しぶけんの超不定期日記2005〜7

しぶけんの“超”不定期日記2005〜7


一円玉

そう言えば、小さい頃は道端によくお金が落ちていたように思う。世の中の景気が良かったせいだろうか、あるいは単に子供の目線が低かったせいだろうか。ふとそんな事を思った。

第2回特別御供養には、去年の第1回に比べて+60%の金額が貯まり、1ヶ月分のお給料を超えた額になったので充実感があった。去年は、一昨年購入した車の経済的な影響が残っていたが、お陰様で今年はこれといった支出もなく健康に過ごすことができ、意識的な倹約もできて良かった。

受付当日は会場の警備を仰せつかり、昼食休憩を除いて朝から晩まで立ち通しだったため、解散して緊張が抜けるとドット疲れが出てきて、地下鉄の駅に向かってトボトボ歩いていると、道端に一円玉が落ちていた。普段ならばわざわざ身を屈めて拾うまでもないのだが、何故だか楽しくなってその一円玉を拾い上げると、忘れていた昔の事がふと思い出された。

それは幼稚園だか、小学校の低学年だかの頃に、元旦にお寺にお詣りするとお金を拾うというジンクスがあった。早朝に電車の待ち時間が寒いので暖かい飲み物を買ってもらうと、自販機に釣り銭が残っていたりとか、そういうことが何年も続いた。その頃は、元朝勤行が終わると、まだ健在だった祖母の元で恒例の新年会が催されており、そこに集った親戚から貰えるお年玉に比べたら微々たる金額だったのだが、子供心に不思議だったなぁ・・・。

そして、たかが一円玉一枚で何だか嬉しい気持ちになった自分を発見して、ちょっと面白かった。

2007/12/09


マレーシア信徒交流会

総本山の御大会に参詣されたマレーシアの御信徒41名が、布教所責任者の御尊師とともに、成田空港への帰路、本行寺に立ち寄られた。本行寺支部からは、中国語か英語で会話が可能な講員を中心に約40名が集まり、本堂での交流会と会館での昼食会に参加した。平日にこれだけ集められるのは、さすがは東京のお寺ということらしい。

交流会では、勤行の後、マレーシア信徒2名と本行寺信徒2名が交互に発表を行った。マレーシアの婦人部員からは、借金と家庭崩壊寸前のどん底から功徳で這い上がり、一家和楽の信心に辿り着いた体験が述べられた。世界中、どこでも共通のテーマであり、御利益の感じ方は人種に依らないと思った。本行寺の婦人部員からは、高齢の義母の介護に明け暮れながら、数少ない出会いをつかんで折伏が成就し、その功徳で開かれた自身の境地に関する体験が述べられた。まだ世代を重ねていないマレーシア信徒には、聞く機会の少ない内容で参考になったのではないかと思う。ここで、本行寺住職より登山の功徳に関する御法話があった。最後に、マレーシア布教所責任者より謝辞が述べられ、平成21年の海外信徒記念登山への意気込みが伝えられた。

昼食会は、言語別に10のテーブルに分かれての会食で、各テーブルにマレーシアの方が4名、日本人が3名という配置だった。あちこちで話に花が咲いたため会場内は喧しく、テーブル全体でのコミュニケーションは次第に困難になり、基本的に両隣の人達との会話が中心となった。私の周りは登山歴7回以上の方ばかりで、初登山の方はお一人だけだった。登山費用は約10万円と聞いているので、割とお金持ちの人が多かったのかも。もっと体験を聞かせてくれと言われるので、謗法生活の経験がないので余りドラスティックな展開はないのだが、親からどのように信心を躾けられたかなどについて話をした。たかが一青年部員に対してすら、縦しんば信心の話は聞き漏らすまいとする真摯な態度に、信心の原点を思い出させられる一日だった。

後日、下記のマレーシア人の同僚にこの話をしたところ、高い航空運賃を払って日本まで来たのに、わずか3泊4日、東京で遊ぶでもなく帰っていったという事に衝撃を受けたようだった。そこかよ!

2007/11/22


仏?佛?

最近、マレーシア人の同僚に信心の話をする機会があった。最近、タイやミャンマー(旧ビルマ)でパーリ語経典の英語訳がさかんに行われているため、それまで大乗仏教しかなかったマレーシアにも小乗仏教が急速に浸透しているとのことだった。大小相対は話には何度も聞いていたけれども、実戦では初めてのことだった。やはり、座禅で多少は得られる事があるらしく執着が感じられた。高学歴の人が小乗仏教に捉われてしまうと、大乗仏教と小乗仏教とでは、そもそも宗教としての目的が根本的に違うから話がすれ違ってしまい、ちょっとやっかいだ。

ところで、彼は日本語も達者で、また華僑のため漢字での筆談もできるので、コミュニケーションは取りやすいのだが、何故か「仏」が通じないので困った。そうしたら何のことはない、一般的には「佛」と書くのであって、「仏」と略字しているのは日本だけなのだ。

2007/08/19


特別御形木御本尊入仏式

本年は私の母親が入信40年目に当たり、また、私自身は生まれて直ぐに御授戒を戴いていますので満30年です。我が家では、節目の年となりましたが、この度、ご住職のご推薦をいただき、総本山より特別御形木御本尊を賜りました。 入仏式では、御導師をいただいた在勤の平野成豊さんより、今この時に日如上人猊下の御本尊様をいただいた事の意義を深く観じるようお話しをいただきました。また、地区長からは、入信した人が初めて御本尊様をいただいて謗法の生活や因縁が一転するように、今回、初心に立ち返って境涯を開くようお話しがありました。

