「猫物語」      

 

  その一  ジャージー

 

 熊本新市街で暮らすノラで黒猫のジジ(メス:仮名)がいた。

 彼女は毎日、あるぼろアパートに一人で暮らす老女の所で餌をもらうのが日課

であった。

 ジジもいつしか大人になり恋をし、町で一番のボス猫ニャン吉(オス:仮名)と

の間に3匹の子供ができた。

 ジジの子猫たちも母親についてぼろアパートに顔を出すようになった。

 しかし平和な日々は長く続かずジジの夫であるニャン吉は雄猫の権力闘争に敗

れボスの座を明け渡すこととなってしまった。

 そして新しいボスの下では暮らしにくくなったのかジジは町を出ることにした。

 3匹の子供達のうちオスの2匹(ロズウェルとジャック)は母親に付いていった

が、メスのカーシャ(仮名)は足が弱くついていけなかった。母親に見捨てられた

カーシャはしかたなくいつも

のぼろアパートにの裏でか細い声で「ジャー、ジャー」と鳴くだけであった。 

泣いている内に母親が連れに戻ってきてくれるのではないかと思うといっそう声

は大きくなっていった。

 子猫の鳴き声があまりにも可哀想に思ったのかいつも餌をあげていた老女は、

彼女を抱きかかえ部屋に入れてあげることにした。

 彼女も母猫が連れに戻ってくるだろうと思いそれまでの間と考えていたのであ

る。しかし、母猫のジジは二度と姿を現すことはなかった。

 こうして、カーシャと老女の生活が始まったのである。

 

 その老女は、名前を小百合といった。吉永小百合より15歳は年上である。

 小百合婆さんは早くに夫を亡くし、子供もいなかったため身寄りのない全くの

一人暮らしであった。そのため日頃の寂しさの反動でカーシャを溺愛した。

 夜寝るときは一緒の布団で寝、ご飯を食べるときもテーブル(足の少々悪い小

百合婆さんはちゃぶ台では立ち上がるのに不便なため椅子に座るテーブルで食事

をとるのが日常であった)の上で一緒に食べた。

 カーシャにとっても幸せな日々であった。ジャージャーとしか鳴けなかった声

もいつしかニャーニャーと猫らしく鳴けるようになった。

 

 それから数年の年月がたち、カーシャもすっかり大きくなった。

 朝ご飯をお婆さんからもらった後は、近所へ偵察に出るのがカーシャの日課で

あった。また、お婆さんがくれる御飯だけではちょっと足りないのか、夕方にな

ると小腹が空くせいか、アパートから数十メートルほどのところにあるコンビニ

の残り物をもらうのも、カーシャの大事な日課であった。

 猫好きのコンビニの店員(冴子)からはトラ吉と呼ばれていた。ちなみにカー

シャはメスである。首輪が付いていないので、冴子は野良猫だと思っていたよう

だ。

 冴子が餌をやっているのは、トラ吉(カーシャ)だけではなく、他にも白猫の

シロタンとか、茶トラのチャー助なんてのがいた。

 全て彼女が勝手に呼んでいる名前であるが、結構安易なネーミングである。

 特にトラ吉は、人なつっこいため冴子に好かれていた。餌を上げる前にトラ吉

が彼女の足にすりすりするのは、冴子のお気に入りであった。

 そこまで慣れているなら、トラ吉がメスであることに気が付きそうなものだが、

全く気が付かないほど、冴子は鈍かった。

 

 ある朝、いつものように小百合婆さんとカーシャは朝食をとっていた。

 そろそろ12月だというのに陽気な日であった。

 「世間ではこんな日のことをインディアンサマーと呼ぶのよ」

とカーシャに話してみたものの当のカーシャは、もらった猫まんまに夢中状態で

あった。

 その時、お茶を飲むために沸かしていたやかんがピーと鳴き出したため火を止

めようと椅子から立ち上がった小百合婆さんは、どうもいつもと違うめまいに襲

われたのであった。

 「どうしたのかしら・・・」

と思う暇もなく老女はひざまずいてしまった。

 かろうじてコンロの火は止めたもののそれ以上体を起こすことができなくなっ

てしまい床へ突っ伏してしまった。

 倒れ込んだ音でびっくりしたのか、カーシャはテーブルから飛び降り、下をの

ぞき込んで見た。

 そこには、さっきまで声をかけてくれたおばあさんが横たわっているではない

か。

 いったいどうしたのだろうとおばあさんの顔の所にすり寄ってみたものの一向

に動こうとする気配が感じられなかった。

 何が起こったのか理解できないカーシャは、おばあさんの上で食後の毛繕いを

始めてしまった。

 それでもおばあさんは起きることがないためそのまま丸くなって眠ってしまっ

た。

 小百合おばあさんの体がだんだん冷たくなっていくことにカーシャがきずく由

もなかった。

 

