まだまだ続く・ばんますのひとりごと

Sadalsuud
Sadalsuud

Nov. 27, 2002

ご無沙汰しています。ばんますです。先日11月4日のライブに来て頂いた方々、改めて厚く(そして熱く)感謝の意を表します。 バラードとラテンの新曲、気に入って頂けましたでしょうか?

まあ、いろいろな音楽をやる機会を経て、今ばんますが感じることは、「音楽はその人そのもの」ということです。音楽をやると、 必ずその人となりがそこに反映されてしまう。同じ曲なのに別の人が弾くと別の曲に聞こえるのは、やはりそこに その「音楽をやる人」の成り立ち方が映ってしまうからなのですね。つまり、音楽をやる以上、ウソはつけない。 自分をさらけだす覚悟でやるしかない。どこまでその覚悟が出来ているか、それは音楽をやる上で大事な基本かもしれないですね。

さて、ところでばんますは先日自分のサックスの師匠がやっているバンド「龍吉」のライブへ行ってきました。 場所は原宿クロコダイル。満杯で盛況の客席、ステージの上にはわずか3人。ギター、ベース、そしてソプラノサックス。 ドラムもキーボードもいない。どんな音楽が始まるのだろう・・・?と思って待っていると、客席の照明が落ち、いきなりギターの 人が詩の朗読を始めたのです。それは、例えばこんな感じの詩でした。

一人の男がいる
今は沖縄の小さな島に暮らしている
生業は漁師だ
島では海人という
夕暮れ 空は紅
縁側には 苦瓜の炒め物
グラスに 島酒をつぐ
風にのり 三線の音がかすかにとどく
これはある都会に暮らしていた男の話だ
男は都会を捨て
島の暮らしを選んだ
そして心の渇きは消えた
男は思った
何で自分がこの世に生を受けたのか
そしてこの世に自分が生まれた
命の証を見つけた
そうか やれば出来るんだ

そんな詩の朗読に導かれ、40代のミュージシャン3人はおもむろに音を奏で始めます。 どこかにドラムやキーボードがいるのではないかと錯覚するくらいに、3人だけとは思えない素晴らしい音の広がりと奥行き。 シンプルなメロディの中に、アジアの風を感じる。人生の深みを感じる。 一つ一つの音符が、非常な説得力を持って語りかけてくる。 やはり、それは音を奏でるその人の存在自体が説得力を持っているからに他ならないのだろう。

良い音楽を創ること・・・それは、とりもなおさず自分自身の存在を見つめ直すことから始めなければならない。 なぜなら、自分の中に他人に対し語るべきものを持っているかどうか、それが全てだから。
まず、他人に対して語るべきものを持っていること。あとは、それを音楽で表現するのか文章で表現するのか、 はたまた絵画で表現するのか、表現の手段は様々だけれども、とにかく表現の手段が目的になってはならない。 音楽は、あくまでその表現の一手段に過ぎないわけです。問題は、音楽を通して何を伝えようとしているのかということです。

だから、音楽は死ぬまで止められないし、止めるべきものではないわけです。 きっと自分も10年後はまた少し違った音楽をやっていることでしょう。 いまこのHPを見ている皆さんにも、その音楽を聞いてもらえたら良いなあと思います。 日々、修行あるのみですね。 それでは!

◆「龍吉」ホームページ http://www.ryukichi.net

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