「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛なるを見て池の深きを知る」とありますが、入仏式に前後して身の回りで多くの出来事がありました。まず、父親の大腸にポリープがみつかりましたが、内視鏡手術で済む大きさでしたので、3日で退院することができました。また、私も左下の親知らずの虫歯が悪化してしまい、大学病院で1時間の手術を受けました。仕事では、審査員との疎通がうまくいかずに滞っていた論文の出版が円滑に進み、アメリカとイギリスの学術誌にそれぞれ掲載されました。一方で、仕事で使っているパソコンや測定装置が急に故障してしまったり、また、条件の良い転職の誘いがあり、コネまであったのにもかかわらず話しが流れてしまうということもありました。母親も、前々から折伏をしている人から入仏式の翌朝に連絡が入ったりするなど、様々な出来事があったようです。細い事まで入れるとキリがないほどですが、良いことも、悪いことも、はたまた、良いのか悪いのか分からないことも、短期間に集中して起こりました。

特別御形木御本尊様を家にお迎えしたとことについて、十分にその意義を述べることはできませんが、御命題達成に向けて一層の精進をして参りたいと思います。

2007/07/21


春季総登山・御霊宝虫払会代表登山

3月最後の土日は、毎年恒例の春季総登山会で、法華講連合会の総会も開催された。私も、毎年恒例で連合会ブラスバンドの隊員として参加させていただいた。

今回の御登山は、眷属の中でこれまで余り登山されていなかった方が進んで参加されたことなど、個人的には嬉しい事もあったが、むしろ今年は魔が強いということを痛感させられた。第一は天候で、塔中の枝垂れ桜がほころぶなど比較的温暖であったことは幸いであったが、総会当日の朝は好天に恵まれず、鼓笛隊のパレードは見合わせられた。子供達の演奏は、各会場に入って屋内のみで行われた。これまで、春夏併せて20回以上の経験があるが、パレードの中止は前代未聞であった。2年後に迫った、立正安国論正義顕揚750年に向かって、当たり前だと思っていることが本当に当たり前なのかどうか、総点検するようにとの意味であったように思われる。

御霊宝虫払は打って代わっての素晴らしい天気に恵まれ、境内に7000本と言われるソメイヨシノが満開となり、富士山は積雪が中々見られないほど増えていて、真っ白にそびえていた。記念事業の御影堂修復工事が始まったので、法要のうち御説法と御開山御講は仮御影堂(旧奉安堂)で行われた。御影堂に比べて収容人数が多いので、例年よりも多くの方が、中継ではなく、法要に参加させていただけた。また、御影様は、通常であれば正面に座った方しか拝見できないが、堂内のほぼ全員が尊容を拝することができた点は有り難かった。御影堂修復が完工するまで、しばらくは仮御影堂にて奉修されるものと思われる。

二日目の、御霊法虫払大法会と御真翰巻き返しは、片方の参加券がいただけるとのことで、今年は御真翰巻き返しに参加させていただいた。前から5列目ぐらいに座ることができ、間近に御真筆の御書等を拝見させていただいた。去年の日記に、御隠尊日顕上人猊下から御法主日如上人猊下へ御相承書が渡されたことを書いたが、今年度も同じように行われた。御隠尊猊下は、その後、御前机に安置された「雨の祈りの三具足」を手に取って見られたり、長持ちの中を覗き込まれたりして、お元気そうで何よりだった。

2007/04/08


本山任務(終2)

私の縁で入信された方が、私の引退と入れ替わりで輸送班の任務をさせていただくこととなり、8年間着用した水色のパイロットシャツをお譲りした。

本山任務の功徳と言われていることは、(1)信心即生活が身に付くこと。任務をさせていただける健康な体になること。(2)必要な最小限の経済力が身に付き、登山費用の捻出に困らないこと。(3)会社、家庭等の環境が整い、登山の日程に合わせられること。(4)世出両道にわたって師に恵まれること、と伺っている。頑張って欲しい。


丁寧な任務

  1. 好感を持たれる言語
  2. 信頼される態度
  3. 機敏な動作

2007/02/16


本山任務(終)

現役輸送班として最後の本山任務に、1月2〜4日の初登山会で着任させていただいた。

短い時間間隔で御開扉が行われる通称「連続御開扉」は、多くの参詣者が集まる、お正月の初登山会と年度末の春季総登山会における定番のスケジュールである。例年、私は春季(法華講連合会総会)にはブラスバンド隊員として参加させていただいており、また、初登山は眷属の引率が続いていたため、久しぶりに本山任務者として「連続御開扉」を経験をさせていただいた。

前回は、まだ場内任務者としての経験が浅く技術も未熟だったため、密な時間帯で繰り返される入退場で声は枯れ果て、気力を振り絞りながらのきつい任務との印象が残った。今回は、最後の御奉公(ちょっと大袈裟な表現だが)として、この「連続御開扉」も良い思い出に残るだろうと覚悟して、緊張しながら登山をした。

実際に御開扉のスケジュールが始まってみると、自分でも驚くほど任務が楽しく感じられた。決して全てがうまくいった訳ではなかったが、何処に問題点があったのかが手に取るように分かったし、どうすれば改善するのかも見当がついた。何よりも、様々な思いや立場で登山される参詣者の方々を、大御本尊様(御法主上人猊下様)のお客様として迎え入れることができた。久しぶりに「連続御開扉」のお手伝いさせていただくことで、今まで気がつかなかった自信の成長(機転、配慮、忍耐力、全体感など)を感じることができた。

