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黒沼,再起す!! 2003年12月06日 |
昼下がりの明るい陽光がちょっと気恥ずかしいくらいにまぶしく照射する二階の自室で、黒沼悦郎は陽だまりを娯しむ老人のようにさいぜんからうすぼんやりと閉めたままになっている硝子窓の外を眺めていた。 南東に面して向けられたその窓の先には、黒沼が生まれる前から植えられていたのだろう樹齢50年以上にはなる御所柿の木がまわりの潅木をへい睨するように、ひときわきわだって巨きな枝ぶりを誇示していた。 盛夏のころにはあれだけ見事に銅青色に染まっていたその葉も、いまはしかし山に沈む夕日のようにすっかり茜色に褪色し、その殆どが落葉している。 枝枝のなかにそこかしこに見事に育った柿の実が秋も深まり辺り一面が朽ち枯れる、いわば季節の終焉のようなこの時期にあって、なにかそこだけどきり、とするほど真っ赤で鮮烈に映えていて黒沼には「生命の強い息吹」のようなものを精一杯訴えているように思えてならなかった。 「ばたん」と、玄関の閉まる音がして急に階下が騒がしくなった。 妻と三人の子供たちが外出から帰ってきたようであった。 一番上の子は年明けには私立中学を受験しなければならないのに、このあいだ塾で行われた模試は散々な結果だった、と妻が嘆いていた。 「父親のあなたが、子供や家庭をかえりみないでさ竿ふりなんかに夢中になっているんだもの、勉強も出来なくて当然だわ」と云うのが、日に一度は云う妻の芸のない口癖であった。 なるほど小六になる長男は五才の妹と仲がよく、殆ど対等に彼女と同レベルで遊ぶのがつねであった。 黒沼はその幼い遊びに全身で呼応している長男を見て、時おりその精神年齢が心配になる事があった。 彼が本当に愉しくて遊んでいるのか、それとも長男としてその義務感から妹の面倒をみているだけなのか、そこのところがいまひとつ曖昧だったからである。 がともあれ、黒沼は子供たちのそういった目下の状況に基本的には目を細めながら満足していた。 子供というものは掛け値のないところ、遊ぶ、のが自然であるとかんがえていたからである。遊びたい気持ちを押さえ込んでよしんば勉強を無理強いしたとしても、その先にいい結果が見えてくる、とも思えなかったのだ。 長男の勉強がいまひとつ見入りせず、その結果として仮に入試に失敗したとしてもそれはそれで仕方のない事だ、と黒沼はかんがえていた。それよりも兄弟仲よく朗らかに日々を過ごしたほうがはるかに人間らしい事だと思っていたのだ。 平凡な学校を出ても人生に成功したものは大勢いるし、逆に一流の大学を出ても一向にウダツのあがらぬものもいるものだ、というのが黒沼の譲れない持論であった。 このことは価値観の相違、とゆうやつで夫婦の間でしかしいつも争いの原因になっている意識の差違でもあった。 ヒヨドリが南に渡る冬支度を本格的に始めたようだった。 「つい」と鋭く飛来しては柿の実に取り寄っていたが、しかしよく見ていると二、三度つついただけですぐ諦めたようにまた身を翻して飛んで行ってしまうようだった。 どうやら今年の柿はシブ柿なのか。 昭和三十年代。 黒沼が悪童だった頃、この柿の木もその頃はまだ今ほどには巨木になっておらず彼はしばしばこの柿の実を盗んでは「うめえ、うめえ」と、念仏のようにつぶやいてはイノシシのようにむさぼり食ったものだった。 黒沼は新発売だという妻のお気に入りのコ−ヒ−にポットの熱い湯をそそぐと、たいした感動もないままそれを飲んで「はあ-」と、弱弱しい吐息をひとつした。 そして過日、静岡で行われた悪夢のような出来事をうかつにもまた思い出すのであった。 ‘03最後を飾るキャスティング界至高の祭典、<トップキャスタ−ズ・ト−ナメント> 黒沼はこの試合を有終の美で飾ることで、これまでの苦労のすべてを昇華したい、とかんがえていた。 彼は悲愴な覚悟でいわばすべてを賭してこの大会に臨んだのである。 技術的な問題は膨大な練習量で解決したし、あらゆる偶発的なハプニングをも想定してきた。考えられることは勿論、考えられぬことまでもあらゆる角度から細心の注意を払い、いかにすればなみいる敵を打ち負かすことが出来るか?という事に彼は心を砕いてきた。 が、果たして結果は惨憺たるもの、であった。 必要以上に気持ちが高ぶって練習してきたことがなにひとつとして出来ぬまま、彼はドブ鼠のようにして散華したのだ。 