特別公演レポート 2
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ここからは監督が最近とみに話される事の多い文明と文化の話になった。 「20世紀って映像の世紀でね。それと同時に科学文明の世紀でもあるわけです。 映画も当然、科学文明の中から生まれました。 だから科学文明は素晴らしい。だけど 同時に戦争の兵器にもなったんですね。」 と(2003.3.24当時)戦争中なだけに監督の言葉はいつも以上に重みがある。 そんな時、唐突に監督が細山田さんにこう尋ねられた。 「4月7日って何の日か判る?」 細山田さんも突然だった為、皆目見当もつかない様子だったが 監督が ある曲のメロディを口ずさんだ事から「あっ」と叫ばれて気づかれた。 そう、2003年4月7日は あの鉄腕アトムの(設定上の)誕生日なのである。 だが監督はそんな只の時事ネタを取り上げる訳ではなくなぜ原作者である手塚治虫氏が主人公にアトム(原子)という恐ろしい名前を付けたか−監督の暮らした尾道は被爆地、広島にも近く原爆の恐ろしさを身に染みていたので余計、怖かった−という話に言及し、そこには手塚治虫氏のこれからは原子力は平和的に人々の生活に幸せをもたらすという願いで付けたのではと解釈されていたが「だから2003年4月7日は戦争なんてなくて平和で素晴らしい未来であった筈なんだけど.........」と言葉に詰まられてしまったのが印象的であった。 その後も鉄腕アトムの話は続き「アトムの初恋」というエピソードにも及んだが(詳しくはココをまたはココ参照) 「つまりアトムも使い方を間違えたら「原子爆弾」になってしまいますよ。人間は間違えやすいものだから、余りにも科学文明に溺れて使い方を間違えると大変な事になりますよという事なんです。」 と実に監督らしい解釈で感心してしまった。(この「アトムの初恋」の解説を読むと全く違う解釈がされています) トークショーはこのアトムの話で一旦、中断。 特別公演のもうひとつの大事な”音楽”への場面変換が行われようとしていた。 私たちにしてみれば果たして伊勢正三さんは登場されるのか?という淡い期待もあったのだが、監督がなごり雪を自分達のステージの選曲に入れているという、グループがあります。と言って「ご紹介しましょう。ストローの みなさんです」 と促されると拍手の中、三人の若い男性がステージに現れたのだった。 私などは3人組のアコースティックグループということでSomething Elseのような感じを想像していたが 引き続き演奏された「なごり雪」でもコーラスを生かしたその演奏は素晴らしいの一言。ギター2本にベースという編成も伊勢さんなどのギター一本の弾き語りよりも音の広がり、空気感が濃密に伝わってくるという感じであった。 「なごり雪」の演奏の後は 監督とストローのリーダーさくまさんとのトークとなったがそこで印象的だったのは 監督の「なごり雪」をグループのレパートリーに入れているのはどういうところから ? という問いに対しての答えられた時だった。 「僕らのテーマっていうのは人の優しさなんです。 それで優しさってどこにあるのかな?ということなんですが、でも優しみを言っているんじゃなくて聞いた人が自分の心の中にある優しさに気付いてくれるようなそんな歌をいつでも唄いたいなと思っていて、その代表的なものが「なごり雪」じゃないかなと思ってます」 ストローのみなさんが次に演奏されたオリジナル「さよならも言えなくて」もまさしくそのテーマに根ざしたLove Songでありサビの部分に被さってくるコーラスやメロディが特に綺麗な楽曲であった。 もちろん演奏が終了すれば場内は大きな拍手に包まれたのだがそれは「なごり雪」に負けないぐらいの大きな拍手だったように思う。 (ちなみにストローのHPによればこの特別公演の後、監督が長年参加されている「トーシンチャリティーコンサート」(2003.4.20)にも出演されたとの事。 今後、大林映画とのいい関係が築けそうな予感がしますね。) その後は、再び監督を中心としてのトークショーとなったのだがここでも印象的な発言があった。 「古今東西の映画の中の物語をひとつに集約すれば”人は傷つきあって許しあって愛を求める”........」 なんという深遠なるテーマだろうか。 まさに「なごり雪」の祐作と雪子、そして水田との長年の想い、関係はそのテーマになぞったものだったのだ。「なごり雪」が実に正統的な映画らしい映画であったことを今更ながらに再認識した。 この後は監督のもう一曲をやりましょうかというかけ声で噂の「なごり雪」撮影中に作られたという曲、「泣く前」を当時のエピソードと共に披露。(元々は菅井とし子役で出演している宝生舞さんが例のヌードシーン撮影前にしてその心情を託した絵を描かれたのだがそれを見た監督が詩をつけ伊勢さんが曲にしたというものである。「泣く前」という曲名はその絵のタイトルからきている) 演奏はもちろんストロー、ボーカルは大林宣彦、コーラスは細山田隆人だ。 私自身、この曲はTVで演奏されたのを一度だけ聞いたことがあるが非常に印象的なメロディラインと歌詞。 お世辞抜きに言っても”いい曲”だ。なぜCD化されないのか不思議なくらいである。