寺報用原稿 ●十二月号編集後記
「法華本門を建てられざるの間は、国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん。」(日興上人御申状)
日興上人は元徳二年三月、執権北条守時に申状を送られ正法治国・邪法乱国の道理を以て折伏をされた。
鎌倉幕府は御家人の所領を安堵する「御恩」を施し、御家人は軍役等を担う「奉公」で報いる主従関係を基軸とした。しかし、防衛戦争の元寇では新領土獲得がなく、幕府は十分な恩賞を給与できなかったため、粉骨砕身の御家人は経済的困窮を深め、幕府への不信感を募らせた。幕府は、暴風雨もあって元軍を撃退し権力を過剰に強めたが、内実は御家人との主従関係に亀裂を生じ、やがて衰退への道を辿った。
御申状より三年、反幕府勢力鎮圧に向かった守時の妹婿・足利尊氏が京都で反旗を翻し、鎌倉も御家人の新田義貞らに攻め入られて滅亡した。自界叛逆そのものであった。
本年、東日本大震災等の国内外で打ち続く天災・人災に立正安国論を肝に銘じつつ、我々は折伏誓願を早期達成して支部総登山と御会式を迎えた。御歴代上人の御申状の精神を体し、明年「実行前進の年」も御住職とともに精進して参りましょう。
●平成二十三年度第三回支部総登山・第六十一回支部総会折伏誓願目標達成の喜びの中、十月三十日(日)、本年度第三回目の支部総登山会が行われた。
登山者は朝八時半までに着山、午前十時からの御開扉で本年度の信行その他の御報恩を申し上げ、続いて、十一時二〇分より常来坊で布教講演があり、藁科鑑道御尊師より「やればできる」と題する法話を戴き、御法主上人猊下は法華講員五十%増は平成二十七年まで待たなくても良いとの御教示であるとのお話があった。
終了後は、常来坊で昼食をとり、引き続き、午後一時より支部総会が開催され、初めに上板地区の金子班長、続いて東葛地区の松田武彦さんが体験と決意を述べた。
次に御住職の指導で、多事多難な本年、『実践行動の年』の実践テーマである「@勤行・唱題で広布への前進、A折伏実践で御命題達成、B全講員で支部登山」を愚直に成し遂げ、「須弥山に近づく衆色は皆金色なり」と堂々の御登山が叶った喜びを述べられた上で、折伏は地涌の菩薩の一員として当然の責務であるから、弥々の御精進を希いますと御指導された。
続いて、丸山講頭は、日本列島に打ち続く災害を見て、何も感じない人はいないはずだ。今一度、初心に立ち返って謗法を戒め、御法主上人猊下の御指南に信伏随従してまいりましょうと挨拶された。
最後に鼓笛隊の演奏で『広布に生きる』を、男子部の指揮のもと、大合唱。盛大裡に総会を終了、朝から姿を見せていた富士山を眺めつつ、それぞれの帰路に就いた。
●十一月度広布推進会(四者対象、於妙証寺)初めに、新たな誓願達成寺院として大護寺(目標六十名)と白蓮院(同五十五名)が紹介され、布教区の折伏目標合計二千百八十三名も達成された。
次に、信徒三名の活動報告があり、白蓮院の婦人部班長は、五月末の支部誓願達成率十一%にも諦めず、六時間ないし十時間の唱題会を定期的に行い、十一月達成に至ったと発表した。妙国寺副講頭は、歴代住職の恩徳に報いる為、必ず誓願成就すると決意を述べた。妙証寺の女子部員は、折伏に励む中で何時の間にかうつ病の薬が不要になり、契約社員に昇格できた体験を語った。
続いて、妙証寺の石井御住職より、日興上人御生誕七百七十年をお迎えするとは、単なるお祝い事ではなく、断腸の思いで身延を離山し末代に二十六箇条を遺された日興上人の、謗法厳戒の精神に立ち返る事であると御指導があった。
最後に芳賀支院長が、布教区全寺院達成に向け皆で異体同心の御祈念をと呼び掛けた。
2011/11/20
寺報用原稿 ●十一月号編集後記
「意識が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば人生が変わる」
米国大リーグの松井秀樹選手は、高校時代の監督から贈られた格言を座右の銘とし、日々怠りなく精進しているそうだ。
御法主日如上人猊下は九月に、大廣寺入仏法要のため、中米パナマ共和国に赴かれた。時差と長旅でお疲れのところ、現地滞在時間は一日半という多忙なスケジュールの中で、御法要に加えて夜の祝賀会にもお出ましになり、現地僧俗を大いに励まされた。また、御機嫌麗しく帰国されると、翌朝の丑寅勤行も大導師をつとめられた。