最後の7回目の御開扉は、入場者数が他の回に比べて少なかったので、班長から早目に警備席へ着いてよいとの指示が出た。場内を見渡すと、添書登山者も含まれていたためか乳幼児数が他の回よりもかなり多かったので、乳幼児ブロック(整理班の誘導で集めてある)へ行って「赤ちゃんが泣いた場合について、簡単にご説明致します。読経・唱題中は赤ちゃんが泣いても聞こえませんので気になさらないで結構です。唱題後の御観念の時だけは、猊下様の大事な御祈念の妨げになりますので、一旦、後ろの涼しいところに出ていただいて、赤ちゃんが落ち着きましたら再度ご入場になれますので、ご協力お願い致します」とアナウンスをして回った。特に若いお母さんは、かなり気にしているようで「赤ちゃんが泣いた場合・・・」と切り出すと、途端に厳しい顔つきになるが説明が終わると明らかに安心されたようだった。

初登山は家族連れも多いので、御観念の際に大声で泣いてしまう赤ちゃんが毎度複数いて、7回目は特に増えるのではないかと予想していたが、声を掛けたブロックからは、一人の母親が赤ちゃんを抱いて泣き出す前に後ろ(円信閣)に出られた外は全く静かだった。これまでは、赤ちゃんが泣いた場合の対処方法を母親に伝えておくと初動が早くなるということを期待して、入場完了が早かった場合にはアナウンスへ行くようにしていたが、母親が対処方法を知って安心すると、それが赤ちゃんにも伝わって、そもそも泣き出す赤ちゃんの数が少なくなるのではないかと感じた。最後の最後まで、色々と学ぶ点があって有り難かった。

8年間という、必ずしも長くはなかった任務が終わって奉安堂を出てみると、石畳の一つ一つまでもが美しく感じられ感無量の思いだった。終わってみて思うことは、終わりがあるというのは、とても良いことである。何故なら、終わりの時にしか感じられないことがあるからである。そして、それは人生に関しても同じ事が言えるのではないだろうか。これまで、少なくとも平成21年までは輸送班を続けているだろうとか、あるいは、35歳ぐらいまでは体力的になんとかなるだろうとか漠然と考えていたが、本山任務は因縁があってやらせていただけるものであって、周囲や自分の状況が変化すれば終わりがくるものなのである。そして、任務でも人生でも、その時に悔い無しと思える事が本当に心地よい。そして、その終わりがそのまま次のスタートなのである。

2007/01/06


鹿児島出張記

日本核医学会の大会(学術総会)で口頭発表をするために、鹿児島へ行ってきました。これまで西の旅行は姫路までだったので、九州には初上陸でした。羽田空港で「空弁」(駅弁より若干高級な雰囲気と値段です)を購入して、1時間半ほどで鹿児島空港に到着しました。ちなみに帰路は1時間強だったので、国内便でも偏西風の影響があるのだと驚きました。東京から北海道の往復だと、主に南北方向の移動なので余り時間差は生じなかったように思います。

核医学会の参加者は医師と放射線技師が主で、我々のような研究者は少数派ですが、jPETのプロジェクトチームが宣伝も兼ねて毎年発表を続けてきたためか、ハードウェアに関する発表も次第に増えて来ています。私にとっては、技師さんの発表というのが新鮮で、それぞれの病院(放射線科)における問題点や、それに対する現場の工夫が興味深かったです。また、測定技術や放射線物理に関する発表に質問や助言をするのは、研究者の役割だと思いました。

鹿児島は食べ物がおいしく、特に豚骨ベースの醤油ラーメンや味噌ラーメン、それと黒豚カツのお店が良かったです。お土産も必然的に食べ物が中心で、薩摩揚げなどを買って帰りました。2日目の晩に行われた懇親会も、通常は参加費(もちろん自腹です)の「元が取れる」ことは少ないのですが、今回は料理が美味しくて得しました。特に、サザエの壺焼きが美味しかったです。また、宝酒造の副社長さんがゲストでいらしており、焼酎に関する面白い講釈を伺ったあとで、幻の焼酎と言われる『森伊蔵(もりいぞう)』や『魔王』をいただきました。私は普段余りお酒を飲まないので表現するのは難しいのですが、森伊蔵はちょっと変わった味でした。

3日目の最終日には各分野の重鎮5名が、それぞれの研究領域における発表からトピックスを選んでまとめた「ハイライト(総括)」が行われました。米国核医学会でワーグナー博士が行っている名物講演を真似したそうです。私の上司も、装置開発分野の取りまとめを行いました。最後に、私のスライドも紹介して下さったのですが、ちょっと恥ずかしかったです。ハイライトを行うと、自分の発表が終わると帰ってしまう人を引き留める効果があるようで、会場の大ホールにはかなりの人数が詰めかけて立ち見の人も居ました。

お昼過ぎに学会が終了したので、レンタカーを借りて鹿児島空港に近い妙見温泉へ行きました。川辺に岩の露天風呂があり、紅葉には少し早かったのですが、景色を楽しみつつ連続出張の疲れを癒しました。肩から背中にかけて、とても軽くなりました。これで忙しかった学会シーズンも終わり、東京での研究や生活に集中できそうです。

2006/11/20


サンディエゴ出張記

最近、米国本土出張では余り心がときめかなくなってしまいましたが、IEEE(電気学会)主催の核工学および画像医用工学の国際会議でポスター発表するために、カリフォルニア州のサンディエゴ市へ行ってきました。ロサンゼルス市のすぐ南に位置する港湾都市で、市電でメキシコ国境まで行くこともできます。

今年は、いつもお参りしている本行寺の信徒が御住職様と揃って静岡県富士宮市にある総本山大石寺へお参りする行事(支部登山)が10月29日(日)にあり、また11月5日(日)には宗祖日蓮大聖人様の命日忌に当たる御会式(おえしき)の法要があったため、10月30日(月)に出国して11月4日(土)に帰国する日程でした。会議の終盤には、複数の断層撮像診断装置の情報を組み合わせる『マルチモダリティー』の発表等があったので、延泊しての情報収集にも価値があったと思いますが、宗教上の理由により致し方ありません。

