砂の王者リュー

 

(まずは前説)

 (一部の人にはダブった文章になる部分も多々あろうかと思いますが、ご了承ください)
 いやね、その日もいつもと同じように「日刊スポーツ」の競馬欄を見ていたと思いねえ。すると、わしの目に偶然その馬名が飛び込んできたのよ。「リュー」。うわ、ここまでストレートにおんなじ名前のウマがいるなんて(ていうか、ホントはわしRyuが本名じゃないんだけどね、もちろん)。びっくらこいたよ。しかも、次の日の結果速報見たら、そのウマ勝ってるし。これは、もし今後このウマが出世していくようならぜひ追っかけていかなあかんな…。そう思ったのが最初のきっかけ。
 そしたら、次の昇級初戦、またもこのリューは勝利を収めてしまった。こりゃホンモノかも。かくなるうえは、テッテーテキに追っかけていってやる。かくして、何か月ぶりかに新しいコンテンツ立ち上げた次第なのです。ゆえに、「Ryu、クイズからビーチバレーに転向!」とかいった類のネタではないのであしからず(←そんなこと考えるトンマはいないか…)。

   

(リューのプロフィール)

   牡5歳・黒鹿毛・1996年5月13日生
   父:Twining 母:April Kizzie(母父:North Tower)
   調教師:【中央】武田博(栗東)【地方】稲葉道行(浦和) 馬主:前田幸治 生産者:Pニーメス(アメリカ)
   戦績:【中央】15戦3勝(3・2・0・10)、【地方】3戦1勝(1・0・0・2)(2002年11月17日現在)

 アメリカ出身の外国産馬。父Twiningは、Mr.Prospector系の種牡馬で、96年米チャンピオン・サイヤーに輝いたForty Ninerの直子。自身はアメリカで6戦5勝(うちGU2勝)、2着1回という成績を収めている。1991年生まれ。99年に輸入され、日本で供用されることなった。他の代表産駒として、中央時代に武田博厩舎で僚馬だったクリストワイニングがいる。
 母April Kizzie、母父North Towerはどんなウマかはちと分からん(知ってる人いたら教えてください)。

(リューの全競走成績)

 【中央】

年月日 競馬場 競走名 距離 馬場
状態
着順 騎手 1着馬
(2着馬)
1999.02.28 阪神 4歳新馬 ダ・1,800 菅谷正巳 (ニホンピロローズ)
1999.03.20 阪神 4歳500万下 ダ・1,800 不良 菅谷正巳 タイロバリー
1999.04.17 阪神 4歳500万下 ダ・1,800 菅谷正巳 フサイチミキオー
2000.01.16 京都 5歳上500万下 ダ・1,800 稍重 菅谷正巳 (ホッコーアンバー)
2000.02.05 小倉 早鞆特別(900万下) ダ・1,700 菅谷正巳 (フサイチゴールド)
2000.02.26 中山 アクアマリンステークス(1600万下) ダ・1,800 16 菅谷正巳 トシザミカ
2000.03.12 中京 遠州灘ステークス(1600万下) ダ・2,300 14 菅谷正巳 エーピーバースト
2001.01.06 京都 八坂特別(900万下) ダ・1,800 菅谷正巳 カネツフルーヴ
2001.01.21 京都 4歳上900万下 ダ・1,800 不良 菅谷正巳 シャンハイブルース
2001.02.03 小倉 早鞆特別(900万下) ダ・1,700 山田泰誠 タイキチェイサー
2001.02.24 阪神 4歳上900万下 ダ・1,800 16 菅谷正巳 マーブルシーク
2001.03.25 中京 伊良湖特別(900万下) ダ・1,700 13 菅谷正巳 アッミラーレ
2001.06.16 福島 障害未勝利 芝・2,750 11 林満明 ヒカルボシ
2001.07.21 小倉 障害未勝利 芝・2,900 出津孝一 シンボリアカデミー
2001.08.05 小倉 障害未勝利 芝・2,900 10 川合達彦 エリモシーザー

 【地方(浦和)】

年月日 競馬場 競走名 距離 馬場
状態
着順 騎手 1着馬
(2着馬)
2001.11.06 浦和 秋夕特別(B1B2) ダ・1,900 橋尚也 (クラシカルマウント)
2002.01.17 浦和 マルチビクトリー特別(B2B3選抜馬) ダ・1,400 稍重 10 橋尚也 トミヒサボス
2002.11.17 川崎 古都特別(B2) ダ・1,600 12 橋尚也 スピードミリオン

