しぶけんの不定期日記02−1 |
御大会 11月20−21日の御大会で任務をさせていただいた。今回は、起床したら臨時で班長になっており、晴天の霹靂だったが、班員さんに助けていただいて、幾つかの失策はあったものの大事には至らずに済んだ。御大会を記念すべき宗旨建立750年の締め括りの任務とさせていただこうという気持ちで臨んだが、最後の最後で結構大変だった。
基本的に場内班長は、周囲の状況を把握するのと、予備戦力として待機する意味から、整列作業に直接関与すべきではないのだが、慣れないと、ついつい手を出しているうちに班員さんとの見分けがつかなくなってしまう。
2002/12/28
海外信徒総登山大法要 初・中・終会の全3会に渉って奉修された海外信徒総登山大法要のうち、11月9−10日の中会に任務者として着任させていただいた。4000名の海外信徒が各国から参詣されたが、特に台湾、韓国、インドネシア、タイなどのアジアの信徒が多く、欧米ではアメリカとスペインの方が多かった。
行事は、法華講30万総登山大法要(行道散華、論議式など)と奉安堂落慶記念大法要(御開扉、経過報告など)の2つを併せて2日間で行い、更に海外信徒総会を加えて濃密な内容であった。今回の法要は、日本の法華講に対して行われた基本的に同じであり、10カ国語以上に同時通訳されて、イヤホンで拝聴するというシステムであった。また、2009年の『立正安国論』正義顕揚750年に対する地涌倍増の御命題も、猊下様より等しく賜った。日蓮正宗の世界広布が、国内の流布と軌を一にして、本来の日蓮正宗のスタイルに違うことなく推進される基盤が整ったという現実を目の当たりにした衝撃は、極めて大きいものがあった。
任務者は、海外の方々が如何に困難な状況を乗り越えて御登山されているかを肝に銘じつつ、細心の対応に努めた。こちらの心配をよそに、ジェスチャーと日本語である程度は意図が通じたし、概ね日本人よりも明るく紳士的で真剣であり、自分勝手に行動をされるような方はいらっしゃらなかった。
2002/12/25
奉安堂落慶記念大法要 全13会に渉って奉修された奉安堂落慶記念大法要では、第5・6・12・13会で任務をさせていただいた。御開扉もその度に受けさせていただいたが、最初は、御開扉が終わってから今までになく清々しい気持ちになって奉安堂の素晴らしさがじわじわと涌いてくるような感じを覚えたが、慣れてくると奉安堂に入ったその瞬間から本当に心が晴れ晴れとした気持ちになる。最初は、初めて見る建物のスケールや仕様に感覚を奪われていたのかもしれない。
前の方に座ると、須弥壇との距離感は奉安殿とそれほど変わらないような気がするが、後ろの方の席だと80m以上になる。当初の計画では、もう一回り大きな建物にする予定だったようであるが、これ以上大きくしなくて実は良かったのではないかと、ちょっぴり余計な心配もしたりする。
因みに、須弥壇の横扉は座席の位置によって、銀灰色に見えたり薄紫色に見えたりする。また、須弥壇の石は、前の方で見るとシックな黒色であるが、後ろの方だと反射光でやや明るく見える。色としては、前の方で見たほうが調和している。(※といっても、先は争わないでね)
音響はかなり良い。昔のアレは石造りであったためか、音の乱反響があり宜しくなかった。奉安堂は壁がコンサートホールのようになっていることや、椅子ごとにスピーカーが設置されていることで素人目にも明らかであるが、かなり工夫されている。赤ちゃんが泣いたりすると、音響効果のほどが良くわかる。
入退場の特性に関しては、やはり雨の日の連続御開扉をやってみないと何とも言えない(だって、毎日富士山が見えるんだもん)。
2002/12/02
奉安堂落慶大法要 10月12日の奉安堂落慶大法要と翌13日の記念大法要初会に、ブラスバンドの隊員として御登山させていただいた。12日は、奉安堂の照心庭で鼓笛の合同演奏と『唱えてゆこう妙法を』の合唱(ブラバンはその伴奏)があり、13日は、同じく照心庭で鼓笛の地方部別演奏があった。両日とも御法主上人猊下様に御観覧いただき、また2日目には御言葉を賜った。もちろん、演奏は屋外であったが、2日間とも晴天に恵まれ、申し分のない日よりであった。当初の予定にはなかったが、鼓笛隊一同で御会扉も受けさせていただき、また、記念局より記念品(電波時計)まで頂戴した。子供たちも、もちろん私も一生の思い出とさせていただいた。
