梶芽衣子
トークショー&ミニライヴ







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 2003年キル・ビル(Kill Bill )Vol.1が公開された。

 アメリカ、日本を舞台としたこの映画はユマ・サーマンやダリル・ハンナ らと共に、千葉真一、栗山千明、國村隼、北村一輝などが 大挙出演して大きな話題となった。
 そして−もう一つ話題となったのが、劇中とエンディングに流れた 日本語曲。それは女優 梶芽衣子が唄う「修羅の花」と「怨み節」で あった。
 「修羅の花」は映画修羅雪姫の主題歌であり、「怨み節」は 映画女囚701号 さそりの主題歌である。
 もちろん、両作とも梶芽衣子が主演で大ヒットした作品であった。
(なお、『キル・ビル』は『修羅雪姫』をオマージュしたと言われており 主人公、ザ・ブライドは『修羅雪姫』の主人公−鹿島雪に重なる部分が多い。)

 私も『キル・ビル』は公開時、劇場に見に行ったが、情報として知っていたものの 映画の最後に、あの「怨み節」が聞こえてきた時はやっぱり、シビレたのだった。




 あれから既に12年。

 まさか あの曲を生で聞ける機会が来ようとは.....。
数日前の新聞の折込広告に、近所のイオンモールにあの梶芽衣子が来場し イベントをやると見つけた時は目を疑った程だった。だからこそ、この機会は逃すまいと この日が来るのを心待ちにしていたのだった。


 会場のイオンには自転車で向かった。
今回の企画は、このイオンがリフレッシュオープン1周年を記念して行われる ものの一つで、昨日(9月12日)は大川栄策さんが来店していた。
 梶さんのトークショー&ミニライヴはこの企画のトリでもある。


 イベントが行われる4階G.Gモールイベントスペースには開演40分前に 到着した。
 すると、ステージ前に並べられたパイプ椅子には......全く空きがなく、 満員状態であった。予想以上の盛況具合に吃驚した。
 その客層は、やはりというか案の定というか、かなり高め。
女優 梶芽衣子と共に歩んできた人たちという感じであった。
 自分は後ろの一列目に陣取り、立ち見と決め込んだが、過去の数々のイベントや スタンディングのライヴに比べれば大したことはない。

 予定開始時間の14時半。
 SEとして流されていた「修羅の花」や「怨み節」が消され MCの女性の方に促された梶さんが登場した。
 白のジャケットに、白のスラックス(?)を身に包んだ梶さんの女優オーラは 当たり前だが、ハンパなかった。
 だが話始めると、フジテレビのアウトデラックスに出演して話題になったあの 砕けたトーンで終始、観客を沸かせた。
 今年、デビューして50周年という梶芽衣子さん。
話はそのデビューの頃に遡った。高校二年生の時、街角でスカウトされたという梶さん。
 その始まりは、意外にもモデルであったようだ。だが、間違いなく当時からクールビューティで あった梶さんであるからして、大いに納得であった。
 梶さんは学生の身分でモデルの仕事はとてもじゃないが、無理だと最初は断ったようだが、 土日だけの仕事だからと説得され、業界入りしたようである。
 ヤング雑誌や、デパートの商品カタログモデルをしたという当時のギャラは1万円。
 50年前の1万円である。現在の価値にして、20万ぐらいか? 高校生のバイトにしては最高であったと 述懐していた。その後、女優になって逆に給料が下がってしまったとも言って笑ったが(笑)。
 所属事務所が解散したのを機に、次に入ったのがアナウンサーの高橋圭三氏が設立した 圭三プロダクション。アナウンサーの、しゃべりが中心の事務所に入っていたのは私も驚いたが、 ご本人も未だ不思議がっていたのが印象的だった。
 その後、あるTV番組に出演した際、日活のスカウト委員会の一人がその現場に居た事で、ここでも スカウトを受け、晴れて日活と新人契約に至ったという事だった。
 だが、この新人時代は梶さんにとってキツく、かなり苦労されたようであった。
当時は5社協定(日活、東映、東宝、松竹、大映)もあり、他社作品には契約で5年間は出られず、 かつ新人ゆえ、様々な作品に使いまわされたという話 ― 例えば今日は、ヒロイン役かと 思えば、明日は死体役と目まぐるしく忙しい日々を過ごした事を振り返った。
 wikiを見ても、新人時代にかなり苦労されたのは明らかだが、何のレッスンもなく撮影現場に 放り込まれ、「ギャラが発生しているプロなんだから出来ない、無理は言うな。」とスタッフに 凄まれチョ〜怖かったというのも凄いが、撮影用の衣装を、倉庫で自分で探したというのは 驚いた。スタイリストはまだ あの当時は居なかったのか?それとも 新人には分相応で無かったのか。
(おそらく後者なんだろう。)
 また、同期である渡哲也さんとのエピソードはとても興味深かった。
同じく新人時代、日活の撮影所(調布)から直近の駅(布田)によく一緒に歩いて帰っていたが、 当時は舗装もされていない駅へのあぜ道を歩いていると、いわゆるスターさんがキャデラックだベンツで 颯爽と走り去っていくのを見ながら 梶さんは渡さんにこう尋ねたそうだ。

