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開演時間の18:30。 案の定、ライヴは始まる気配を見せない。 DJブースから ビートルズや何かのRimix曲が大音量で流され、大型ビジョンに映像が繰り返し映し出されていた。 そんな状況が変わったのは18:50頃だっただろうか。 ビジョンに映ったポール・マッカートニー愛用の巨大「ヘフナーのバイオリン・ベース」のCGに変化が見え始め、場内に流れる音楽も、開演を場内に知らせるようなものに変わっていった。 18:55。 大音量の後の突然のブレイク。 そして−それまでとは違うファンファーレのような効果音。 それを合図に、バンドのメンバーと共にポール・マッカートニーがステージに現れた。 場内は、当然ながらの大歓声がさざなみのように沸き起こった。 ポール・マッカートニーが飛び出してきた瞬間。 この視界に、ポール・マッカートニーを捉えた瞬間。 やはり ジーンとしてしまった。 TVやCM、ラジオ、数々の媒体で、生まれてからこの方、何百、何千と聞いてきたビートルズの名曲達。 自分がポール・マッカートニーを意識したのは高校ぐらいからだった。 アルバムで言えばスティービー・ワンダーと組んだ名曲「Ebony and Ivory」を収録した「タッグ・オブ・ウォー」からだったが、友人がファンだった事を一番に思い出す。 ビートルズの楽曲、オリジナルアルバム曲、全てを聞いたのは、社会人になってからのことである。 会社の同僚である友人に、当時出たばかりのCDアルバムのボックス(THE BEATLES CD Box/「PAST MASTERS VOL1/VOL2」も収録 )を1週間に2枚ずつ借りて、それをテープにダビングしていた(今も大事に保存してる)。 それがきっかけで自分のビートルズへの再評価となったのだが、そんな事が走馬灯ように思い出されてしまった。 1曲目はそれを強く意識させる曲「A Hard Day's Night」。 もちろん あのヘフナーのバイオリンベースを携えて...である。 2曲目のウイングス「Junior's Farm」の後は、ポールから日本語が飛び出した。 「ドーモ、ドーモ、ドーモ。コンバンワ ナゴヤ....」 この「ドーモ、ドーモ、ドーモ」のフレーズは、数時間前、地元ZIP-FMのラジオ番組にポールが電話出演した(名古屋のラジオ業界においては途轍もない凄い事である)際、有名DJのクリス・グレン氏が、自分の「持ちフレーズ」?である「ドーモ、ドーモ、ドーモ」を伝授したのだった。 クリス氏も、いきなり一番最初に言ったものだから、かなり驚いたらしい。その瞬間がコレである。 3曲目はまた、郷愁にかられる名曲−ビートルズ曲「Can't Buy Me Love」。 誰もが知る、子供の頃から確実に耳に届いていた曲を聞くと やっぱりタマラナイ。 その後、ポールからMCで日本語をガンバル宣言もあった(笑)。 4曲目「Letting Go」もウイングスの曲だが、この曲には特筆すべきことがあった。 エレキな音の合間に、力強く鳴り響くホーンの音。 だがステージ上には その音の張本人の姿はない。だが、それを解決する術を、左右の巨大ビジョンが提供した。 3人のホーンセクション(イギリスの「Hot City Horns」というグループ)がアリーナ席に降臨。演奏していたのだった。 今回のツアーでそのような趣向があるのは知っていたが、YouTubeで見るのと、生でその音を感じるのとはやはり全く違っていた。 残念ながら、ホーンセクションが何処にいるのか自分の席からは確認はできなかったが、もし近くだったなら、自分ならガッツポーズでも出たかも知れない(笑) 5曲目は、好評なニューアルバム「EGYPTSTATION」から「Who Cares」。 事前にポールから「シンキョクデス」と紹介したのも面白かった。 そして 6曲目。 個人的に、この曲披露が今回のライヴで白眉の瞬間であった。 曲は「Got To Get You Into My Life」である。 前述の友人からアルバムを借りて、シコシコとテープに録音していた時、出会ったのが、ビートルズ中期のアルバム「Rubber Soul」と「Revolver」。 