2002/12/02
トリノ 2002/09/20
30万総登山大法要(6) 8月19日〜20日、27日〜29日と平日の任務をさせていただいた。8月11日に、生まれてはじめて父親と一緒に御登山させていただき、今回は特にその御報恩の気持ちで御奉公させていただいた。また、私の仕事は9月は極めて忙しいので、30万総登山に着任させていただくのは、いよいよ最後となりとても感慨深かった。
元々は、警備の任務が多かった私であるが、30万総登山では主に場内をやらせていただいた。その理由はよくわからないが、場内の経験を積むにつれて、参詣者を「点」ではなくて「流れ」もしくは「固まり」として扱うところの極意(というと少し大袈裟だが)を掴む事ができた。大法要は4分の3が終了したが、任務にはまだまだ改善の余地があるように思える。
そろそろ魔が出てきて功徳を奪っていくぞという警鐘が鳴らされているが、最後の任務では途中で体調を崩してしまい大変だった。やはり、何かをやり遂げるという時には、決して油断してはならない。
2002/09/02
淡路島・徳島 8月3(土)〜5日(月)は、応用物理学会・放射線分科会主催の第14回放射線夏の学校で、淡路島・徳島へ行ってきた。第11回講演奨励賞受賞記念ということで、1時間ほど発表させていただいたが、依頼講演という形で登壇するのは初めてだった。対象は放射線計測を専門とする研究室の大学院生が70余名ということなので、物理的な背景についても詳しく解説を試みたが、ある程度は面白さは伝わったようだった。
淡路島へは、大震災の後に開通した明石大橋で行く事ができる。JR舞子駅で下車をすると、ちょうど高速道路の真下になっており、階段を上がっていくと高速バス乗り場(高速舞子)になっている。本数は、だいたい1時間に3〜4本ぐらい。淡路島は思っていたよりも大きく、山地と海岸線の間を高速道路が通っているという感じだった。
会場は、神戸商船大学の海洋実習施設だった。冷房設備が無かったが、海風が入って来るので、案外過ごし易かった。自分の講演は最初だったので、後は普通の学生として参加した。夕方からバーベキューで、如何にも「夏休み」という感じだった。
二日目は、会場を徳島大学に移した。途中の鳴門大橋から渦潮を観測できた。夕方から、自由時間となったので、急いで市内を観光し、讃岐饂飩を食べたり、阿波踊り会館を見学したりした。夕方からは、親しくなった徳島大学(地元)のメンバーの車に混ぜてもらい、淡路島洲本市の浜辺へ花火大会を見に行った。打ち上げ数は5000発で、花火が水面と平行に飛ぶ「孔雀の舞い」が面白かった(当然、下半分が水没する)。
三日目は、午前中だけ講義があり、昼過ぎには解散となった。午後は、徳島大学のメンバーと海水浴に行った。物理系の研究室なのにも関わらず、何故か教官以外の学生は6人とも女の子だった。みんなで、一つのボディーボードにつかまって沖のブイまで漂って行ったりして面白かった。結局、夕暮れまでずーと遊んでしまったので、大慌てて大阪に戻り終電一本前の「のぞみ」で帰京した。日焼けしすぎて後が大変だった(とりあえず、首と肩だけでも日焼け止めを塗っておけばよかった)。3日間で、夏の風物詩は全部楽しんだような気がする。
2002/08/08
30万総登山大法要(5) 7月25日・26日、30・31日の任務をさせていただいた。夏休みに入って、平日の日程が始まるとともに、子供連れの参詣者が増え始めた。
30・31日は、それぞれ30会・31会に相当し、前半の最後と後半の最初という、節目の法要であった。総括から、前半の登山者が16万人を超えたというお話しがあったが、4日間とも平日ということもあり、定員よりも少ない登山者だった。お盆休みに入ると、また状況は逆転するものと思われるが、もしも定員割れを繰り返すようでは、そのうち前半の貯金も使い切ってしまうので、竜頭蛇尾とならないためには、未登山者への一層の啓蒙が必要であろう。
