Webブラウザーのゆくへ

マイクロソフトの反トラスト(独占禁止)法違反に対する裁判が、判決を言い渡す段階に来ているようです。その、判決はマイクロソフトを分割するというものになりそうですが、さらに、その数も3つ以上になるのではないかというニュース[hotwired]が流れています。これは、オペレーションソフトOS(Windows 2000, Windows NTなど)、アプリケーションソフト(Officeなど)、Webブラウザ(インターネット・イクスプローラ:IE)を扱う3つの会社に分けるということの様ですが、特に、問題の発端となったWebブラウザが、分割後でマイクロソフトの力が弱められたとき、どのようにトレンドが移っていくか興味のあるところです。

もともと、Webブラウザの世界では、先駆けて商品化したネットスケープが支配的でした。それに対して、後を追うマイクロソフトは、これまたパソコン用のOSとして支配的なWindowsに、IEをくっつけて売る戦略を使いました。OSの値段の内に入っているとはいえ、無料のソフトとして配付したわけです。性能は同等で、しかもパソコンを買えば無料でくっついてくるのなら、誰もが使うようになるのは当然のことです。今では、立場が逆転した上に、ネットスケープは1999年に独占的プロバイダーのアメリカオンライン(AOL)に買収[cnet]されてしまいました。やり方はともかく、マイクロソフトの戦略は、WebブラウザはOSの一部であったほうがよいのだという考え方で一貫していたと思います。これは、デスクトップにWebページが常に表示されているとか、ブラウザでアイコンをクリックすると、スクリプトがダウンロードされてパソコンを自動的に操作するとか、そういうネットワークとパソコンの環境の融合を目指すものです。ただ、ネットワークからの情報にしたがって、パソコンのOSが自動処理をするという構造は、セキュリティの問題と裏腹でもあります。例えば、メールソフトが勝手に同封されたスクリプトを起動したりするので、ウイルス攻撃に容易に利用されたり、クラッカーのサーバーからハードディスク内のパスワードファイルを覗かれたりするのも、ネットワークを通した計算機の間の連携を進めた結果という見方もできます。最近の、「I Loveウイルス」[cnet]騒ぎも、こうした、ネットワークへの扉を開けっ放しにした便利さから来る危険ではないかと思います。ブラウザや電子メールソフトのような、ネットワーク用のソフトというのは、セキュリティホールから逃れられないものですが、それは、扉を便利さを損なわない程度に開くという、ネットワークソフトの本質から来ています。マイクロソフトは、育ちがよいのか、扉を開けすぎる傾向があるようです。

さて、話を戻せば、そんなマイクロソフトが分割されて、他のブラウザ開発者が割り込めるようになった時、この先のブラウザはどのように変わっていくでしょうか。これに関連した記事[hotwired]が、Hot Wiredに出ています。もっとも、この記事を読んでも、この次に来るブラウザーは、こうなるという回答は見当たりません。ブラウザーは「ニューメディアの顔」であるという結論は、結局、デザイナーのおもちゃですということでしかないように思います。本来、ブラウザーは、張り巡らされたネットワーク(Web)から、効率良く自分の目的とする情報を拾ってくるための道具であって、たまたま、その情報の形は書物のページとおなじ、文字と絵で構成されていました。その後、MPEGなどの技術で絵が動くようになり、同時に音声再生の技術でしゃべるようにもなった。つまり、よく言われるマルチメディアですね。Webに乗る情報が、この4つのコンポーネントでできているかぎり、この形態は変わらず。どんなに、ブラウザの小道具やデザインが変わっても、この4つの要素を扱う形は変わりません。デザイナーが、どのようにいじくろうと、この基本から抜けることはなく、逆に基本から離れるほど見づらいページになっているようにも思います。こうした、画面の見かけのデザインに進化に対する議論は、上の記事にも書かれているように、結局、これまで何世紀も印刷技術者が議論してきた、メディアに対する「今さらな問題を蒸し返している」だけかも知れません。つまり、今ある書物のページが、一番情報を伝えやすい形態なんだということ。

ただ、一方で、こうした書物の見かけを踏襲したデザインのページがうまく再現できない、パソコン以外のメディア向けのブラウザは発展の余地があるかもしれません。例えば、携帯電話のブラウザなどがそうです。こうした携帯端末の設計は、手のひらにのる物理的な大きさと、ディスプレイの大きさのトレードオフになっています。いまの、携帯電話のディスプレイは、まだWebを見ることを前提にしたデザインにはなっていないので、ホームページのデザインも、少ない文字や絵で表現できる内容に限られているようです。多分、携帯電話のディスプレイの解像度は上がるでしょうが、パソコンと同じにはならないでしょう。ポケットに入らなくなりますからね。もし、パソコンと同じ画面を出先で見たい人は、ミニノートを買うことになりますが、キーボードが小さすぎるというところがネックになったのか、NECのmobio NXはいつの間にかホームページから消えてしまい、ミニノートと言えるのは東芝のリブレットくらいになっています。一方で、同じ携帯パソコンとして出ていたWindows CEマシンも精彩がなく、携帯端末としては、パーム[cnet]が支配的となっています。これに対抗して、Windows CEもパーム的なもの[hp]に形を変えて参入しようとしています。もっとも、ペンでちくちくやるインタフェースは、私は好きではないですが(^_^)。

ほかに、ブラウザが変わるとすれば、ネットワーク上の新サービスに適応して、それにアクセスしやすいインタフェースを取り入れるするとか、ユーザーの使い方に応じてネットワークでの居心地を改善するような機能が加わるのではないでしょうか。たとえば、ホームバンキングや、ネット通販にからんで、セキュリティを考えたユーザーインタフェースが取り入れられるでしょうね。それとか、ハンディキャップを持った人のために特化したブラウザも、インターネットユーザーの広がりとともに出てくるでしょう。一方で、最近のインターネットは、情報を収集するための場というより、「居場所」としての場という意味合いが強くなっているようなので、自分の居場所に誘導してくれるようなブラウザも出てくるかも。居場所というのは、つまり、目的もなくブラウザーを開いて、いつものBBSに参加したり、特に目的もなく興味本位でホームページを眺めていくという使い方です。こういう使い方は、うまくさまよわないと(^_^;通信料金ばかりかさんで欲求不満になります。そこで、効率良く自分の興味にマッチしたサイトを渡り歩けるようなサービスなり、それむきのブラウザみたいなのが出てくるかも知れません。

動作するハードや付加される機能は何であれ、最後は、いかに書物のページ的なものをディスプレイに表示するかというところに問題は戻るように思います。パームトップなら、パームトップのディスプレイの大きさに収まるブラウザ、携帯電話であれば、長文のホームページを短い文章に要約して読ませてしまうブラウザ。三次元映像の中をRPGの用にさまよえるようなブラウザは技術的には可能でも、使われないでしょう。データが書店から来ようが、インターネットから来ようが、結局、ページをめくって文字や図形を見るという形に落ち着くのは、人間が情報を見るのに一番適したシンプルな形だからでしょう。でも、映画に出てくるような仮想現実の中をさまよえるようなブラウザってのも、一回くらいは体験してみたいものですな。二回目からは、歩くのがかったるくなって、入り口で「お気に入りボタン」を押すだけになるかも知れないけど。

2000.5.26
ひとつ戻る HOME つぎに進む