往復ともANA便で太平洋を渡り、往路はロサンゼルスで、復路はサンフランシスコで乗り継ぎをしました。ロサンゼルスは国際線と国内線のターミナルが離れており、移動距離が長くてやや不便でした。テロの影響で相変わらず物品検査に時間がかかりましたが、液体の機内持ち込み等に関してはむしろ米国内の方が融通が利くようでした(例えば化粧品は透明なビニール袋に入れて手に持てばOKなど)。座席はもちろんエコノミークラスですが、映画を自分で選択できるようになっており快適でした。特に、復路は時差解消のために寝ない方がよいので、仕事が終わった安堵感もあり立て続けに4本も見てしまいました。

その中で韓国映画をハリウッドがリメークした『イルマーレ』は、2年間の時を隔てた男女の不思議な文通のストーリーで、過去の男性(建築家)から未来の女性(内科医)してあげられること、あるいは未来の女性から過去の男性にしてあげられることを通じて、出会うことの無いままお互いに引かれ合ってゆくという展開でした。強く運命を感じるほどに、2年間という時間の壁が二人の間に高く立ちはだかり、やがて非現実的な恋は破局を迎えます。二人に奇跡は訪れるのでしょうか・・・ラストシーンは内緒です。

話しがそれてしまいましたが、今回の僕の発表の内容は対消滅放射線の角度揺動に関する実験結果についてです。ご存知の通り、電子の反物質である陽電子が電子と出会うと対消滅して全ての質量がエネルギー変わります。このエネルギーはそれぞれ正反対の方向に飛行する二本の放射線として放出されるという性質があるので、この二本の放射線を計測して元の陽電子の位置を割り出そうというのがPET装置の基本原理です。ここで、「正反対の方向」と書きましたが、実は微妙に(0.5度ぐらい)「正反対」からずれる性質があり、これが診断画像がぼやける原因になっています。ところが、PETの歴史は半世紀にもなりますが、これまで誰も実際に何度ズレれているのか精密な計測をしていませんでした。それはもちろん、測りにくい理由があるのですが、今回、その問題を解決する方法を思いついたので実際に計測してみたところ、これまで考えられていたよりも10%ぐらいズレ幅が大きいということが分かりました。

この結果を欧米の学会で公表するのは今回が初めてで、従来の教科書を更新する内容にどのような反響があるのか楽しみにしていました。結果は、約90分のポスター担当時間内に約20名の研究者や大学院生が訪れ、測定の原理や精度に関する質問を受けました。発表の内容上、どうしても数式がいっぱい出てくるので、ハードウェア関係の研究者にはやや敬遠された感じがしました。そう言えば、込み入った内容を質問してくるのは、女性の研究者の方が多かったようです。基本的に女性の方がまじめだからかなと思いました。あるいは男性は基礎的な質問をするのが恥ずかしいのかもしれません。今回の担当時間は、自分のポスターの前から離れずに立ち続けていましたが、待ちぼうけで暇な時間はそれほどなく、また自分から閲覧者に積極的に"May I help you?"と声を掛けていくことができたので、国際学会での発表も慣れてきたかな思います。一方で、期待していた何人かの大御所の先生方はそもそもポスター会場に現れず、直接議論することが出来ず残念でした。今後は、英文専門誌に投稿する形で成果を問うことになります。

サンディエゴ市は、水族館や動物園が有名なようですが、今回は空港と会場のホテルを往復するだけで、外出する余裕がありませんでした。もっとも滞在期間が短かったので、密度を上げるために講習会を予約したりして、自分で意図的に缶詰状態にしたというのもあるのですが、なかなかハードスケジュールでした。帰りの乗り継ぎに時間的な余裕があったので、サンフランシスコ国際空港の出発ロビーで軽食をとってから、うつらうつらしていたところ、出発10分前になって呼び出しアナウンスに起こされるという失態でした。危うく乗り遅れるところでした。やはり一人の時は、居眠りしてはいけませんね。出発ゲートを次の成田行きの便と間違えていたのですが、掲示板で視認せずに機内アナウンスだけでゲート番号を判断していたのがそもそもの間違いでした。

2006/11/07


日昇上人50遠忌法要登山

本行寺の1階仏間には「信雄房」と脇書された板曼荼羅が安置されているが、これは若き日の御隠尊日顕上人猊下が本行寺の復興を成し遂げられた際に日昇上人より賜った本行寺重宝の御本尊である。日昇上人第50遠忌法要登山に参詣させていただくことができて良かった。

2006/10/15


ソウル出張記

今回は、PDFファイルです。

2006/09/12


日教上人第250遠忌法要登山

前から、なるべく歴代上人の御遠忌には登山させていただこうと思っているが、ちょうど交代でお盆休みの時期でもあったので、日教上人250遠忌法要登山(8月10〜11日)に参詣させていただくことができた。

法要の際の御説明では、日教上人は五重塔が建立されてから直ぐに御登座されたそうで、厳しい大石寺の財政の切り盛りもなされたとのことだった。それまでは、ほとんど過去帳でしかお名前を見たことのない御法主様も、遠忌に参詣させていただくと御事績を拝聴することができて有り難い。ある人が、50年間欠かさずに御遠忌に参詣すると、全ての御法主様の法要に出ることができるのだ仰っていた。なるべく頑張ろう。