とりあえず、妙音では掲示板を設置して、登山者や任務者の生の声を掲載することにした。積極的な書き込みを期待したい。
2002/08/02
30万総登山大法要(4) 7月6、7日で任務をさせていただいた。ところが、着山してみるとリストに名前がなかったため、追加ということで着任させていただいた。30万総登山の任務では、コア以上のメンバーは着任場所が決まっているので、今までのように登山の全体を満遍なく経験する機会はなかったが、今回は欠員の補充という形になり、はじめて警備をさせていただいた。
基本的には、三門(私は横断歩道の安全管理)と、定点(御塔橋のところの通行車規制)の繰り返しであった。三門のときは、人通りが沢山あるが、定点の時は寧ろ勝手に車が入ってきてはいけない所なので、法要前後などの特定の時間帯以外は誰も来ないという配置だった。
場内では積極的に参詣者を誘導する役割であるが、定点警備の時は逆に誰も来ない事が良い事なので、普段とは対極の任務を経験させていただいた。輸送班が警備をしているので、未然に事件を防止しているという意味があるものの、実際に何も起きない誰も通らない所での2時間待機というのは、少しきつかった。
法華講事務所から御塔橋へは自転車で行ったが、ずっと上り坂なので漕ぐのが大変だった。水が流れているのだから当たり前だが、総本山が坂になっていることを改めて実感した。
2002/07/10
30万総登山大法要(3) 6月30日は、ついに自分の参詣の日だった。前夜、レンタカーを借りに行くと、前の人がまだ返しに来ないということで、予約した車よりも高い車を、予約した車よりも安く借りることができた。帰りに、知人を乗せる事になったので、これがとても役に立った。
蓮東坊に前泊して、丑寅勤行に参詣。明朝、小川君を新富士駅に迎えに行く。10:00法要。いつもは警備で、気が散ってしまうが、今回は最初から最後まで集中して法要に臨む事ができた。散華は小川君と一枚ずつ拾うことができた。
大講堂でお弁当を食べて、記念展を拝観する。以前、奉安堂が展示場になっていた頃に、宝物の幾つかを拝見させていただいたことがあったが、その時よりも何倍も充実していた。初めて目にする展示物が沢山あり、時間が足りないぐらいだった。午後の御開扉を受けて、無事に帰宅。今度は、未登山の方をお連れして来ないと。
2002/07/01
オーランド 2002/06/18
特別研究員 昨年秋から面接試験などを重ねて内定していた、日本学術振興会の特別研究員に採用された。博士課程を卒業するまで無職というのは、とても経済的に厳しいので、まさに御供養の功徳であるが、非常にありがたい。
ボーナスまでは出ないが、毎月のお金とは別に年度ごとの研究補助金(※科研費、文科省に対して直接請求できる身分になる)も与えられるので、生活と研究に使えるお金が、3年間では1000万円以上も違ってくる。
また、それとともに研究の実績を認められたということは、非常に励みになることである。最近は東大生でも滅多に通らなくなってきており、工学系研究科全体でも各学年10名程度である。
2002/06/09
30万総登山大法要(2) 5月24〜27日で、第10〜12会の任務をさせていただいた。今回は、(金・)土・日・月の日程で、特に26日の日曜日は登山者が6000名を越え、客殿入場予定者数も4900名と、いままで経験した場内整理の中では最大の規模になった。(行道僧の通路があるため、全ての畳に着席することができない)
やはり、今までの任務と違うことは車イスの方や身障者の方が、非常に多く御登山されているということであり、非常にありがたいと思った。50年後の立宗800年の時には、私も76歳になるから、おそらくこうして若い人たちの手をお借りして登山させていただくのであろう。
