒)・クック」「ウ○コ緩くてゲイリー・ムーア」のダジャレ攻撃には大いに笑わせてもらいました。) 石やんの暖かい唄声とチャーのES295の音色が場内の体感温度を2、3度押し上げた後は、間髪を入れずにリズムマシーンがお馴染みのリズムを弾き出す。 それに合わせて石やんのコードカッティング、チャーのアルペジオが奏でられると馬呆ファンならもうお馴染み「BLACK SHOES」だ。 しかし、今宵の「BLACK SHOES」はチト違う。普段ならチャーのソロの後、「気絶するほど悩ましい」に繋がっていく処なのだが、パーカッションでMAC清水氏が参加していることもあって存分に氏のボンゴ・ソロがここで披露された。 私にとってMAC清水氏の演奏を生で聴くのは初めてだと思うが、ボンゴの生演奏も含め貴重であった。 なにせMAC清水氏は馬呆・オリジナルパーカショニスト。はじめて「完全なる馬呆」に出逢ったような気がしたのだ。 MAC清水氏入魂のボンゴソロの後はいつものようにチャーの独壇場「気絶するほど悩ましい」。石やんのジャズライクなフレージングが冴えるソロが醸し出す雰囲気に、もはやこのこの曲にアイドル時代の面影は感じられない。 「気絶するほど悩ましい」から再び「Black Shoes」へ。一連のメドレーが終われば、石やんのコードカッティングが場内に響き渡る。 それに呼応するかのように迫力あるMAC清水氏のドラムが加わり音の洪水は束となって我々に押し寄せた。 石やんオリジナルの「ラ・ジ・カ・セ」は元々、踊り出したくなるような軽快な曲だが、今回はドラムが加わった事でやや重厚さが増したように感じた。 言うなれば『プラスチック表面なラジカセ』から質実剛健『メタルプレートなラジカセ』に変貌を遂げた感じか。そんな気がする。 15曲目の「ANYTIME」は生で聴くのは何年ぶりだろうか。前回から少なくとも10年以上は時間が経過しているだけにこの選曲も個人的に嬉しいばかりであった。 特にイントロの部分はここ何年か私も実際に練習してきただけにその思いも一入だ。 コーラスの「エニイタイム、タイム、タイム、ターイム♪」。私も嬉々として唄った。 MAC清水氏の軽快なリズムの中、始まった16曲目は石やんのヒットナンバー「HAPPINESS」。 チャーのソロが冴え渡り、石やんの「Let me hear you say」掛け声で、恒例のステージと客席一体の『コール&レスポンス』が始まる。 流石にこの頃になると着席していた客も立ち上がって盛り上がりに拍車がかかるものだがなぜか今回は右半分の前の方しか立っていない。 あれっ、盛り上がっていないのかな。特に、石やん側で立つ人が皆無なのは悲しい。私も立ち上がりたかったが周りの雰囲気がそれを許さなかった。 『コール&レスポンス』は「Yeah〜」がどれだけ長く言えるかという耐久レースから「Yeah〜」の掛け合いとシンプルであったが驚いたのはその間にチャーがギターから白のFenderJazzBass(フレットレスらしい)に持ち替えてブイブイ言わせていた事である。 ライヴ中ずっと舞台袖に見えていたギターらしきヘッド部分は気にはなっていたがまさかベースとは思わなかったのだ。 前回のツアーでは同じように「HAPPINESS」でコンガを叩きまくっていたチャー。しかし、普段、レコーディング等で慣れ親しんだベースだと演奏にも卒がない。それにこのチャーのベース演奏には更なるサプライズがあった。石やんが 「ベーシストを紹介しましょう、ラリー・ナマハム」 と始まったのがなんと「チョッパーベース」奏法。 チャーがベースを弾くのを見るのはもちろん、チョッパーをするなんていうのは初めて聴いた為アドレナリンがこの時ばかりは激しく沸騰した。 演奏そのものはベーシストがやりそうな感じというより、もっとメロディアスなギタリストらしい”フレーズを大切にした”ものであったというのも何か嬉しかった。(説明するまでもないですが 「チョッパーベース」奏法の創始者がラリー・グラハム。、ラリー・ナマハムはその創始者から頂いている) やがて「BAHO♪ 、BAHO♪ 、BAHO♪」というコール&レスポンスが進む中、チャー、石やん、MAC清水氏が一旦、退場。 主役陣が不在の中、それでも会場は「BAHO♪ 、BAHO♪ 、BAHO♪」という自主的コーラスが木霊する。 2分ぐらいそんな状態が続いたであろうか。MAC清水氏のドラム、チャーのベースが再び演奏を開始すれば先ほどの熱い宴が蘇った。 然も、我々観客はずっと「BAHO♪ BAHO♪ BAHO♪」というコーラスを続けているのだ。そこに石やんの 「欲しいものは♪」「BAHO♪」 「聴きたいものは♪」「BAHO♪」 「見たいものは♪」「BAHO♪」 「みんなで一緒に♪」「BAHO♪」 などとバッチリはまる仕組み。巧く考えていらっしゃる。 ひとしきりコーラス構成に感心した後はブルーズっぽいリフで始まったお馴染み「UNCLE JACK」。 チャー主導の曲ゆえ、ソロもROCK的だがこの曲の見所、聞き所は中盤のチャーのブルースハープ、石やんの口合わせソロ(ギターのフレーズラインを口ずさみながら弾くお馴染みのもの)である。 ラストはギターの掛け合い、そしてユニゾンで早いフレーズを弾ききってエンド。 石やん、チャーのお互いのメンバー紹介の後、ステージを捌けていった。 鳴りやまない激しい手拍子の中、わずかなブレイクを挟んでステージに再登場した3人。 