世間常識では、社会人が平日の2日間に、何百年も前に亡くなられた高僧の法要に参詣するというのは中々考えられないだろう。私も、昔は何で付近の土日に振り替えないのかと思っていた。しかし、何度か遠忌法要に参詣させていただいて、「大石寺の常識」を体験するうちに、慈悲の修行ということを感じるようになった。この功徳は仕事にも表れてくるが、視点が広くなったというか、深謀遠慮ができるようになったような気がする。(気が付いてしまったために、自分で自分の仕事を増やしてしまうこともあるのだが)

今回、私が遠忌法要に参詣させていただくようになった原点を思い出した。それは、ある御老人の体験発表で、医者も匙を投げる進行癌となったため、最期の御登山だと思って墓地にお参りし、歴代上人の墓前に一つ一つ線香をお供えして今生の暇乞いをして下山したところ、強い嘔吐があり癌が消えてしまったという趣旨である。いたく感動して、早速真似をしてお参りをしたところ、大学浪人として非常に有意義な一年間を過ごすことができた。

次は、9月18日(祝)・19日(火)が寛師会、10月13日(金)・14日(土)が日昇上人、11月13日(月)・14日(火)が日啓上人・日享上人の御遠忌である。

2006/08/13


日如上人御代替奉告法要2

御影堂で行われた御代替慶祝講演会において、教学部長・水島公正御尊師が『地涌倍増を目指して』と題して話された中で、仏教タイムス紙(平成18年1月19日付)を引用されているが、その全文は以下の通りである。

(平成17年)12月15日、日蓮正宗総本山大石寺においては第六十七世法主日顕上人が退位され、同上人から血脈相承を受けた早瀬日如上人が第六十八世法主に登座、翌16日、客殿において座替法要が執り行われた。

同日、早瀬日如上人は、管長推戴会議において日蓮正宗管長に選任された。前法主第六十七世日顕上人は、隠尊として血脈不断に備えることとなった。新法主日如上人は訓諭の中で「今宗門は日顕上人の御英断によって、曽って宗内に在った邪智驕慢なる謗法の徒輩を掃滅して日興上人以来の血脈正統の宗是を厳護し、更に奉安堂の建立等総本山を整備荘厳して、盤石なる基礎構築しつつ凛然として広布への道を進んでいます」と。前法主の業績を称え、これをふまえ引き続き一貫した方針で進ことを明らかにし、創価学会に対しても厳しい折伏をもってのぞむことを明言している。

新法主のもと日蓮正宗は本年を「決起の年」とし“日顕上人の打ち出した、来る平成21年「立正安国論」正義顕揚750年をめざし、地涌倍増と大結集達成”を当面の目標として進むことになる。

第六十七世日顕上人は、昭和54年7月、第六十六世達上人が創価学会問題の最中に逝去したあとを受けて登座して以来27年間、激動する状況下、日蓮正宗をひきいて難局に対峙してきた。昭和56年の「正信会僧侶破門」、平成3年の「創価学会破門」という果断な対応で宗内から異端を排除して開祖日興上人以来の法燈を守り抜き、総本山大石寺のたたずまい整備に力を注いだ。とりわけ信徒数の90%を占めていた創価学会が、その力をもっておごり謗法と傲慢の振る舞いが昂じて、宗内を攪乱するのみか社会に害を及ぼす行為を続けるのに対し、教導しても改めようとしないため、これを破門したことは、宗教史に残る英断であった。大衆に迎合せず、見せかけの繁栄や財政上の利益を捨て、常に原点を見つめ、法義に忠実に、また世俗に染まらず清浄であることを志向する、宗としての根本の筋を通した選択として後世評価されるであろう。

もっとも戦後55年余、教団内に創価学会のような存在を容認し、多くを依存してきたことについての責任は、日蓮正宗として、今後決して忘れてはなるまい。

前法主の27年間は果断を下して池田学会と池田大作氏を排除し、宗内にかかえてきた自己矛盾を一掃する歴史であった。

このところ日蓮正宗は、ようやく教団の基礎が固まり、陣容がととのってきており、また新法主のもと若返った態勢を発足させる好機であった。

一方、創価学会には「法主が替われば、よりを戻すことが出来るのではないか」との期待があった。「日顕上人の対学会強硬路線に対して宗内は批判的であり、面従腹背しているが、内心では、創価学会破門以前の裕福だった時代を懐かしがっているのに違いない」「宗内は学会とのケンカにウンザリしており厭戦気分が漂っている」「早瀬日如法主の父は学会よりだったし、法主自信も新宿区大願寺住職時代、池田会長が丁重にもてなしてきたから、学会のことを悪く思っていないはずだ」などと、手前ミソな希望的観測を首脳達は抱いているようだ。会員には「次の代になれば、学会員も再び登山ができて、元通りの関係になる」などと口コミで宣伝してきた。

しかし日如上人は、創価学会破門の際、庶務部長として実務を担当し、その後の対創価学会戦争においても中心となって指揮をとってきた。登座直後から創価学会を“謗法の輩”と断じ破折したのを見て、これまでの甘い、手前ミソな観測がはずれた腹いせに秋谷栄之助会長が、1月6日の本部幹部会で日如上人を「ニセ法主」と罵り、「奈落の底まで追撃し、本山をペンペン草が覆い尽くすまで攻め抜いていく」と宣言した。創価学会はこれまでも、さんざん「大石寺はさびれて、ペンペン草に覆われている」と宣伝。それがウソだったことを自白したことになるが、それにしても創価学会は「ペンペン草」が好きなようである。

整然と座替りを行った日蓮正宗に対し、創価学会は、病体とされる池田氏のアトガマもはっきりさせられない。日蓮正宗と創価学会の戦いは、どうやら分水嶺を超えたようである。