    

(リューにまつわるエトセトラ)

1.第4戦まで

  デビューは1999年2月28日、阪神競馬場第2競走の4歳新馬戦(ダート・1,800m)。7番人気ながらあっさりと逃げ切ってデビュー戦を飾る。続く2戦は4歳500万下条件戦を使い、いずれも2着。その後、骨折のために長期休養に入り、2000年1月16日、京都競馬場第7競走の5歳上500万下条件戦(ダート・1,800m)で復帰、またもあっさりと逃げ切り2勝目をあげた。
 レースでの通過順を見ると「1」という文字が並んでいることからも分かる通り、脚質は「逃げ」。これまで4戦はいずれもダート・1,800mを使っており、ダートの中距離に1番適性があると見られる。

 「…いやあ、もしかしたら、このウマ、すっげー強いんじゃないの?(もしくは「強くなるんじゃないの?」)」というのが僕の感想。500万下を勝ち上がっただけでこんなこと言うのは早計かもしれないけど。でも、専門誌のコメントでも「オープンレベルまで伸し上がる可能性もある」って書いてあったし。それにしても、逃げ馬だってのも嬉しいなあ。昨年9月15日に行われた第18回「クイズ・テイクオフズカップ」の準決勝が競馬の形式(プレイヤーが脚質を宣言して、その脚質と問題が何問目かによって正解時の得点が変わってくる、というもの。かつて「明大オープン」でも似たような形式が行われたことがある)だったんだけど、わしもそのとき「逃げ宣言」をして序盤に大逃げをうって決勝進出したんだよね。また、本物の競馬でも逃げ馬は好き。サイレンススズカのように「影を踏ませない強い逃げ」を見せるウマも好きだけど、それ以上に好きだったのは、ムチャな逃げうっては4コーナーでお約束のようにタレていくツインターボだった。両馬とも「今は亡き」になってしまったけど…。
 いずれにしても、このリュー号、今後めっちゃ楽しみ。関西馬ゆえになかなか情報が入りづらくはあるけれど、これから先、可能な限り追いかけていきたいと思っています。同名のよしみでね。いっそのこと、このHPにリューのコンテンツ新設しちゃおうか。いや、それだと早稲田のさる後輩のHP内にある「可憐に花咲くサヤカ」のパクリになってしまうか。怒られるぞ、それじゃ。それに、あっちはGVの勝ち馬だからいいけど、こっちはいまだ900万下の身だしなあ…。ま、これから、ね。

※なお、リューのプロフィールについては『競馬四季報 関西』1999年冬号を参考にしました。

(注)この文章は、某所に執筆したものとほぼ同内容です。

(2000年1月18日)


2.第5戦「早鞆特別」

 900万への昇級初戦。特別初挑戦。しかも、いきなりのメインレース(ローカルの土曜開催ではあるけれど)。これ、TV中継で放送されるなあ、ビデオチェックしないと…。朝新聞見たときはそう思ってたんだけど、キレイに忘れて出勤してしまい全てパー。あ゛ー。
 で、帰宅後にJRAのHPで競走結果を検索。…また勝ってるよ。特別初勝利。しかも、今回も1番人気に応えての勝利だぜ。やっぱ強いんじゃないの。骨折で出世遅れただけで、このクラスにいつまでも留まっている器ではないのかもしれない。2着に負かしたのが成貴さんの厩舎のフサイチゴールドだってのだけがちょっと胸が痛いけど、何はともあれめでたいめでたい。
 これで一気に準オープンまで出世。しかし、ダートの中距離では安定感抜群だね。いっそのこと、次走は格上挑戦で一気にGVマーチステークス(3月25日、中山競馬場、ダート・1,800m)なんてどう? ダート・1,800mは何より適条件だし、ハンデ戦とあってかなりの恵量で出られるんじゃない? ここまで来たら「めざせ、新ダート王」ですな。

(2000年2月5日)