 「ああいう車に乗るようになるまで、(仕事を)やるの?」

すると渡さんは

 「(役者は)男子一生の仕事にあらず」と言っていたとか。

 しかし、二人ともこうして50年も続けてきたのは、これまた不思議と感慨深く語っていた。


 トークショー後半になって、MCの方が興味深い質問をされた。

 「今まで、出会った俳優で、この人はカッコ良かった!というのは誰ですか?」

 これに対し、梶さんは一人には絞り切れないが ― と断わりながら数々のスター俳優との交流を 語った。
 まずは石原裕次郎さん。新人時代、日活撮影所の食堂(自分が大林映画にエキストラ参加した時に入った、あの食堂か!)で スタッフに紹介された際、石原さんは席を立ち、頭を垂れるほど丁寧に挨拶された事。
 また三船プロでの仕事が入った時、撮影所(調布市入間町にあったという専用スタジオか?)にタクシーで 向かい、入り口で掃除をしている”おじさん”に、何処へ行けばいいでしょうかと尋ねると、なんとそれが あの世界の三船敏郎だった。三船さんは梶さんに丁寧に挨拶し、本日の楽屋に自ら連れていったらしい。
(玄関で掃除をしている件は以前、何かの番組で娘の三船美佳さんが話していた。)
 あるいは寺内貫太郎一家にレギュラー出演していた頃、勝プロからの仕事のオファー(映画無宿高倉健共演作)があり、 京都からかなり離れた場所でロケに参加したが、待ち時間も多かった。
 その時、勝新太郎さんは、梶さんの為に三味線を弾き 気を紛らわしてくれた事を語った(勝さんは、三味線と長唄の師範である)。
 石原裕次郎、三船敏郎、勝新太郎.....。正真正銘のスター俳優である。
 梶さんは「自分は 彼らスターさんと共演できた最後の世代の俳優かもしれない」と感慨深そうに 語ったが、礼を重んじた彼らに梶さんは、名前以上の眩しさを感じたに違いない。
 それから、今も定期的に放映が続く鬼平犯科帳で主役、長谷川平蔵を演ずる中村吉右衛門氏にも 感謝を忘れなかった。25年の歴史を刻むこの時代劇は、中村吉右衛門あってのもの。歌舞伎の世界から ドラマに出て貰えて嬉しかったと率直に語ったのだった。


 一気呵成とばかり、これまでの思い出を喋り尽くした最後に、1曲唄うことを宣言された。
 すると待ってました。といわんばかりの拍手が沸き起こった。
今までは暗めの照明で自分の位置から、梶さんの顔をはっきりと捉えるのが難しかったが、 歌を唄うとなって、ステージにスポットライトが当たり、ようやく顔を確認する事が出来た。


 ステージからテーブルと椅子が片付けられた。

 その中央で、マイクを持った梶さんが唄い始めたのは「恨み節」である。
 昨夜、本日の予習とばかりYouTubeで見ていた「さそり」シリーズの映像や、歌番組での歌唱が 脳裏に蘇ってきた。当然の如く『キル・ビル』のエンディングと鑑賞した映画館の有様まで はっきりと思い出された。





 時に激しく、時に繊細に、またはドスを効かせ歌い上げる梶さんの姿は光の加減もあってか 神々しくも見えたのだった。


 熱唱を終え、「今後とも応援を宜しくお願いします」と話を締めくくると梶さんは拍手に 送られ、ステージを降りていった。




 場違いとも云える雰囲気の中、充実度の高かった45分間。
たまにはこういうのもいいのかもね。と思わずにはいられない記念に残るイベントであった。






   梶芽衣子オフィシャルブログ「あいつの好きそなブルース」








   
SET LIST
1恨み節                                       














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