下線部にあるように、日蓮正宗は創価学会を生み出した社会的責任の上からも、、再折伏の手を緩めることなく推進していくことが肝要である。最後の「ペンペン草」の節には一笑だが、付け加えて言えば、仮に大石寺の境内にペンペン草が生えようとも、信心にペンペン草の生やした者どもに云々される筋合いは断じてない。

2006/04/28


日如上人御代替奉告法要

平成14年10月の奉安堂落慶法要において、総本山第67世日顕上人猊下より、我々法華講は「地涌倍増」の御命題と7年間の時間を賜った。そして、日顕上人は昨年12月に「人心の一新」と仰せになられ、金口嫡々血脈を第68世日如上人にお譲り遊ばされた。この度、7年間の丁度半分が経過した平成18年4月、総本山恒例の虫払大法会に際して代替奉告法要が奉修され、引き続き国内外代表信徒の慶祝登山が行われた。

仏法では、変わり目を大切にすると伺っている。一日であれば陰陽の境目である丑寅の刻、一年であれば春秋の彼岸、そして一生であれば臨終である。総講頭は予てより「七は変化で八は開く」と仰っている。750年は7と8の中間であり、また御法主様が67世から68世に替わられたのである。代替奉告報告並虫払大法会に参詣させていただき、御法主・御隠尊両猊下の睦まじい師弟相対のお姿を拝見し、また御生骨を内拝されていただいて、蓮興正嫡の血脈の不断とともに、功徳によって因縁が開いていく宗門の変化を感じた。これまで、数々の代表登山や慶祝登山に参詣させていただいたが、そのどれよりも素晴らしい体験だった。

4月6日の代替奉告法要はテレビで拝見した。前回は27年前であるから、一般の多くの信徒が中継で御影堂の様子を知ることができたのは初めてではないだろうか。春の訪れが例年よりも早かったものの、法華講の春季総登山会が終わってからは肌寒い風の吹く日が続いていたが、ちょうどソメイヨシノが満開となり好天にも恵まれ、全てがこの日の為に準備されたようだった。また、初転法輪では、宗祖日蓮大聖人様の『立正安国』の御教示を実証する時である旨の御説法があった。

翌日の御霊宝虫払大法会・御真翰巻き返しでは、御隠尊猊下が差配を揮われたのが印象的だったが、これは一切の宝物を点検する意義があるとのことだった。また、「一期弘法附嘱書」(古写本)、「身延山相承書」(古写本)、「日興跡条条事」の三通は、自ら日如上人にお渡しになり、日如上人が恐縮してお受け取りになられたが、特に相承書の引き渡しには甚深の意義がある。「諌暁八幡抄」以降は通常通り総監様のお役目だったが、御代替ならではの光景と思われる。日顕上人の御代替法要も、日達上人の御代替法要も、御隠尊猊下が遷化された後だったので、支部役員に聞いても隠尊猊下のお役目を拝見するのは初めの人が多かった。

御開扉では、日如上人による御戒壇様の煤払いが終わった後、御生骨の内拝があった。内拝は26年ぶりとのことであるが、開封も26年ぶりのようだった。御宝前中央に御生骨の納められた宝塔が安置され、向かって左脇(上座)に御法主上人、右脇に御隠尊上人の両猊下が並座され、御隠尊猊下の懐かしい導師により読経・唱題が行われた後、列になって進みながら御生骨を拝見した。色の濃い部分に目がいってしまい全体像が把握できなかったが、他の人の話しから総合すると御肉牙の「肉」の部分を見たようだ。

その後、大回廊にて記念品(扇子…「正観」、色紙…「聡慧」、お弁当)をいただいて下山した。

11日に再度、御生骨を拝見した。支部の遅刻者を待っていたため、御開扉は一番後ろになってしまったが、図らずも内拝の列の後尾となり、じっくりと拝見されていただいた。一回目とは全く異なる見え方で、結局どちらが正しいのかも分からないので、詳細を記述することは出来ない。ちゃんと見えたかどうかよりも、見せていただく機会に参加したことに意義があるのだと思う。そもそも御生骨の内拝は、多くの方が御代替慶祝登山に参詣させていただいて、功徳を積むための御配慮なのかもしれない。

2006/04/12


本行寺の裏に第二東京タワー(2)

下記の話しが、正式に決定したらしい。いつも京成押上駅から本行寺まで歩いているのだが、その途中に世界一のタワーが建設されるなんて。大規模な再開発でショッピングモールとかも出来るのだろう。付近の土地や東武鉄道株が値上がりしているそうだ。

2006/04/01


本行寺の裏に第二東京タワー(?)

東京タワーは主にテレビ放送の電波発信を目的としているが、最近、関東全域をカバーする新しいタワーの建設が計画されている。高さは600メートル以上と言われており、観光収入が期待されることから誘致合戦が激化している。これまで、上野公園や埼玉新都心が有力な候補地と考えられていたが、ここに来て墨田区の業平・押上地区(現在は東武線の車庫)に仮決定されたという発表があった。本行寺から徒歩4分の立地である。う〜ん、ビックリ。本当にそうなるのだろうか・・・。


※右下は常泉寺側から見た本行寺の想像図。

2006/03/21


日阿上人六百遠忌法要

3月9・10日と、総本山第7世日阿上人600遠忌の満山法要に御登山させていただいた。2日間とも平日だったため、本山任務でなければ思い切って有給休暇を申請できたかどうか分からないが、信心している者が身につけていくべき大石寺の価値観(と世間的な観念との差異)を実感した登山会だった。口で恩とか感謝とか言うのは簡単だが、それを弛むことなく実行してきたのが御宗門である。なお、日如上人猊下御座替後で最初の満山法要だった。