ビートルズと言ったら、アルバムでは「Abbey Road」「Let it Be」「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」等が有名すぎるぐらいだが、それ程ではないアルバムにも、いやそんなアルバムにこそ名曲があると当時、感動したのだった。 だから「Revolver」収録のこの「Got To Get You Into My Life」が始まった時は感極まったと言っていい。 しかも、演奏のバックに流れるのは若きビートル達の躍動するアニメーション。 もはや、泣けと言わんばかりであった。 それに加えて、オリジナルを再現するかのように、ホーンセクションが曲を盛り上げる。 これには鳥肌が立ったほどであった。 7曲目は再び、新曲の「Come On To Me」。 ポールは この曲の後 「ナゴヤに来られて最高だよ。今晩が最後で、最高の夜だ。日本が大好きなんだ。」 と発言。社交辞令だとしても、ナゴヤと言ってくれることが単純に嬉しかった。 その後、バイオリンベースを下ろし、おもむろにGibson レスポールへチェンジした。 あの派手なイラストが全面に書き込まれた近年、よくステージで使用しているギターだ。 遠目に見ると、その昔、ザック・ワイルドが自分のレスポールに、ビールの王冠をいっぱい、引っ付けていたのを彷彿とさせる。 そのギターで始まったのが「Let Me Roll It」。ウィングスの曲である。 だが、この曲のエンディングには、また一つ、趣向が込められていた。 ジミ・ヘンドリックスのようなフレーズ(「Foxy Lady」)で、ポールを含むギタリスト3人でセッションが始まったのだ。 ネットの記事で「なぜ、ポールはジミヘンの曲を取り上げるのか?」というのを見掛けたが(その時は、内容は読まないようにしていたが)これだったのか! その後「最後のパートをジミ・ヘンドリクスにささげるよ。」と明確にポールは発言した。 そういえば、ポールはジミヘンがロンドンにやって来た時、追っかけみたいな事をしていたな。というロックな伝説も思い出した。 伝説が、伝説を語る。伝説が普段着で交差した60年代という時代に思いを馳せた。 ピアノに移動して始まった9曲目は アルバム「Let it Be」収録の「I've Got A Feeling」であった。 到底、76歳とは思えないロック的シャウトも飛び出し、大いに盛り上がった。 ウィングスの「Let 'Em In」を挟み、次の曲の紹介でポールが語ったのは「オクサン、ナンシーニ カキマシタ。コンバン、ココニイマス。」であった。 前夜、新幹線で名古屋入りした際の映像がTVニュースでも流されたが、その時は奥さんの姿が見当たらなかったことで、少しあらぬ憶測も流れたが、そんな杞憂は必要なかったのだ。 そして始まったのは「My Valentine」という2012年に発表した比較的、新しい曲である。 ジョニー・デップ、ナタリー・ポートマンが出演し、手話を披露するPVが左右の巨大ビジョンに流され、それが印象的であった。 PVの中では、ジョニー・デップがギターソロを披露しているのだが、それに合わせて、バンドメンバーの演奏がクロスオーバーした。 また、曲終了後にハートのハンドサインをポールの先導で一斉に掲げるのも もはやお馴染みであるようだった。 12曲目「1985」、13曲目「Maybe I'm Amazed」とピアノで歌い上げたポールはその後、今夜、初めてアコースティック・ギターを手に取った。 「後ろの人たちは聞こえる?こっちは? 反対は?」と煽った後 始まった曲は、ビートルズの「I've Just Seen A Face」であった。 全編、スネアドラムをこするブラシの音と、アコースティック・ギターの音がカントリーっぽい曲調にマッチしていて心地良い。 わずか2分余りの小曲だが、ビートルズの初期を代表する曲の一つであろう。 「ツギワ、ビートルズ、ハツ、レコーディング!」として始まったのは「In Spite Of All The Danger」。 ― ポールはビートルズと言ったが、正確にはその前身のクオリーメン時代の曲であり、実に60年前に録音されたものであった。まさか60年後、極東の小さな国の地方都市でこの曲を演奏することになるなんて思いもしなかっただろう。― それを きっかけとして始まったビートルズ初期を辿る連続技に観客はノックアウトされた。 まずは「From Me To You」。 その演奏後に、プロデューサーであったジョージ・マーティンに謝辞を述べ「アビーロードスタジオ」で初めて録音した曲と紹介したのが 17曲目「Love Me Do」であった。 あの哀愁を帯びた、ジョン・レノンのハーモニカで始まる曲だ。 ジョンは居なくとも、今宵、最もジョン・レノンの存在を感じた曲だったと言っても過言ではなかった。 その後のMCでは ポールによる「客の出身地確認 ?」が行われた。 つまり「名古屋に住んでいる人は?」「名古屋以外の人は?」というお馴染みのヤツだ(笑) ライヴでは恒例行事とも言えるが、ポール・マッカートニー・レベルでも行う事に吃驚である。 そんな観客とのレスポンスタイムを楽しんだ後は、ポールたった一人にスポットライトが当たると、アコースティック・ギターを爪弾き始めた。 それは ファンが待ち望んだ「Blackbird」であった。 ギターの一音、一音を聞き逃すまいと、静まり返るナゴヤドーム。 ポールの声とギターの音色が ドーム中に響き渡った。 我々が大きな拍手で演奏を称えると、ポールは日本語でこう言った。 「ツギワ、ジョンニ、ササゲマス」そして「ジョンが亡くなった後に書いたんだ。」と大型ビジョンに日本語訳が示された。 (今回のライヴは、ポールの話した内容が即座に訳されて左右の大型ビジョンに表示されるようになっていた。どうやら、最終日にしてその訳の精度も上がってきていたという評判を後で聞いた。) 其処で歌われたのは「Here Today」。 まさにジョン・レノンが亡くなった後(1982年)にリリースされたアルバム「タッグ・オブ・ウォー」に収録された、1曲であった。 「Love Me Do」がジョンの存在を意識した曲なら、この「Here Today」はポールのジョンへの思いを強く意識した曲となった。 20曲目は昔、PVを見たことがあったな−と思い出した「Queenie Eye」。 なぜ 覚えていたか?と言えば、このPVの出演者の豪華さが群を抜いていたからに他ならないからである。 ジョニー・デップ、メリル・ストリープ、ケイト・モス....またもや此処でもジョニー・デップが目立っているが、この友好関係が後に「パイレーツ・オブ・カリビアン:最後の海賊」出演に繋がったのだろう。 また この曲の後の、ポールの観客とのコール&レスポンスにも驚かされるばかりだった。 「Yeah !」「Yeah !!」「All right!!!」「Yeah 〜!!」 76歳という年齢など、もはや意味を為さなかった。 勢いそのままに 次のビートルズ曲「Lady Madonna」へと雪崩れこんだ。 ポールが奏でる 軽快なピアノのリズムに思わず踊りそうになるぐらいであった。 ここでも曲中盤に ホーン隊によるソロもあり、ホーン隊の見せ場が多かった。 それゆえオリジナルよりも幾分か、ブラッシュアップしている印象であった。 オルガンから離れ再び、アコースティックギターを手に取ったポール・マッカートニー。 一体、何が始まるんだ?と思ったら、この曲 −「Eleanor Rigby」であったのだ。 これまた大好きなアルバム「Revolber」収録の超有名曲である。 ストリングス(弦楽八重奏)が特に印象が強い曲だけに、アコースティックギターだけで再現しているのは新鮮な驚きだった。(もちろん、ストリングス部分はシンセサイザーで鳴らしているが) それに、ポールの横には今曲、演奏の必要がないドラムのエイブまでがコーラスに参加しているのも見どころであり、聞き所であった。正にアンサンブルの妙である。 「Eleanor Rigby」の後には 遂にアレが飛び出した。 「ツギモ、シンキョク、ダガヤ!」 そう、名古屋弁である(笑) ポールはかっての日本公演で、地方公演を行う場合(大阪、福岡)地元の言葉を必ずMCに取り込んで、観客を喜ばせてきただけにこの名古屋では 何を言うのか期待されてきたのである。 