黒沼は試合の前から力みが入り、果たし眼(まなこ)で般若のようなものすごい形相で震えていた、と友人の山田があとになって気持ちのこもらない陰湿な声で奇妙にきっぱりと云っていたが、今にして思えばこの頃から既に彼の敗北は決まっていたのかもしれなかった。 「あのよう、黒ちゃん。こりゃあ試合以前の問題、だよ」と、山田が能面のように笑わぬ貌で云った。 山田繁喜は黒沼と同い年で昭和32年の生まれの46才だった。 何とはなしに山羊をおもわせる彼の風貌は、無意味に伸びた背丈に身欠き鰊のように痩せじしな体躯がそう連想させるのではないかと思っている。 無学な黒沼と違って官学出身の男で、その貧相で覇気の欠く外見とは裏腹に、しかし頭脳の方は相当に優秀であった。 仕事は大手家電メ−カ−の開発中枢を委せられ、彼は理工系の知識を活かして特許部門に上級幹部としてくみしている。 山田はこの日のために新調した鮮やかな朱色に染まるトレパンに両手を突っ込むと、肩でもこっているのだろうかさかんに首をこきこきいわせながら、のそのそ言葉を継いだ。 「ああまでアガッちゃあ勝負になんめえ。いっそ山寺にでもこもって精神修行を積まねえと・・・な」と、冗談とも本気とも判別しかねるような事を無表情のまま云った。 「まっ、つまりそっちの方が先だ、つう訳だよ」 山田は、それだけ云い終えると頭に結んだゼッケンを風でヒラヒラさせながら泳ぐようにして仲間のところに戻っていった。 たしかにプレッシャ−に弱い、というのは判り切った事であった。がしかし何もあそこまで・・・、という思いが黒沼を容赦なくさいなめる。 「ノミの心臓だがら、オレ。いっそ天竜川の橋の上から身い投げっぺがなあ。うへへへへへ・・・」 試合が終わった直後、黒沼は面白くもないギャグを云ってひくつな笑いを浮かべた。が、その身はどことなく小動物のようにせわしなく、そして怯えているようだった。 競技の内容が余りに滑稽、だったのである。そんな虚勢でも張ってやくたいない道化でも演じていなければ、あの場にいた自分がよけいみじめで身がもたなかったのかもしれない。 帰りしな、クルマで帰る仲間たちに別れを告げると黒沼は、その巨きな体を斜めにかしぎながら重い足どりを引きずって独り浜松駅に向かったのだった。 まさに尾羽打ち枯らして、である。 黒沼はとっくに冷めてただ苦いばかりになっているコ−ヒ−を、ずりずりと気乗りしないまま口に含むと哲学者のような深刻な貌をして二度、三度弱弱しくかぶりを振った。 窓の外は相変わらず静かであった。 時折、ヒヨドリのけたたましい鳴き声や遠くの街の喧騒が北東の風に乗ってきこえはしたが、黒沼の気持ちは穏やかであった。 先ほどまで頑是無く騒いでいた子供たちもいつのまにか今はひっそりと静まり返って、どうやら母親に叱られて勉強でも始めたのか。 包丁をきざむ音がのどかに響き渡り、台所では妻がちょっと早い夕餉の支度をコトコトとやっているようだった。 初冬に向かってすべてが優しく、そして静謐にうつろいでゆく。 黒沼はあの日、ほうほうのていで帰ってきた自分自身を遠い昔のようにあらためて反芻してみた。 自分にとてキャスティングはたったひとつの生きがい、である。それ故、あの時もう少しまともな結果を出したかった、と思うのは人情というものであった。 「でも・・・」と、黒沼は思う。 窓の外でヒヨドリが哨戒機のように低く旋回した。 「案外こんなもんかもしれないな、オレの実力なんて」と、そう云って自らを言い含めた。そして「いいじゃねえか、勝っても負けてもよ。好きなことがやれるだけ幸せ、てなもんだっぺ」と、つぶやいて黒沼は自らを諭すように小刻みにこくりこくりと頷いた。 窓の外の御所柿の梢の葉がだいぶ揺れてきた。 「いい風が吹いてるな」 それを見て黒沼が独りごちた。 「この位の風ならフォロ−で投げれば220Mはいぐな。うん、いぐいぐ。なにしろ六種だからな、オレは。それぐらい飛ばさないとサマになんねえもんな。なんせ練習だと飛ぶかんな、オレはな」 黒沼は勝手なことをつぶやいて独り合点した。それから「けけけけけ」と、気色悪いうすら笑いをひとつすると傍らのキティちゃんの置時計を視た。 3時10分。「日没は4時30分頃だ。練習場まで渋滞を考慮して50分、か。急げば3〜4回は投げられるな」 黒沼は大急ぎで身支度すると、愛竿R社DHZ-50・405を引っ掴んだ。貌はいささかの憂いもない、いつもの<投げバカ>に戻っていた。 それから「おっしゃあ!」と、意味不明のオタケビを揚げると黒沼悦郎は、はじけるようにして部屋を出た。 |