第6世の日時上人が38年に亘って御当職を勤められ、その代官として日時上人を支え続けられたのが日阿上人とのことだった。そのため、第7世日阿上人の御在職は僅か9ヶ月間と記録されているが、他門の壇林で能化を務めた高僧を改衣させるなど、数少ない資料から教学に勝れた上人のお姿が拝察されるとの説明があった。

任務者解散式終了後、典礼院で日阿上人御報恩謝徳の御塔婆をお願いし、支部の任務者と墓参ののち下山した。

2006/03/11


年賀状(戌年)

昨年末に、日顕上人猊下は戌年でいらっしゃるから来年は「年男」だと思っていたら、「人心の一新」を期して12月15日に御退座あそばされ、宗門は立宗754年の新春を第68世御法主日如上人猊下のもとで迎える運びとなった。

ウェブを眺めていると、創価学会の者どもが御退座を指して勝利だなどと喚いているが、不断の血脈相承こそが御宗門の弥栄の根本であり、個人のカリスマ性にあやかって瓦解を免れている新興宗教との対照性が、いよいよ明らかになってくるだけのことである。そもそも、日顕上人猊下が『立正安国論』の御講義で「現代の一凶は創価学会である」と御指南あそばされた旨を、全国に周知徹底されたのは庶務部長としてお仕えされてきた日如上人猊下なのである。ここに、「悪いのはニッケンで猊下が替われば和解もある」などと調子の良い事を言ってきた創価学会の嘘が、また一つ曝かれてゆく。

戌年年賀状

余談だが、フェイクの作者が訓諭中の「只管(ひたすら)」が読めず、しかも「しかん」などとわざわざ間違ったルビまで振っていたのは、新年早々笑わされた。本当に人材が足らないようだ。

2006/01/01


御大会

(本格的な)社会人一年目だが、代休が貯まっていたこともあり、今年も御大会の任務をさせていただいた。例年と比べてお天気がよく、暖かいという印象だった。冬場の任務に必須のタイツをうっかり忘れてしまったが、結果的に必要がなくて助かった。着任場所は主に客殿(中継会場)2階だった。御大会の主会場である御影堂は着席人数が限られているため、一連の法要の区切りで参詣者の入れ替えがある。移動する参詣者も忙しいが、任務者も非常に忙しい。

任務中に某有名人に質問されたが、うわ〜顔ちっちゃいという感想。何も特別扱いは致しませんけど。(余談)

恙なく全ての行事を終えて、富士山を見ると紅富士に染まっていた。一般登山者の下山が修了した後のことなので、任務者以外では見た人は少なかったかもしれない。自身は二度目なので、デジカメでの撮影はしなかったが、今にして思えば記念に写しておけばよかった。総本山第67世日顕上人猊下様が、御当座中に奉修された最後の大法要の日の夕暮れだった。

2005/11/21


プエルトリコ

米国電気学会(IEEE)の国際会議でプエルトリコ(カリブ海)へ行ってきた。プエルトリコはグアムなどと同じくアメリカ合衆国の自治領である。『地球の歩き方』を調べてもほとんど現地の情報が得られないし、特割の航空券を調べたら、シカゴから更に中型機で5時間以上もかかることが分かり、事前には乗り気がしなかった。アメリカ人のリゾート地ということだが、くつろぐために出かけるのでもないし、遺跡のあるメキシコなら良かったのにと思った。

会議場のホテルに宿泊したが、近くのショッピングセンターへ行くにも車が必要な僻地で、他に選択の余地がなかった。シーズンの宿泊費は一泊500米ドルにもなる高級リゾートホテルだが、団体割引で150米ドル(税別)になったツインルームを、早稲田大学の学生さんとシェアした。しかし、ホテル内でしか食事がとれないため、昼にハンバーガーを食べるだけでも20ドルが吹っ飛ぶ状況で、携帯電気ポットとレトルト食品を持参していたのが救いだった。ちなみにポットは必ず空港のX線チェックで引っかかるので、スーツケースは施錠しないでおく(空港職員にこじ開けられてしまう)。ちなみに米国入国時には例の指紋採取をされたし、靴を何度も脱がされた。

一日のスケジュールは、朝8時に始まった午前のセッションが12時まで続き、午後3時までは昼休み、そして3時から夜7時までが午後のセッションという流れだった。仕事は勿論するけれど、遊ぶ時間はきちんと遊ぶというアメリカンスタイルの反映か。昼休みには、プライベートビーチならぬプライベートアイランドがあって、ルームカードを見せると無料の水上タクシーで離島まで連れて行ってもらえる(所用20分)。滞在5日間のうち、2日の昼休みは海水浴を楽しんだ。島にはイグアナが生息しているらしく、目撃した人もいた。コキーという、電子音のような高い音で鳴く名物カエルは見つけた。

カリブの砂浜

学会発表のスタイルには、自分の研究内容を模造紙にまとめて決められた場所に展示し興味を持って見に来た人と議論をする「ポスター発表」と、会議室でパワーポイント(一昔前はOHPだった)を使いながら解説と質疑応答を行う「口頭発表(オーラル)」があり、後者が格上とされている。どちらの発表スタイルになるかは、学会を主催するプログラム委員が決める。今回は、初めて口頭発表に選ばれ、発表時間12分と質疑応答時間3分が割り当てられた。発表内容はあらかじめ暗記しておけばよい。問題は質疑応答で、予想もしない事を聞かれて戸惑うのは仕方ないとして、まず質問が聞き取れない恐れがあるし、しかも相手の英語に訛りがあるとかなりつらい。