3.第6戦「アクアマリンステークス」

 いよいよ準オープン、中央場所でのメインレース初見参となった。モンテカルロ、タヤスアンティーム、ロバノパンヤなど準オープンで好走しているウマも多数登録し、今までと比べて間違いなく強い相手が多くなってきている。昇級初戦にしてはちょっとばかしメンバー揃いすぎちゃったかな。まあ、今回は5着以内に入れば…。それより、今日こそはビデオのチェック忘れないようにしないと…。腹痛で苦痛に表情歪めながらタイマー録画をセットして出勤。勤務中は…思い出すどころじゃなかったよ、腹痛くて。
 そして、帰宅後這うようにしてビデオチェック。おー、動いてる姿見るのは初めてぞ。スタート。理想通りの展開で先頭に立つ。1,000mの通過は1分2秒6。平均ペースかな。3コーナーでロバノパンヤが早目に動き出し、先頭に並び掛ける。さあ、リューもこれから…のはずなんだけど、直線向いてから全く伸びない。いや、伸びないどころか、ズルズルと後退している。まずい、故障発生か? その瞬間血が凍った。結局、勝ったのは大西直宏騎手騎乗の9番人気トシザミカ(音無厩舎のウマ。よかったですね)。早目に動いたロバノパンヤがクビ差の2着に入った。リューは…何着か、それどころか、完走したのか競走を中止したのかも分からない。考えてはいけないと思うけど、どうしても不安感が頭をよぎってしまう。
 辛い気持ちで、JRAのHPで競走結果を検索。結局、リューは入線していたものの、16着とシンガリ負け。15着のサクラシーキングと7馬身差。こりゃ、何かあったかも…。心房細動くらいならいいけど、骨折、それも重傷だったら…。「開催競馬場・今日の出来事」のページを恐る恐る開いてみる。もし故障なら、このページで発表されているはず。果たして…故障馬のなかに、リューの名前はなかった。まずは一安心。ま、ハナを競り合ったエドノマツカゼも14着だったから、厳しいレースで直線バテてしまったのかもしれない。でも、後日の検査で競走中に骨折発生していたことが判明するかもしれないから(このパターン、トウカイテイオーによくありがちだった)、まだまだ安心はできないけど。月曜日発売の『競馬ブック』に掲載される菅谷騎手のコメントを待ちたいと思います。
 いずれにしても、初めての準オープン戦は、厳しい結果となってしまいました。まあ、何事もなかったら、次走に期待したいと思います。出直しです。

(2000年2月26日)


4.第7戦「遠州灘ステークス」

 結局、前走は早目に競り掛けられてモまれてしまったのが大敗の原因らしい。タヤスアンティーム(7着)に騎乗していた芹沢純一騎手に「逃げたリューが思ったよりも早くバテてしまったからね」と言われてしまう始末。楽に逃がしてもらえない厳しい展開になるとモロい面があるのかもしれない。
 さて、『競馬ブック』を見て驚いた。遠州灘ステークスに登録がある。「登録がある」ってことは「無事だった」ってことなのでそれはそれで安心したんだけど、中1週、しかも、2,300mは初めてとあって、いかにRyuでも「さすがに今回は厳しいんじゃないのかなあ…」という弱気なコメントしか出せなかった。しかも、ハンデ55kg。トップハンデ57.5kgのダンシングチアズ、57kgのノーザンウェー、56kgのジェンツスマイルに次ぐ斤量を背負うことになった。うーん、ちょっとハンデ厳しいなあ。54kg、せめて54.5kgで出られると思ってたのに…。
 ところが! 昼過ぎに起きてPATでオッズを検索して驚いた。僅差とはいえ、1番人気になってる! おいおい、いくらなんでも人気になり過ぎじゃないの?(結局、最終的にはダンシンズチアズに抜かれて2番人気に下がったみたいだけど) そりゃ、平坦小回りの中京コースに変わったのは強みだけどさ、展開に注文が必要な脚質的には。でも、僕的には、今回も前走の出走前と同様に「もしかしたらとは思いたいけど、まあ5着以内に入れば…」といった程度の淡い期待しか抱くことはできなかった。それよか、無事に走り切ること、それしか願いはない。前走では胆冷やしたからね。
 レーススタート。出はもう1つよくない。トーアステスルが大逃げをうつなか、リューはジョウノブラボーをも前に見て、3番手に控える。その展開が向かなかったのか、はたまた距離が長かったのか、後退するトーアステルスをかわすまでもなく、3コーナーでいっぱいになってしまい、前走のビデオを見るかのようにズブズブと後退。菅谷騎手のムチにも応える気配はなさげだった。今回も、何着に入線したかも分からずじまいのまま終了。JRAのHPで検索したところ、再びシンガリ負け。12着と大差の13着トーアステルスからさらに4馬身という大敗だった。
 やっぱり、距離はマイル前後がいいみたい。2,300mは長すぎるのかも。それにしても、繰り返しになるけど、楽に逃がしてもらえる展開にならないと厳しいね。まだまだ発展途上ってことなのかな。クラスが上がったんだから、今回みたいに控える競馬も覚えていかないといけないのかもなあ。次走は…ローテーションからいって、梅田ステークス(4月9日(日)阪神10R、ダート・1,800m)辺りになるのかな。ここもメンバー集まりそうで楽観はできないけどね。平坦小回りの中京は向くと思うので、おそらく次々走になると思われる名古屋城ステークス(5月20日(土)中京11R、ダート・1,700m)辺りには期待が持てそうです。ま、今後も見守っていきたいと思います。
 (15日の追記)レース後の菅谷騎手のコメント「2番手でもレースはできるけど、長距離戦にしては出入りが激しくなってしまって展開が向かなかったからね」。やっぱり、厳しい展開になるとキツいみたい…。