名古屋人には お馴染みな「〜 だがや」ときたか −と思わず大笑い。会場も大きく盛り上がった。 シンキョク「Fuh You」を終えると次曲が「サージェント・ペパーズ〜」アルバムから〜と伝えられると それだけで場内が湧いた。 24曲目は「Being For The Benefit Of Mr. Kite! 」 ギターから今度は、ポール・マッカートニーにはお馴染みのウクレレが手に握られている。−という事は次はあの曲か。 するとポールはこう言った。 「ジョージがウクレレが上手かったって、知ってたかな ?」 ジョージとの、次曲の思い出も語られた。 ポールがそんな想い出深いウクレレ(ジョージに貰った物らしい)を爪弾きながら、歌い出したのがジョージ・ハリスンの代表曲である「Something」であった。 この曲が、ポールによるウクレレ・スタートで演奏するようになったのは2002年のジョージの追悼コンサート『Concert for George』がきっかけであった。 それに1991年のエリック・クラプトン・バンドを引き連れてジョージが唯一のソロ日本公演を行った時、この曲は6曲目に披露した−ということも思い出した。 名古屋市国際展示場(「ポートメッセなごや」)に、会社から必死に原チャリで向かったあの日、今もまざまざと思い出す。 あれから27年。ジョージが亡くなって今月末(2018.11)で17年が経とうとしている。この現実にただただ、慄くしか無かった。 前半をウクレレで、中盤にはバンドが交じるとアコースティック・ギターを弾いたポールは演奏後、こんな事も言って我々を感動させたのだった。 「ジョージ、この美しい曲を書いてくれてありがとう。」 それに 日本語でこんな事を言うものだから 大いに盛り上がる。 「次はみんなに歌ってほしい。イッショニ、ウタオウヨ!」 始まった26曲目は「Ob-La-Di, Ob-La-Da」であった。 小躍りしたくなるようなこの曲、盛り上がらない訳がない。 ポールがMCで呼びかけたように、曲後半は 「Ob la di ob la da life goes on bra ♪」 「La la how their life goes on ♪♪」 を3万人以上で大合唱。感動的なシーンであった。 この盛り上がりにポールも気分が良くなったのか 唐突にまたアレが飛び出した。 「デラ、サイコー!」「デラ、サイコー!!!」 2回目の名古屋弁が! それも2回も(笑)。 2回目の「デラ、サイコー!」なんて 絶叫気味、シャウト気味でこちらこそサイコー!という気持ちであった。 そんな最高な状況で始まった27曲目。 それは、ウイングスの代表曲とも言えるアノ曲だ。 「Band On The Run」。 1980年、ウイングスは初来日公演を行い、ここ名古屋でも愛知県体育館で2日間のライヴを行う予定になっていた。 しかし、あの事件で来日公演は全て中止となったのはご承知の通りである。 今、この会場には、あの公演に行く予定だった人もきっと居るだろう。また、その1980年の公演に行くつもりで、今日、初めてポール・マッカートニーを見たという人にとっては実に38年ぶりのターン、リヴェンジだったという事になる。 そんな人には この「Band On The Run」はきっと、いろいろと去来するものがあったのではないだろうか。 そんな想像も出来た価値ある1曲であった。 「アリガトウ!」と日本語で感謝を伝えるとライブは早くも、後半戦に入った。 場内の巨大スピーカーから ジェット機のエンジン音が響き渡る。 そうなれば、察しの良いファンなら誰もが気付く。 28曲目は「Back In The U.S.S.R.」であった。 激しく光り輝くステージ、次々と移り変わるバックの映像... ロックン・ロール・パーティ−だ! ノリにのったポールは、興奮収まらずか、演奏終了後、手に持ったバイオリン・ベースを投げ入れようとするアクションを繰り返し、前方の観客を熱狂させた。 その後、ピアノに移動したポールが奏で始めたのは ロック界鉄板の名バラード「Let It Be」であった。 