初めての口頭発表

一人目の質問は、何とか答えたものの相手は納得しない様子であった。後でよく考えたら、どうも質問者は別の動作原理で働くセンサーと勘違いしていたようだ。これでは話しが食い違っても仕方ないが、上がっていたのでその場では気が付かなかった。こればかりは経験を積むしかない。二人目はメーカーの方で、スペックに関する質問だった。定量的な質問は、定性的な質問と比べて答えやすい。ここでタイムアップだった。セッションが終わった後で、数名の研究者から名刺をいただいたので、内容は伝わったようだった。

私にはよくあるパターンなのだが、終わった翌日に熱を出してしまい、食べ物が不味く感じられて辛かった。持参した風邪薬が良く効いたので、他のグループの発表を見て回り情報を収集した。政府主導と言いつつ、実は日本が欧米から相当遅れている分野も多く、国内の人材不足が懸念される。

思わぬリゾートを楽しんでしまったが、国道から路地に入ると貧民街のようなところもあり、観光地化の裏を垣間見た。

2005/10/30


ダイエット

昨冬の博士論文執筆がかなりのストレスだったようで太ってしまった。学位申請に必要な成果やデータは揃っていたので、文章にまとめるだけだったのだが、4食+間食(カップ麺など)の毎日だった。全身全霊で書き物に集中するのは相当なエネルギーが必要で、常に補給が必要だった。

当然のことながら、新入社員検診では肝臓の値が引っかかり、慌てて正常な食事の量に戻して体重を減らしていった。油気は多い中華料理は食べないこと、夜の食事で米飯の量を減らすこと、それと間食をカロリーの少ない物(おかずパンは厳禁)に変えることなどを心掛けた。また、通勤が片道あたり徒歩25分なのも適度な運動になってよかった。半年で7kg減量し、体重と肝臓値を正常に戻すことができた。(肝炎とかじゃなくてよかった)

献血生化学項目標準値今回(8月)前回(2月末)
ALT(GPT)5-453782
AST(GOT)11-372334
γ-GTP(GPT)10-654081
体重68.96774

2005/09/19


衆議院選挙

今回は突然の衆議院解散のため、支持母体の組織票準備に時間を要する公明党は不利ではないかとの声も聞こえるが、創価学会の組織力が注目される。しかし、解散から公示までの日数が通常よりも多かったこともあり、著しく得票を減らすことはないだろう。むしろ今回は、全国的な投票率の上昇によって組織票の割合が薄められる効果の方が大きいと思われる。

二大政党が均衡すると第三の少数勢力がキャスティングボードを握ることがあり、公明党の存在感もそこ発揮されている。ただし、厚生大臣を出すと鳥インフルエンザや食肉問題が発生し、国土交通大臣を出すとJRやJALで事故が多発するなど、公明党「デージン」のイメージは必ずしも良くない。

それはさておき、(衆議院で)公明党の存在感が薄れるのは、自民党か民主党の単独政権が可能となる場合である。解散後の政権支持率が上昇したことを考えると、今回可能性があるのは自民党の単独過半数であろう。公明党の候補者は自民党支持層からの選挙協力に不満を感じている面もあるようだが、実は公明党側にも自民党に勝ちすぎてもらっては困るという深層的な心理が存在する。今回公明党が困っているのは、その辺の「匙加減」をする時間がないからである。

創価学会にとって選挙は重要な「祭り」であり、その「勝ち負け」に宗教的な意義すら見いだされているようである。しかし、あくまで選挙は世法であるから、少々の議席数の変動に一喜一憂する必要はない。より大切なのは、その背景にある創価学会員の一人ひとりを破折していくことであろう。選挙に功徳があるなどという教えは日蓮正宗には元来ないし、政治的な合従連衡には謗法与同の危険性がつきまとう。基本的に選挙権は個人の世法的な権利であるが、宗教組織の指導を通じて集団行使されると、その結果の及ぼす宗教的正邪や指導者責任も考慮せざるを得ない。

2005/09/03


鼓笛・少年部合宿

小学校3年生の時に初めて鼓笛隊合宿に参加してから、小学生で4年間、中学生で3年間、高校生で3年間、大学生で4年間、大学院生で5年間、そして今年初めて社会人として参加して、数えてみると20回目の節目に当たる少年部合宿登山会で感慨深かった。また、鼓笛隊コンクールが10回目であったことから、御法主上人猊下様より「妙音舞」の御染筆をいただいた。早速、『妙音』のバナーに使わせていただいている。

2004/08/02


Windows Media Player 10

月末に鼓笛・少年部合宿を控え、家でトランペットの練習をしていたときに気が付いたのだが、MicrosoftのWMP10では再生速度がコントロールできるようになった。しかも、単純にスピードを変えるだけでは周波数が変化するので、早送りでは音が高く、逆にスロー再生では音が低くなるはずだが、それもちゃんと補正されている。これまでも語学教材に付属ソフトでそういう機能があったが、これが無料で配布されているのは大きい。

早速、ヘッドホンでスロー再生を聴きながら楽器を吹いてみたが、通常の速度ではちゃんと吹けていたつもりの曲が、かえって難しかったりする。ようするに、正確なリズムで演奏していなかったためだが、細かいところに気が付いたりして収穫だった。ソフトのヴァージョンアップでたまには良いことがあるもんだ。

2005/07/18


小湊・天津・鴨川

小湊・天津・鴨川の下見。

2005/06/18


年賀状(酉年)

元日・元朝勤行会、2日・広布唱題会、3日・初登山会と、年明けから連日の行事であったが、御法主上人猊下様より、立宗753年は題目の五字・七字および三大秘宝であり大変お目出度いという趣旨の御言葉があり納得。今年もよろしくお願い致します。

信心をしている方宛


信心をしていない方宛

2005/01/04