今回は、27日の月曜日のお昼に強い通り雨が降り、しかも霰(あられ)混じりになったため、客殿からの退場が一時ストップするというハプニングがあった。私は場内の任務であったため、我慢できなくなった方々を連れて、順番に大書院や内事部のトイレを借りに行くという、非常任務があった。
場外の任務の方は、急いで傘を集めるために全身ずぶ濡れになった方もいらっしゃったようである。そのため、午後の御開扉は各班3名で2500名を入場させることになったが、主任さんなどの助力により定時に勤行を始めることができた。
今回の事件は非常に良い経験になったと思う。おそらく、全体で部門で任務が見直されることになるだろう。また、個人においても、この霰がもし任務の初日に降ってずぶ濡れになった場合に、どのような装備があれば、二日目以降の任務を支障なくこなす事ができるのかなど、反省すべき点があったものと思われる。
これから、梅雨の時期で必然的に雨が多くなるはずだし、また暑くなるので任務者の体力も削られてくる。場内であれば、着山してすぐに丑寅勤行の任務があるので、初日の午後の御開扉が終了するまでは事実上の徹夜である。残りの48会を全て成功させるために、更に気合を入れていかなくてはならないだろう。
2002/05/28
30万総登山大法要 いよいよ法華講の慶祝総登山がはじまり、任務者として、まず全60会(え)のうち第5会、第6会、第7会に着任させていただいた。第1会の参詣者は5800名と大白法に出ていたが、今回は第5会こそ平日の金曜日で4600名とやや少なめだったものの、土日の第6会と第7会はそれぞれ5400名と非常に多くの登山者で賑わい、奉安殿での御開扉も、1日3回づつ行われた。
30万総登山に着任して強く感じたことは、車椅子などの登山者が非常に多いということである。登山が困難な方には「付け届け」という制度もあるようだが、家族も本人も、この立宗750年の御報恩には、何としても登山させていただこうという意思の現れであろう。
既に気が付いた方も多いものと思われるが、総本山内のあちらこちらにスロープが設けられたり、危険な箇所に柵が設置されたり、穴が埋められたり、石畳に滑り止めが施されたりしている。また、6月には清貫道が延長され出口側も坂になるようだ。世間では、こういう施策をバリアフリーと呼ぶのであろうが、猊下様の御慈悲によって大石寺の境内が着々と整備されていることを感じた。
また、4月27日の特別大法要の際には建設中の奉安堂内部を拝見させていただいたが、かつても正本堂のようにややこしく入り組んだ回廊などはなく、また、さんざん登らされた挙句に御戒壇様まで非常に遠いというような問題点もなく、これが本当の御安置の建物ののあり方なんだと思った。
本山任務者をしていると、自然の会場を見る目というものが養われてくるが、今にして思えば正本堂というのは無慈悲な建物であった。
2002/05/18
特別大法要 4月27日・28日の宗旨建立750年慶祝記念特別大法要に、全国の鼓笛隊と連合会のブラスバンドが御登山申し上げて、記念の演奏をさせていただいた。鼓笛隊による塔中パレードの終了後、客殿前で御法主上人様をお迎えして、合同の演奏会が行われた。終了後、猊下様より大法要に華を添えたことが各人の生涯の福徳として身に供わる旨の御言葉を賜った。高校一年生のときから、10年間ブラスバンドを続けてきて本当に良かった。演奏の後、広布坊中継会場で大法要に参加させていただいた。特別大法要は、これからの30万総登山を成功させるための法要であるということであった。法要後、慶祝弁当をいただいて下山した。
当初は、演奏だけという予定であったが、総本山の御配慮によって法要も拝見させていただき、また前日には御開扉もいただくことができた。また、奉安堂の内部を見学させていただき、その広さを体感することができた。これ以上大きな建物だと、こんどは大御本尊様が遠くなりすぎてしまうので、丁度よい大きさなのだと思った。