あまりにも有名な楽曲、あまりにも有名なPV...。 様々な思い出が脳裏を駆け巡った。 例えば、横溝正史原作の「悪霊島」が1981年に角川映画で映画化され、その主題歌が この「Let It Be」であったこと。 当時、イケイケだった角川映画が高い使用料を払って主題歌に据えたのだが、私にとっては映画の内容云々よりも、CMなどで頻繁に流れる「Let It Be」であることが重要であった。 だからだろうか CMで頻繁に使われた「wake up to the sound of music 〜 ♪」からの部分に過剰に反応してしまう(笑) そんな気持ちで「Let It Be」を聞き始めた。 すると、客席にはスマフォの灯りが無数に溢れた。それはアリーナ、スタンド席関わりなく....とても綺麗で感動的な光景であった。 こんな巨大な会場での、この一体感。言葉を失くすとはこういう事を言うのかも知れない。 ただ、ポールも寄る年波には勝てない...と言ったら失礼だと思うが、それは今まで聞き馴染んだ声ではなかった(高域の声が出ない)というのは或る意味、ショックではあった。 「ありがとう。愛を感じよう。レット・イット・ビー。」 そう言って曲をまとめたポール。 すると、またもやピアノを静かに弾き語り始めたと思ったら、ステージ上のパイロが、激しく炸裂。 火の手が上がった。 30曲目は「Live And Let Die」であった。 何度もパイロが炸裂し、こんなステージから離れた場所からでも熱が伝わってくるようだ。 昨年、ガンズ・アンド・ローゼズのライヴでも この曲のカバーを聞いたが、ステージの派手さは こちらの方が上だと確信した(笑) 曲終わりの最後のパイロの爆発で、ポールは耳を押さえていたが、これも毎回の恒例行事のようだ。お茶目である(笑)。 ピアノから階下のオルガンに降りたポールが、本編最後に放った31曲目は「Hey Jude」。言わずとも知れた超有名曲だ。 再び、場内は無数の白い点=スマフォの灯りで溢れた。 曲は後半に入ると「NA、NA、NA、、、」の大合唱となるのが定番なのだが、今回、それはちょっと違っていた。 このコーラスに入ると、アリーナの前方の客は「NA」のプラカードを掲げ、曲に合わせ左右に揺らすというのがいつもの”儀式”とも言えるのだが、その「NA」のプラカードが、今回に限って「NAgoya」と変わっていたのだ。 そう こんな感じである。 なんという粋な事をするものだ。と思ったが、これは主催のキョードーが仕掛けたものでもなく、一般のファンが自腹で行ったと後に聞いて驚いた。 それもファンの間では、つとに知られた有名親子であったのである。 1千枚を用意したというのも驚きだが、ポールもこのボードに反応し、即座に「ナ、ナ、ナ、ナゴヤ!」と絶叫したのはこの親子にとって 最大のサプライズとなったに違いない。 −ちなみに熱狂的なポール・マッカートニーファンである女優の藤田朋子さんも、このボードを掲げ、場内カメラに収まっていたようだ− 「Hey Jude」を感動的なエンディングで終え、ポールを中心にステージに横一列で並んだ。 手をつなぎ、会釈をするメンバー達。 そして、拍手をしながらポールはステージを降りていった。 会場の歓声は、ポールがステージを去っても収まらなかった。 だが、場内が暗くなってから、忙しくなったのは客席の方であった。 今回、紆余曲折、やっとのこと、開演予定時間ギリギリに辿り着いた席の上には「2つ穴が空いた 一枚の白い紙(裏には説明書きが印刷)」が置いてあったのだ。 その説明書きには こう書いてあった。 ”大きなメッセージ”?? おそらく客席で文字を浮かび上がらせるのだろう。 −と想像はついたが.... 真意はこの時点では全く不明であった。 ただ、今までポール・マッカートニーのライヴでは武道館公演で、サイリュウムを使ってポールを感動させるなどを行ってきただけに、今回も主催のキョードーはそれなりのものを考えているのだろう。と予想させた。 そんな事を想像しながら、その時を待った。 やがてステージに灯りが戻ってきた。 大きくなる歓声。 我々は急いで、その問題の紙をお面代わりにして顔を覆い、椅子から立ち上がった。 