ブログは文化となるだろうか

ブログというものが、ここ数年でポピュラーになってきました。いまでは、無料で使えるブログサイトが、迷うくらいにたくさんあります。いったい、ブログとは何かについては、解説サイトをご覧ください(IT用語辞典[e-words.jp]@IT情報マネジメント用語辞典[atmarkit.co.jp])。しかし、そうした誕生の経緯はさておいて、このブログというメディアは、何年か前のパソコン通信における掲示板や、その後の個人ホームページといった情報発信源と同様に、ネットワーク社会に新しい影響を与えるように思います。日本では、まだ無数の芽が出た状態ですが、それが大きな木に育つのやら、荒地の雑草状態になるのか、自分もその中に巻き込まれつつも、ちょっと興味があるところです。

ブログはWebで簡単に文章を公開する方法で、自分だけが書き込める掲示板のようなものですね。その機能だけでも、日記帳程度には使えます。ブログの場合、それにトラックバックという仕組みが組み込まれているところが味噌で、これによって、自分が書きたい内容の元ネタとの間でリンクを張れるようになっています。同じテーマに興味を持つもの同士で、互いにリンクを張り合って議論しあう仕組みですね。これは、アメリカ人が好きなディベートの道具ともいえますが、日本に来るとディベートではなく、日記帳を囲む仲良しクラブ的なものになります。それは、もはやブログではないという意見もありますが、私としては、文化の違いではないかと思いますね。日本では、そうしたコミュニティは小さくまとまっていき、いろいろな意見を持った人々の集まるディベートの場より、同じような意見を持つ人の集まるサロンになるのではないでしょうか。もちろん、日本のインターネットにディベートの場が無いとは言いませんが、ディベートの形をとった娯楽にはなれても、何か、新しい概念がそこから生まれるほど、私たちは文字を通したコミュニケーションを使いこなしていないと思います。

ディベート文化が日本のネットワークで育だつかどうかについては、私にも分かりませんが、かつてパソコン通信の掲示板で繰り広げられた中傷合戦にちかい議論を見ると、われわれ日本人には、自分の言いたいことをまとめる能力と、相手の言葉を自分の理解できる形で再構成する能力に乏しいか、あるいは全く訓練されていないという感じがします。もはや、これは日本人の特徴に近いのではないでしょうか。もちろん、アメリカでもネットワーク用語としてフレーム[e-words.jp]という言葉があるように、言葉の暴力は存在しますから、日本だけの問題とは言い切れませんが。それでも、彼らは、教育の一環としてディベートの訓練をしていますから、言葉で意見を伝えるという意識においては、ちょっとは我々よりも先に行っているのではないかと思います。アメリカの掲示板を全て読んではいないので分かりませんけどね。特に、彼らは人種的な話題で盛り上がる傾向がありますし。とはいえ、かつて、日本の掲示板で、言葉尻を投げあう言い争いを見てうんざりした経験があるので、この国の平和のためには、仲良しクラブ的な掲示板か、あるいは、フレームモードで言葉尻バトルを楽しむための掲示板しか、日本では存在し得ないのではないかとさえ思えるのです。

さて、そうした日本のネットワークにおける言葉の文化は、ブログコミュニティではどのように育つのでしょうか。ブログは、ホームページと違って、htmlの知識も要らず、レイアウトを考える手間も要らず、ただワープロのように書き込むだけで、自分の言葉をインターネットに公開できます。一方で、双方向コミュニケーションとして用意されたトラックバックや、コメントといった機能は、意見交換を目的としているからか、ホームページに用意された掲示板CGIに比べて、主催者のコントロールができない仕組みになっています。例えば、トラックバックされた内容を自分のブログページから消すことは基本的にできないし、そのページに書き込まれたコメントは削除できない上に、成りすまし書き込みに対する対応もありません。もっとも、これらは今後改良されるとは思いますが。つまり、このままだと、せっかくの仲良しクラブに危機がおとずれる可能性があるということですね。あなたの陽だまり縁側発信的ほのぼの日記に、いきなり土足のとらっくば〜〜〜っくぅ。劇カラこめ〜〜んとぉ。などという展開は、容易に想像できる(^_^)。もっとも、あれだけブログが乱立していると、攻撃対象にもならないかもしれないけど。いずれにしても、現状では、ちょっと危なっかしいシステムですから、ブログを始める人には注意が必要ですね。

また、ワープロに書くように情報発信ができる、ある意味バリアフリーな情報発信システムでは、障壁がない分、今まで以上に玉石混合な状態が起きることになります。いろいろなブログサイトを開いてみると、主題は日記がメジャーで、逆に、日記のカテゴリに入れておかないと、タイトルすら読んでもらえないかもしれません。そのカテゴリのブログであっても、適当に開いてみると、来訪者カウンターは2だったりする。つまり、もしかすると自分しか読んでいないブログです。ブログサイトの間で、書き込み数や、登録者数を競う傾向がありますが、この状態では不毛な話です。読み手がいないブログの意味は何であるか、ということですね。しかし、一方で、読まれないから書いてはいけないという議論もありません。自分の思っていることを、ストレートにインターネットに公表するのは、悪いことではありません。心配なのは、そのタイトルリストの激流に、読者にとって本当に意味のある情報が消えていってしまうことです。

例えば、私のホームページに不定期に続いている「この頃」欄は、私の情報発信源ですが、これをブログに持って行く気持ちは、さらさらありません。あの、ブログサイトの爆発的な書き込みの嵐の中に、こうした、ある意味オタクな情報を発信しても、読んでもらえるとは思えないからです。もちろん、ブログが検索サイトの情報収集ロボットに拾われれば、普通のホームページと同様、その情報を必要とする読者に拾われる可能性はあります。しかし、あのブログサイトのタイトルリストからは、何の情報も得られないように思います。そう言いながら、実は、私もbiglobeでブログを開いています。笑えることに、自称ブロガーが嫌う、主義主張なき趣味的ブログですが。でも、これが結構面白い(^_^)。記事を書くと、たまに、それを見た人のコメントが入ってきます。無料サービスの来訪者集計サービスで、どのページに何人がやってきたかが分かるので、自分の趣味に興味を持っている人が他にもいるのだという、同好会的(^_^)安心感もあります。つまり、まったくご意見の無い、趣味のブログという、日本固有の文化を表現してしまったということですね。ま、こうした、趣味のブログが流行ったほうが、それだけブログというものが社会に定着するというものでは。

アメリカ的なアグレッシブなブロガーを目指す人にとっては、日本のブログなんてたかが日記じゃないかというところでしょう。しかし、ブログという仕組みを、どのように使うかは国民性じゃないかと思います。もしかすると、日本的な趣味のブログは、アニメのようにアメリカに逆流するかもしれません。一方で、書き散らかし、土足トラックバックばかりが横行して、ページを開いただけ損なブログばかりになると、そのうちにブログ自体が消えていくでしょう。

2005.3.6
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