 それからどれくらいの時間がたったのだろうか、玄関の戸をノックする音がし

たのは。

 音に驚きカーシャは急いで飛び起き物陰に潜んだ。鍵のかかっていなかった扉

を開けたのは機器の点検に来たガス屋さんであった。

 彼は、お年寄りで耳が遠いのではないかと思い戸を開け少し体を乗り入れてみ

たのだった。

 その時彼が見たのは台所の床に倒れている小百合おばあさんの姿であった。

 彼はびっくりして、とりあえず会社へ連絡した。

 その後、会社からの指示で警察へ連絡することとなった。

 数分後、警察と共に救急車が到着したが二度と小百合おばあさんが息を吹き返

すことは無かった。

 身寄りのなかった小百合おばあさんの部屋は、大家によって片付けられカーシャ

は人がそばを動き回るのを嫌い外へ出てしまったため誰もカーシャの存在に気づ

かなかった。

 そのため部屋は全て施錠されてしまい中へはいることができなくなってしまっ

た。裏で悲しく鳴いてみたものの戸や窓を開けてくれる人が居るはずもなかった。

 

 いつものコンビニに行くことを思いついたカーシャは、お腹をへらして暗い夜

道を歩いた末たどり着いたそこは、昼間と変わらぬ明るさであった。

 カーシャは、いつものように裏口で冴子が出てくるのをじっと待った。1時間、

2時間待ったが、一向に彼女は出てこなかった。

 実は、冴子は、野良猫に餌を与えているのが、猫嫌いの店長に見つかり、それ

が元で喧嘩となり店を辞めたばかりであった。

 そんなことを知らないカーシャは、明るい表と裏を行ったり来たりしてみたが

とうとう冴子を見つけることはできなかった。

 店の前をうろついているうちに、店長に見つかりホーキで叩かれてしまった。

 這々の体でコンビニから逃げたものの、あわてたためどこへ走ってきたか全く

分からなくなってしまっていた。

 お腹も空いたし、明るい方へ行けば誰か食べ物をくれるのではと思い、とにか

く歩き続けるカーシャであった。

 いつしかカーシャは人のぬくもりを求めて表通りの映画館の看板の下へ来てし

まった。

 日陰のこの場所では日中でもそんなに暖かくなることもなく、食べるものもな

く、声を出しても立ち止まってくれる人もなくいつしかカーシャの声は昔のよう

にジャージャーとなってしまった。

 

 あれから、何日が過ぎただろう。カーシャに近づいてくるのは子供と女子高生

くらいである。

 子供の場合、大抵が母親がついており

 「餌あげるとついてくるからだめよ」

と何かあげようとする子供を叱り手を引いて立ち去ってゆく。

 女子高生の場合、食べるものをくれるのであるが、それはたいていドーナツの

かけらであったりカラシの効いたソーセージであったりするためカーシャにとっ

ては甘すぎたり辛すぎるものであった。

 そんなある日、やはりカーシャに近づいてくる一人の女性がいた。しかし、彼

女はあいにく何も持っていなかった。

 彼女は一通りカーシャをかわいがった後、カーシャを置いていそいそと映画館

に入っていったのであった。

 それから数時間かがたち今度は、携帯を持った女子高生が近づいてきた。

 カーシャは何かくれるかもしれないと思い、とびきりかわいい声で彼女に向かっ

て鳴いた。

 しかしカーシャの口から漏れる声は、ジャージャーとしか出なかった。

 そんなカーシャに対してその女子高生はなんと蹴ったのである。

 それも一度ではなく何度も蹴ったのである。

 カーシャは悲鳴を上げ必死に逃げようとした。

 しかし何日もろくな物を食べていない体では看板の下へ行くのが精一杯であっ

た。

 一通り鬱憤が晴れたのかその女子高生は去っていった。

 そんな一部始終を見ていたのか先ほど映画館に入っていった女性が、寄ってき

てカーシャを抱きかかえなでてやったのでした。

 そして彼女はカーシャの顔を見て何かを決心したようでした。

 うん、と頷きカーシャを抱きかかえ夕暮れの熊本新市街を後にしていきました。

 

 それから、熊本の映画館そばでカーシャを見かけたという話は聞かなくなりま

した。

 何故ならカーシャは今、八代の私の家にいるからです

 名前は「ジャージー」と呼ばれています。鳴き声がジャージャーだったからで

はなく、「コヨーテアグリー」の看板の下にいたからです。

 この映画の主人公の女の子のニックネームから付けられました。ちなみに名付

け親はジャージーの拾い主のご主人つまり私です。

 

 この物語は、ジャージーから作者が聞いた話を元に文章にまとめたものであり、

事実がこうであったかどうかは、本人(本猫?)のジャージーしか分からない。

 

END

 

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