チャーは相変わらずベースを持ったままだ。 そんな状態で始まったのは再び聞き慣れない曲。 「IKO(アイコ) IKO(アイコ)」という歌詞が印象的だがカバーだろうか。それにしては歌詞が日本語なのだが.....(後日、Dr.ジョンの「IKO IKO」と判明)どちらにしても石やんが好きそうなR&Bな曲であった。 19曲目は「上を向いて歩こう」。 ステージ上方から歌詞が書かれた幕が下りてきた。これで思い出されるのは、以前のツアーで行った事のある『歌詞を漢字とひらがなで分けて、唄い合う』という、いわゆる「漢字ひらがな対決」である。 見本とばかりに初めはチャーと石やんがそれぞれ、漢字、ひらがなと分けて見事、唄い上げていったがそれが終わると案の定、私達、観客も強制参加となった(笑) その振分け方は男、女でという前回と同じ方法。 もちろん、「オカマの方は両方唄ってもいいんだよ」というクスグリを忘れないのも馬呆流だ。 前回も思ったが、こういう趣向での唄い初めは周りへの気恥ずかしさもあって躊躇してしまうのだが慣れてくると気持ちよくなってきてしまから不思議である。 学生時代なら音楽の時間に普通に行われていた合唱もオトナになればそんな機会など滅多にない。そう考えると、今の時代、大きな声でフランクに唄い合える場所というのも必要なのではと思ってしまった。 カラオケのように自分の選曲に忙しかったりヘンに緊張したりするよりはよっぽど健康的なのかもしれない。やはり「歌声喫茶」復活ですか? 観客参加型の曲が終われば、そろそろオーラスか。という雰囲気の中、披露されたのは馬呆唯一のオリジナルアルバム「TREMENDOUS」にも収録されている「BAHO'S RAG」。 この曲を聴くのも久しぶりだ。双方のソロをふんだんに散りばめた長目のイントロが実に心地よいが私はこの曲を聴くといつも土曜日の昼、TVでやっていった「吉本新喜劇」を思い出してしまう。 学校を半ドンで家に帰ってくるといつもやっていた、あの頃の「吉本新喜劇」である。 メロディラインが吉本のテーマソングに似ているのだろうか。ちょっと気になる。そんな事が頭を掠めながらも穏やかな雰囲気の中、ライヴは遂に終了。 チャー、石やん、MAC清水の3氏は深々と礼をしてステージを降りていった。 気が付けば2時間半以上の長丁場。 私の馬呆のライヴ参戦歴の中でも最長のものとなった。 レポート冒頭でも書いたように、今回のライヴツアーは馬呆結成15年の集大成になるという事だったが「3弦ギター」「HARD ROZZ」「ベンチャーズ・メドレー」「GSメドレー」「漢字ひらがな対決」と見事に以前、披露したネタばかり。 馬呆入門者には「オール・ザット・馬呆」という感じで、こんなお得な、そして楽しいライヴはなかったと思うがファン歴10年以上のベテランにはやや物足りなかったのかもしれない。 それを察知してか、普段よりもトーク・MCに割かれる時間もずっと多く、工夫も感じられ腹抱えて笑わしてもらったがそれと同時にある一つの危機感も頭を擡げてきてしまった。 「もしかしてチャーは馬呆を止めるつもりではないのか?」 チャーは今年になって雑誌誌上でしきりに「区切り」という言葉を使ってファンの間で物議を醸しだしていたがその言葉はこの馬呆にも適用されるのではないのか?と。 奇しくも今年で切りの良い「結成15年」。何か特別な動きがあってもおかしくないタイミングである。 しかし、ライヴも後半になればなるほど今までに無かった趣向や選曲と今後の馬呆を占う上でも重要な場面が多く展開されたと思う。 そう言えば以前、雑誌のインタビューでチャーと石やんはこう答えていた。 「目指すは演芸ですかね(笑)。いやマジで。 将来は老人ホームの慰問ですよ。音楽と笑いというのはボケや病を癒すものだから。 ましてや音楽は若い時には誰でものめり込んだ事があるんだから。 今、団塊の世代といわれるヤツらは、あと20年もしたらただの老人だぜ。 その時まで俺らは現役で頑張ると。心のお医者さんとしてのBAHOですね.......コンピュータについていけないとなった時に、何を楽しみにすればいいのかとなると、俺たちが生でいくしかないじゃん。」 「それで どこかの落ち込んでいる人とかを元気づけてあげられるなら、嬉しい仕事だと思うよ。」 そしてチャーはこうも答えていた。 「ひとりでやるよりふたりの方が楽しいよ」 そう、この「ふたりの方が楽しい」というのが馬呆にとって重要なキーワードであると思う。 だからこそこれだけ馬呆が長く続いてきた訳であるし、ステージと客席で いつも笑いが絶えないのは正に「楽しさ」が素直に現れた結果である。 人間、”苦しい”事は1秒だってしたくはないが、”楽しい”事は永遠に続いて欲しいと思うもの。そう考えればこんな”楽しい”筈の馬呆を止めてしまおうなど考えに及ばないだろう。 それにバンドのように始終、一緒にいる訳でもなく、それぞれがソロや別バンドで確固たる地位を築いているというのも重要だろう。そして気が向いた時に合流して馬呆を再開する。この気安さも長続きしている秘訣である思う。 そういう意味で今回のライヴはあのオッチャンたちの「まだまだやりまっせ」という気概を示したものであったのかもしれない。そう思えるのだ。 |
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