また1991年の映画「ふたり」のエンディングテーマ「草の想い」以来の大林監督のボーカルが聞けるというのも大林映画ファンにとっては嬉しい限りである。確かに決して巧いとは言えない監督の歌声もその囁くようなボーカルスタイルゆえか人々に癒しを与えると言っていいかもしれない。 だからこそこの「泣く前」に監督の参加が無かったらこの楽曲の持つ魅力の半分も生かされなかったかもしれない。と私にはそう思えるのだ。 曲は監督の参加もあってその魅力を観客に十分に知らしめエンディング。我々も大きな拍手でそれに応えた。その後はマイクが再び、監督の手に渡ったのだが いきなり 「スリー・ファンキーズって 知ってる ?」 と切り出して私は三度、驚いてしまった。 私も流石にリアルタイムでは知らないが「スリー・ファンキーズ」の名前ぐらいは知っている。でも ここで それも監督の口からそのグループ名が聞かれるとはよもや思いもしなかったのだ。 引き続き監督が「スリー・ファンキーズ」のメンバー、長沢純さんを紹介されたものだから場内の年輩の観客は大きくどよめいた。 その登場の仕方もステージの袖からではなく、客席からというのもより大きなインパクトに繋がった。しかし、なぜ長沢純さんが この特別公演に?という疑問も同時に自分の中で沸き上がってきたが、あの会場でそう感じたのは結構、多かったのではないだろうか。 (その後の監督の説明によれば この名古屋における特別公演に大変尽力されたということなので我々名古屋の大林映画ファンは今後、長沢氏に足を向けて眠れないかもしれないですね(笑)) そんな長沢純さんの登場もありステージ上はより一層賑やかとなったが時計を見れば残念ながらこの特別公演も終幕へと近づきつつあった。 最後は冒頭に登場したきりのPink・フラミンゴも呼び込んで「なごり雪」の大合唱。 もちろん監督はピアノを演奏している。 観客も演奏に合わせ大きな声で唄っている。 まるでこの時間が過ぎるのをなごり惜しむかのように......。 このように「なごり雪」で特別公演は感動的なエンディングを迎えた。 そして今日、一番の大きな拍手がいつまでも場内を包む中、長沢純さん、ストローのみなさん、細山田隆人さん、Pink・フラミンゴのみなさんの順でステージを退場していく中、大林監督は最後までステージに残られ「今日はありがとうございました」と深々と一礼をされた後、ステージを去っていく。 あれだけ楽しみにしていた特別公演もとうとう終わってしまったのだった。 だが 本当の感動はここからだった。 私は隣の支部長さんと共に他の仲間がいる処に移動してしばらく話しこんでいたのだがしばらくするとステージからピアノの音色が聞こえてきた。 私は(他のメンバーもおそらく)スタッフがまた気まぐれに演奏しているものばかりだと思ってしばらく気にも止めなかったのだが..... ふと 何気なくステージを見ると、そこには なんとピアノを弾く大林監督の姿が! さきほどステージを退場されたと思っていた大林監督は再び、ステージに戻ってこられていたのだ。 退場が進み観客も既にまばらとなっていたが皆、この思いもかけぬプレゼントに足を止め聞き入っていたり、ステージに駆け寄ったりしている。 私も辛抱たまらず思わずステージ下に駆けていってしまった。 この時、演奏していた曲は有名なリストの「ため息」だったのだがこれもまた監督流のリストに見事にアレンジ。 それに監督のアンコール演奏もこの「ため息」だけでは終わらなかったのだ。 休むこともなく「ため息」は「蛍の光」に繋がって感動はより増幅していく。 それは「今日はありがとう」という感謝の言葉を音で表現しているかのようでもあり、音符の一つ、一つ、奏でられる和音の一つ、一つが監督の肉声のようで何か暖かいものに包まれているような錯覚を覚えるほどであった。 監督のアンコールはこの二曲のみであったが観客が口々に「今日は来て良かったわ」と言っているのを聞くと私まで嬉しくなってしまったのだ。 スクリーンコンサート、最後の地となった今回の名古屋公演。 大林監督と共に映画「なごり雪」の最も重要なキーパーソンである伊勢正三氏の参加は無かったものの蓋を開ければ他会場にはないゲスト、趣向で大いに楽しめた。特に私にとって監督のピアノ演奏、そして歌を生で聞くことは大林映画ファンになって以来長年、切望してきた事でありこの名古屋公演が開催できたことを関係者のみなさんに感謝したい。 そして− 感動的な監督のアンコール演奏。 他会場がどうだったのか判らないが私は最後の2曲は監督にとって特別な想いがあったようにも感じた。 地元大分から1年あまりに渡った「なごり雪」上映ツアー。従来の上映形態に捕われることなく映画そのものが全国を回る、それも一年もかけてというのは私は前例を聞いた事がない。ゆえに監督が観客と「なごり雪」で直接触れ合える最後の場となった 名古屋公演は(我々が想像する以上に)特別なものになったのだろうと思えてくるのだ。 あたかもそれは「「なごり雪」ごくろうさん」と言っているようであったのかもしれない。と私には思えたのである。 |
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