(2000年3月15日)


5.「梅田ステークス」(回避)

 桜花賞の直前に阪神で行われる準オープンのダートレース、梅田ステークス。距離も適距離の1,800mとあって、リューの次走はここになるのではないかと僕は睨んでいた。事実、陣営は予想通りこのレースにリューを登録してきた。桜花賞直前とあって、またTVにバッチリ写るぞと楽しみにしていた。前2走がトンコロだったのでさすがに専門誌の予想は全員無印になってたけど、まあ、復活の手ごたえぐらいはつかんでくれれば…と思っていた。
 が、金曜日、出馬表にリューの名前はなかった。「さては除外喰らったか…」と思って専門誌で確認してみたところ、リューより賞金下位のウマが出走可能になっているので、どうやら回避したらしい。ケガとかじゃなければいいけど…。しかし、そうなると、次走はどこになるんだろうね? 上賀茂ステークス(5月6日(土)京都10R、ダート・1,800m)か、前述の名古屋城ステークスか…。いずれにしても、無事に姿を見せてほしいものです。

(2000年4月7日)


6.誰かリューを知らないか…

 上賀茂ステークスにも、名古屋城ステークスにも結局リューの登録はなかった。これはいよいよ…心配でたまらなかった。
 で、思い切って「突撃取材」に出ることにした。電話したのは、栗東トレセン。武田博厩舎に直撃してみようとしたのだ。しかーし、いかにも「親方日の丸」を引きずっているような無愛想な交換手に「規則ですから…」とあっさり電話をつなぐことを拒否される。まあ、規則ならしゃーないけど、つっけんどんな態度には閉口。あんたら、わしらが馬券買ってるから飯食っていけるのよ。ハンバーガー屋並みに愛想よくしろなんて言わんよ。せめて一般社会人並みの受け答えはできるようになってよ。無理な注文じゃないと思うけどね。
 まあ、「突撃取材」は、別の手立てもないわけじゃないので、いずれ日を改めて第2弾を決行してみたいと思います。ご期待あれ。

 そんなことを書きながら、何気なく今週売りの『競馬ブック』を開いてみると、しばらくぶりに関西馬の登録分類表が掲載されていた。で、準オープンの項を見てみると、「リュー 3月12日(14着)後休養」とある。これだけでは、リフレッシュのために放牧に出たのか、あるいはまた骨折してしまったのかまでは分からないけれど、ともあれ想像していたなかでも1番最悪の結果ではないことだけは分かった。まあ、それはそれでよしとしよう。これ以上の詳細は、29日に発売される予定の『競馬四季報 関西』の2000年夏号を待つとしますか。
 というわけで、近況分かり次第再びレポートします。

(2000年5月23日)


7.そして、見つけた…

 その後、例の「第2弾」もケッコーできずに日々悶々と過ごしていたのだけど、またまた『競馬ブック』で情報入手。芦谷有香さんという方が連載(隔週くらいかな?)している「栗東厩舎探訪記」というコラムで今週取材を受けていた厩舎が武田博厩舎だったのだ。おおっっっ、今度こそ…はやる気持ちを抑えつつ記事を読み進めていくと、リューの記事もしっかりと載っていた。そこからの抜粋。

