建武中興成就の後、楠正成公は赤阪、千早の合戦で亡くなった人達 を弔うために五輪塔を建てました。その際、敵方の塚に敵という字 を用いずに寄手とし、身方よりも寄手の方に死者が多かったので身 方塚よりも寄手塚の方を大きく作りました。情け深い大楠公が偲ば れます。