ポールをはじめ、メンバーが国旗を振りながらステージに戻ってきた。 ユニオンジャック、レインボーフラッグ...。ポールは日本の国旗だ。 すると、ステージからの映像=客席の様子が大型ビジョンに映し出された。 其処に映っていたのは−アリーナにおいて白と赤で形成された「日の丸」であった。 なるほど、そうだったのか!! 初めて、このサプライズ=趣向に気付く事ができた。 だが、ここではアリーナの様子しか判らなかった。 帰宅して情報を追うと、判ったのはスタンド席もこの”マスゲーム”に参加し「JAPAN LOVES PAUL」と文字を形作っていたのだった。 この光景にポールも一瞬、言葉を失ったようだ。感激しながらも 「ものすごく美しい。みんな、素晴らしかった。日本の国旗もメッセージもありがとう」 と感謝も忘れない。そして 「今日、誰か、誕生日がいるらしい。その人たち、みんなにささげるね。お誕生日おめでとう。日本のみんな。」 と始まったのが「Birthday」であった。 今回の日本公演では『アンコール明けに何をやるのか?』問題がネットを少しザワつかせていたが、特に大定番の「Yesterday」が2日目以降、外された事もあり、それだけに本公演は注目されていた。 しかし 蓋を開けたら、今回の日本ツアー初登場の「Birthday」であったのだ。 この賑やかな曲の登場に私は、小躍りしたいぐらいの気持ちになった。(某裏情報では、最前列付近の客がリクエストをプラカード ?で提示し、それを見たポールが急遽、「Birthday」に変更したらしい ?) 名曲「Yesterday」が聞けなかったのは残念ではあったが、個人的には、こちらの方がずっと嬉しいぐらいであった。 ひとしきり盛り上がると、ポールは観客の歌声に対して 「ウマイネー! 僕の日本語はどう ?」 と問いかけ、観客が拍手を贈ると 「アリガトー!」 と元気良く 答えた。 エイブ・ラボリエル・ジュニアの力強いドラムの連打で始まった33曲目は あの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」であった。 バックには、有名すぎるアルバムジャケットの登場人物達がCGアニメーションとなって舞い踊っている。 「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」が ほんの触りの部分の演奏で終わったかと思えば、力強いギターリフが場内に轟いた。 「Helter Skelter」だ。 ハードロック/ヘビーメタルの原型と言われ、モトリー・クルーなどがよくカバーしていた曲でもある。 30年以上、聞いてきたメタルの始祖に対峙しているというのは、もはや感激しかない。 また あの悪名高きチャールズ・マンソンも、この曲に影響を受けたとか言っていたな。というロック史の1ページを脳内で振り返ったりもした。 「Helter Skelter」の熱演後、ベースを高く掲げスタッフに手渡すと ポールはピアノ席に駆け上がっていった。 「ミンナ、ダイスキ! 最高の夜だったよ。日本人はみんな優しいし、 観客も素晴らしかったし、みんなに感謝してるよ。愛してる。 日本に来られて、みんなと国の違いを乗り越えてつながることができてうれしい。」 バンドのメンバーとスタッフ・クルーに感謝も述べると 「最後に、みんなに感謝してる。日本ありがとう。愛してるよ。」 そう言って始まったのは、ポールのライヴ締め括りの定番「Golden Slumbers」である。 アルバム「Abbey Road」の後半を飾る、メドレーのオープニング曲である。 これまた個人的には、この曲からタイトルを頂いた伊坂幸太郎原作の映画「ゴールデンスランバー」を思い出した。 首相暗殺に巻き込まれた謀略事件を扱った(ヒントになったのはもちろんケネディ暗殺事件だ)もので、主人公を演じた堺雅人が仙台を逃げ回る話であったが、その各場面が思い浮かんできたのだった。 つまり、どれだけビートルズが、音楽以外の映画や小説のカルチャー、人物に影響を与えたか。という事ではないだろうか。 ゆったりとしたバラードから、次のパートである「Carry That Weight」へと移り変わると、曲調に力強さが加わり、ここでもホーン隊が大活躍し、聞き飽きさせない。 