 斉藤さん(Ryu注.厩務員の斉藤利雄さんのこと)はリューも担当しており、「リュースケ」と可愛がっている。
 「人なつこいよ。運動から帰ってきて鞍と頭絡はずしてると、俺の腰を頭でマッサージしてくれる。注文出しても、いくらでもしてくれるんやで(笑)」

 …リューについて紹介されている記事はこれだけだったけど、なんか、すごいほんわかした雰囲気になってしまった。「リュースケ」って呼ばれてるんだ。担当厩務員さん、かわいがってくれてるんだなあ。しかし、厩務員さんの腰を頭でグリグリマッサージするリューの図を想像すると…。
 こういう何気ないウマの裏話を知ることで、競馬ってどんどん好きになっていく。ウマは生き物。生き物だからこそ、感情もあるし、個性もある。サラブレッドたるもの、勝負師としての顔も確かに大事だけど、日常の何気ないエピソードを知ることでますますそのウマが大好きになることだってある。それは、オープン馬だって条件馬だって変わりはない。
 この記事を読んで、リューの違った一面を知ることができた。そして、ますますリューのことが大好きになった。これからも応援し続けていきたいと思う。またレースに出てくるその日を楽しみに待ちながら。
 「管理馬一覧」という表に載っていたリューのプロフィールを見ると、「次走未定」とあった。「放牧中」という表現でなかったということは、厩舎に留まってリフレッシュに努めているのだろう。前2走がイマイチだったので、ちょっと充電期間を置きつつ、適当な条件のレースを探しているのではないだろうか。もうしばらくすると900万下に降級になるけれど、その条件では以前楽勝してるし(早鞆特別)、期待が持てるところである。
 しかし、リューの写真についていたキャプション、「マッサージのうまいリュー」。アンタ、今度は競馬内容そのものについても紹介してもらえるように頑張りや。

 ちなみに、この記事、リュー以外の武田厩舎のウマたちも紹介されてたんだけど、愛嬌あるウマたちが他にもいっぱいいて、なんか厩舎まるごと応援したくなってくるような雰囲気にさせられた。この雑誌、まだ本屋やコンビニに行けば入手できるはずなので、よかったらぜひ一読してみてやってください。

(2000年6月6日)


8.そして、見つかんない…

 しかし、その後もリューの噂はとんと聞くことはない。すると、昨日購入した『競馬四季報 関西』2000年秋号によると、「【休養理由】調整、放牧」だと。いつの間に放牧に行ってたんだ。知らんかった。
 ま、厩舎サイドも前2走の大敗の原因はとんと分からんことだろうし、リフレッシュさせることにしたんだろうね(上野は「クラスの壁かもしれませんねえ…」って言ってたけど)。ここはひとつ、キッチリと心機一転して、秋以降にまた元気に暴れ回ってほしいものです。あ、逃げ馬だから「逃げ回ってほしいものです」かな? でも、それじゃドロボーみたい…。

(2000年9月5日)


9.再始動

 その後もとんと噂を聞かず、「あのウマは今…」状態になっていたリューではあるが、どうやら再始動のメドが立ったようである。新春早々の1月6日(土)、「八坂特別」(京都10R、ダート・1,800m)に登録があるのを発見。長いこと待たされたので、登録見つけたときにはちょっと小躍りしてしまった。
 長期休養明け緒戦ではあるものの、降級後初めてのレースであり、この900万クラスでは特別勝ちの経験もあることだし(「早鞆特別」)、鉄砲ではあっても期待持てるところ。いきなり勝つのは難しくても、2〜3着ぐらいに好走して次走へのメドを立ててもらいたいものです。除外されんだろうな。ま、除外されたら、同条件の前日最終レースの平場に回るのかな。
 しかし、リューとわしの復帰第1戦の日程が奇しくも同じ1月6日になるとは…。わしも「ホノルルオープン2001」頑張るから、リューも頑張りや。

(2000年12月25日)