追記:お天気もとても良かった。もしも、雨だったら鼓笛隊のパレードも中止である。しかし、このような時は大梵天王の御加護によって必ず晴れるもので、私も小学校3年生から中学校3年生まで鼓笛隊をやっていたが、本番(法華講連合会総会の日)に雨が降ったことは一度もなかった。もちろん、法華講3万総会、地涌6万大結集、あるいは青年部大会など、雨天を考慮していない屋外の行事は多々あったが、いずれも護られて来た。確率的にどの程度の事象なのかは定かではないが、雨を心配する人は誰もいない。
2002/05/01
講演賞 応用物理学会の講演奨励賞(第11回)を受賞した。講演奨励賞は、「春秋講演会において応用物理学の発展に貢献しうる優秀な一般講演論文を発表した若手会員に対して贈られ」る賞で、昨年秋に発表した『二次元量子閉じ込め構造を利用した新規超高速シンチレーターの開発』を高く評価していただいた。
学生の間に、戴く機会があれば幸いと思っていたが(上限は33歳)、修士の最初の講演で選ばれたということは、研究の方向性とては間違っていないから、もっと上を目指しなさいという激励だと思った。放射線の分野で受賞すると、筆頭になるので、授賞式では応用物理学会会長から、賞状を全部読んでいただけた。[賞状][記念品]
2002/03/28
ノーベル賞100周年記念 というフォーラムの入場券を応募しておいたところ、東京(安田講堂)の日程が2日分とも当ったので、聞きに行ってきた。江崎玲於奈先生の講演は、研究者の創造性を発揮するには既存の成果に対する知識が必要だが、既存の成果を知識として詰め込みすぎると創造性は失われてしまうという内容で同感だった。また発見は、意図しない分岐によって生じるものであって、論理の積み重ねではないという見解があった。これも全く同感で、著名な科学者になるためにはかなりの運も必要だと思う。
白川、野依両化学賞受賞者の講演もあった。白川先生は、嫌々ながら引っ張り出されたという御様子で、講演内容も今一つ印象に残らなかった。野依先生は、今春から日本化学会の会長を引き受けられたことからもわかるように、やる気満々で主に若い年代の聴衆に対して意欲的に語られていたのが対照的だった。
2002/03/20
自転車 論文の執筆などで忙しくなると、週に2〜3日は学校に泊り込んで徹夜をすることになる。その際に、一番問題となるのが朝晩の勤行である。そこで、前々から必要性を感じていた自転車を購入して、お寺に参詣することにした。工学部と農学部の間に架かっている歩道橋は、学生からドーバー海峡と呼ばれているが、このドーバー海峡の下の道路が言問い通りで、本行寺の前の通りも言問い通りであるから、一度も曲がる必要がない。
奉安堂の御供養も終わったので、デザインと機能性で選んで、ブリジストンのアルベルト(赤)にした。駆動力をタイヤに伝えるのが、従来のチェーンではなくて、ベルトであるのが最大の特徴であるが、非常にペダルが軽いので上野の坂も比較的楽に登ることができる。大学の構内も坂が多いので、これは正解だった。お寺までの所要時間は、だいたい25分ぐらい
2002/02/02
炊飯器 去年、研究室の片付けをしていたら出てきた電気炊飯器で、ちゃんとお米が炊けることがわかったので、外食費節約のために炊飯をするようになった。御飯を炊くだけで、こんなにお金が浮くものなのかと、ビックリした。それに、お惣菜さて買っておけば、忙しいときに外まで食べにいかなくてすむのも助かる。
いよいよ修論で忙しい時期になってきた。だいたい、こういうときは一日おきに徹夜をすることになるが、その代わり食事の量が以上に増えてしまうので、書き上げるまでに3〜4キロ太ってしまうのではないかと、今から心配。
2002/01/15
新年 前から、御供養が終わったら、慶祝登山任務用にシューズを新調しようと思っていた。輸送班のユニフォームは白のシューズ(無地)と決められていて、探してみると、意外とみつからなかったりする。たまたま、別の買い物で大学の近くの量販店(オリンピック)に出かけたところ、PUMAの白シューズが在庫処分になっていて、3,000円で買えてしまった。ラッキー。今年も頑張ろう。
2002/01/04