ポールのシャウトと共に曲はいつの間にか、最後の「The End」に変わっていた。 エイブのドラムソロの間に、階上のピアノから駆け下りたポールはGibsonのレスポールを握っていた。(1960年製のレスポールで、チープ・トリックのリック・ニールセンが譲った?貴重なものだったとか) すると、ここからポールを含んだギタリスト3人のギターセッションタイムになった。 貴重なそれこそ、何千万もするギターを惜しげもなく使ったギタータイム。 ギター好きとしては一音とも聞き逃す事が出来なかった。 (自分の聴感上では、最もポールのレスポールの音が太かった(特徴的であった)ように思えた。) 「JAPAN!!」というポールの叫び声で「The End」も文字通り"終わり”をむかえ、2時間半以上の長丁場なライヴも遂に終わってしまった。 「サンキュー、サンキュー イチバン!最高の瞬間だった。マタ、アイマショウ! See You Next Time」 −とまたいつの日にか、名古屋公演があるかもしれない。という含みを持たせたポールは、紙吹雪が舞う中、ステージ最前列の客から(?)貰った小さな花束とドアラの人形を持って笑顔を振りまきながらステージを去っていった。 最後も「ドアラ」という名古屋を象徴するキャラクターを際立たせて、初のポール・マッカートニー名古屋公演は大成功に終わったのだった。 名古屋公演を終え、その日のうちに中部国際空港セントレアから旅立ったポール・マッカートニーは素敵なメッセージを残してくれた。ポールにとって、名古屋での夜が特別な物になった事を願いたいものである |
SET LIST | |
0 | Opening (Coming Up / Mrs. Vandebilt / The End) |
1 | A Hard Day's Night |
2 | Junior's Farm |
3 | Can't Buy Me Love |
4 | Letting Go |
5 | Who Cares |
6 | Got To Get You Into My Life |
7 | Come On To Me |
8 | Let Me Roll It 〜 Tribute to Jimi Hendlix (Foxy Lady) |
9 | I've Got A Feeling |
10 | Let 'Em In |
11 | My Valentine |
12 | 1985(Nineteen Hundred And Eighty-Five) |
13 | Maybe I'm Amazed |
14 | I've Just Seen A Face |
15 | In Spite Of All The Danger |
16 | From Me To You |
17 | Love Me Do |
18 | Blackbird |
19 | Here Today |
20 | Queenie Eye |
21 | Lady Madonna |
22 | Eleanor Rigby |
※ | 【名古屋弁 MC】「ツギモ、シンキョク、ダガヤ!」 |
23 | Fuh You |
24 | Being For The Benefit Of Mr. Kite! |
25 | Something |
26 | Ob-La-Di, Ob-La-Da |
※ | 【名古屋弁 MC】「デラ、サイコー!」 |
27 | Band On The Run |
28 | Back In The U.S.S.R. |
29 | Let It Be |
30 | Live And Let Die |
31 | Hey Jude |
・・・Encore・・・ | |
32 | Birthday |
33 | Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise) |
34 | Helter Skelter |
35 | Golden Slumbers |
36 | Carry That Weight |
37 | The End |