10.第8戦「八坂特別」

 いよいよ復帰第1戦。11頭立てで行われる900万「八坂特別」。休み明けではあるものの、降級戦とあってリューは5番人気に支持された。7.8倍。1番人気のニホンピロナイスが3.3倍だから、それなりに支持は受けていたんじゃないかな。やっぱり、900万クラスでは特別勝ち経験があるのを買われたのだろう。とはいえ、休み明けに変わりはなし。僕としては、勝つまでは厳しいんじゃないかとふんでいた。それなりに好走して、叩き2戦目となる次走に望みをつなぐことができるような結果を残すこと。そしてなにより、無事に走り切ること。それだけが僕の願いだった。とはいえ、一応WINS後楽園に寄って、応援馬券だけは購入。単勝800円。「末広がり」の希望を込めて800円にしといた。けっこうRyuもカツぐのである。
 レース自体は、またビデオのセットを忘れたので、JRAのHPでのレース展開を参考に。今回はうまくハナに立つことができたらしい。最終的には5着。休み明けを考えると上等な結果じゃないかな。勝ったのはカネツフルーヴ。名牝ロジータの仔で、昨年の皐月賞にも出走したウマ…って、なんでまだこんなところウヨウヨしてたのよ(笑)。
 休み明けだけど、よく頑張ってくれました。トンコロに終わったわしの復帰第1戦「ホノルルオープン2001」とは雲泥の差です。勝てなかったけど、健闘したと言っていいでしょう。今回は相手が悪かったかも。カネツフルーヴ、2着に4馬身差つけてるし。ま、リューも3着馬からは「2/1+アタマ」だし、叩いてよくなるであろう次走に期待です。ローテーション的には、昨年勝利を収めている早鞆特別(2月3日(土)小倉11R、ダート・1,700m)が有力なのではないでしょうか。

(2001年1月9日)


11.第8戦「八坂特別」の追記

 そういえば、ずっと書くの忘れてた。今回、けっこう早い時間にWINS後楽園に着いたんで、レーシングプログラムもゲットすることができたんですよ。で、八坂特別の出馬表見てたら、リューの英語馬名表記が併記されてた。曰く、「Rieu」。え? 「Ryu」じゃないの? ま、よくよく考えてみれば、外国産馬だし、ローマ字表記にする義理はないわな(全くの余談だけど、ジャパンカップのとき、テイエムオペラオーのゼッケンに「T.M. OPERA O」と表記されていたのはけっこうおマヌだったような気が。竹園オーナー…)。シンボリルドルフみたいに海外遠征も視野に入れた英語馬名表記にしたとかエピソードがあったりして(注)。でも、それじゃ、何語で何という意味なんだ、「Rieu」って?

(注)「シンボリルドルフみたいに…」…シンボリルドルフの英語馬名表記は、「Sinbori Rudolf」ではなく「Symboli Rudolf」。つまり、「シンボリ」という冠号が、ローマ字表記でなくフランス語風の綴りになっているのである(これはルドルフだけに限ったことではなく、スピードシンボリやシリウスシンボリなどの他の「シンボリ」の馬も同様)。これは、シンボリ牧場のオーナーブリーダーであった故・和田共弘オーナーが「愛馬の馬名が海外でも通用するように綴りをフランス語風にしたい」と希望してそのように決められたとのこと。さらに1つ付け加えると、1987年のクラシック戦線を賑わせたマティリアルという馬もシンボリ牧場の生産馬だったが、同馬の素質を高く評価した和田オーナーは、「これだけの馬なので、海外でも広く通用する名前を」ということで、あえて「シンボリ」の冠号をつけずに、「好素材」という意味の英単語そのものズバリだけの名前をつけたという。

(2001年1月31日)


12.第9戦「4歳上900万下」

 いや、すっかり次走は早鞆特別だと思い込んでたので、中1週で出走してくるなんて思わなかった。1月21日、クイズ部に出掛けるべく「日刊スポーツ」に目を通していたら、京都の最終レース、平場の900万下戦の出馬表にリューの名前が。「おー、中1週。しかも、平場。こりゃ勝負気配だなあ」と僕は内心ムフフ状態だった。平場とあってメンバーも軽くなるだろうし、状態は上向きが予想されるとあって、これは勝ち負けだと踏んでいたのである。
 他にもそのように予想する人が多かったのだろう。果たして、このレース、リューは2番人気。単勝4.8倍は1番人気シャンハイブルースの4.3倍とほとんど差はない。
 平場の最終レースとあって、TV中継などあろうはずもなく、クイズ部から帰宅後にJRAのHPでレース結果を検索。6着。あっちゃー。人気になってたのにねえ…。
 翌日発行の『競馬ブック』を買う。それによると、スタート早々、タマモドン(このウマもほぼ差のない3番人気。前走はともに八坂特別で、こちらは3着になっている)にさんざん競り掛けられ、厳しい展開になってしまったとのこと。前半3ハロンが35秒2だって。そりゃ、ムチャだわ(笑)。やっぱり、逃げ馬。楽に行かせてもらえないとチト厳しい。まあ、それでも「残り1ハロンまでは辛抱していた」(菅谷騎手)とのことだし、2つ使った次に期待したいと思います(←こればっか…)。次走は、早鞆特別と同条件の和布刈特別(2月17日(土)小倉11R、ダート・1,700m)あたりでしょうか。

(2001年1月31日)


13.第10戦「早鞆特別」

 と思ったら、また中1週で登録してきた。中1週→中1週か。ちょっと無理使いのような気もしないでもないけど…。ま、状態がいいんでしょう。それとも、もしかしたら冬の間のほうが調子が出るタイプのウマなのかもしれないけど。
 さて、次のレースは、昨年昇級初戦でキッチリと勝利を飾った早鞆特別。大袈裟に言ってみれば「ディフェンディング・チャンピオン」と言えるわけで(←重賞でもない単なる条件戦の特別競走に大袈裟すぎるかな…)、「思い出のレース」での好走を期待したいところだった。
 今回、それまでずっと手綱を取ってきた菅谷正巳騎手から、山田泰誠騎手に乗り替わることになったのも特筆事項。山田泰誠騎手といえば、なんといっても「メジロパーマー」。人気薄でスイッと逃げ切って宝塚記念、有馬記念の両グランプリを制した記憶もまだ色褪せてはいない。逃げ馬パーマーのベストパートナーを新たな鞍上に迎えた、やはり逃げ馬のリュー。いやがうえにも期待は高まってくるところである。いや、別に菅谷騎手がどうこうってわけじゃないんだけど…。
 で、昨年と違って、今年はキチンとビデオのタイマー録画をセットし、職場へ。帰宅後、どんなもんかと楽しみに見てみる。
 アナウンサーが「昨年は辰年にリューが勝ち…」と小ネタをカマしている間に、中京・小倉特別競走のファンファーレが。今回大外枠のリューは1番最後の枠入りとなる。スタート。リューの出はいい。が、いきなり1頭落馬。サクセスソーサーの竹之下騎手らしい(彼が鎖骨を折ったと知ったのは翌日のこと)。カラ馬となったサクセスソーサーが馬群の後を追走するものの、今回はスンナリとハナを切れたリューに影響はない。マイペースで楽に逃げている…かに見えた。が、直線を向いたところで、リューは一杯になってしまったようで、ズルズルと後退。結果は8着。前2走より着順を下げる形となった。勝ったのはタイキチェイサー。なんと、あのタイキシャトルの半弟。体質面の問題でデビューが遅れてしまったらしくていまだにこんなクラスをウヨウヨしているものの、これで4戦3勝と実力はなかなかのもの。今回のレースでも、4コーナーでリューをとらえて先頭に立つと、一気に他馬を突き放して勝利を収めた。もっともっと上に行くことが可能なウマだろう。
 リューに話を戻す。実際にレースぶりを見たから言えるのだけど、今回はあまりいいところがなかったような気がする。状態面がよいとは思えない。気になったのは、「日刊スポーツ」に掲載されていた水元助手の「まだ絶好調時に戻っていない」というコメント。なら、中1週→中1週なんてムチャなローテーションで使ってほしくないなあ…。でも、裏を返せば「絶好調時に戻れば、このクラスでは敵はいないはず」とも取れるコメントだから…期待しましょう。山田泰誠騎手の「乗り味はいいタイプですよ」というコメントも救いですな。次走は…分からん(笑)。じっくり調整して、ベストレースを見せてほしいものです。

(2001年2月5日)


14.その後のリュー

 すっかりご無沙汰になってしまったので、ここは箇条書きで。リューの波乱万丈ぶりをとくとご覧あれ。

 …てなもんで。うーん、更新サボっていた時期が長すぎ。その間ホントにいろいろあったのに。

 で、心配しつつ暮らしていたさる日曜日の朝に、唐突にそのニュースは飛び込んできたのである。

(2002年11月26日)


 

 

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