私達も、御前様の率先垂範を拝し、「高齢だから」とか「仕事に家事に疲れている」とか、言い訳に終始していては申し訳が立たない。平成二十七年に向けて、一年一年、御住職とともに着実な信行増進に努めましょう。
●十月度広布推進会(四者対象、於妙国寺)はじめに、妙縁寺が十月九日に折伏誓願九十名を完遂、本行寺が十六日に三百名完遂と報告された。これで東京第一布教区十二ヶ寺の半分が目標を達成し、布教区全体の入信者数は九月末で1937名(達成率88.7%)となった。
次に、信徒代表の活動報告では、本修寺の布教部長が「昼夜常信心」で五年連続の支部誓願達成、自身の所属地区では目標二十七名に対し八十六名が入信と述べた。妙証寺支部の副少年部長は、昨年より少年部にも折伏目標を設け、今年は五名としたところ、子供達は仲良しのお友達とお寺に行きたいと素直な気持ちで折伏を実践、現在の成果は六名と語った。常泉寺の学生部長は、スカイツリー見学に来たフランス人留学生を折伏し、滞在中に勤行を覚え御登山も二回出来たと述べた。また、寺院近くに住むネパール人夫妻も入信、真面目に参詣していると語った。
本修寺の菅原御住職は、悪報充満の厳しい環境にある今こそ、「一年に一人が一人以上の折伏」を実践して大功徳を積もうと御指導された。また、芳賀支院長は、閉会挨拶として、動物園の猿よりもサーカスの猿は長生きをする。生甲斐が大切で、真の生甲斐は折伏目標を常に持って、深く祈り続ける事だと述べられた。
●十月号編集後記「二十三日・四日は又そらはれて、さむからず。人のまいる事、洛中かまくらのまちの申酉の時のごとし」(地引御書)
弘安四年十一月二十三・四日の両日、身延山で新築なった大坊の落慶法要が奉修されました。当日は好天にも恵まれ、大聖人様はまるで京や鎌倉のような賑わいだったと喜ばれました。大坊は十間四面の広さで二重庇造り、富木殿が銭四貫文を御供養された他、弟子檀那の清らかな信心と真心によって建立されたのです。
現在、総本山大石寺御影堂の大改修工事は、平成二十五年十一月を期して着々と進んでいます。また、年末には特別御供養が勧募されます。
多くの御書が御供養の御礼として書き出されていますが、御供養は信徒の大切な勤めであり、また大きな経済的功徳を積む貴重な機会でもありますので、信心と真心をこめて一人ももれなく参加致しましょう。
●九月度広布推進会(四者対象、於常泉寺)初めに石井副支院長は、勇猛精進について『依義判文抄』を引かれて、勇猛とは信心、精進とは唱題であると述べ、開会挨拶とされた。
次に、信徒二名が活動報告を行い、妙証寺婦人部員は、母親の葬儀で発心した弟さんが亡くなるまでの九年間で百五十名以上に下種したこと。また、生前に「御住職を尊敬している。御住職にお会いすれば人生が変わるから、お寺に行きましょう」と折伏した方が葬儀後に入信し、自分も今、この台詞を借りて六名の御授戒が出来たと述べた。常在寺副講頭は、支部誓願達成報告登山のお目通りの砌、御法日如主上人猊下より「東京が達成できないと、地方は達成できなくても仕方がないと思われてしまう。東京は、全国と世界を引っ張って下さい」との御言葉があったと述べ、常在寺は目標の一五〇%に当たる二八五名を年内に完遂すると宣言した。
常在寺の阿部御尊師は、パナマやインドの折伏進捗状況を紹介され、折伏には時空を超える功徳がある。今、海外も国内も功徳の時を迎えており、折伏こそが日蓮正宗の存在意義と指導された。
最後に芳賀支院長は、布教区の年間誓願は2183名であり、八月末の成果は1693名(達成率77.6%)で、この達成率は全国四十八布教区中で第十三位と述べられた。なお、本行寺は八月末に78%であった。
終了後に総本山総合整備事業のビデオを視聴した。御影堂の解体時に須弥壇の下から埋蔵物が発見され、中啓や筆が納められていたこと、また塔中坊の建て替えや耐震工事の他に、黒門の補修や、宝物殿の空調工事等も行った事が紹介された。今後は、旧常来坊の解体、登山事務所前交差点への信号機設置、総坊売店跡地にバスターミナルの新設等が予定されているとのことであった。
2011/10/20
寺報用原稿(女性教師と男児の話し) 夏期講習会で村上節道御尊師が紹介された、小学校の女性教師と男子生徒のお話。
◆ ある女性教師が五年生を担任したとき、余りにもだらしなく、どうしても好きになれない男児がいた。しかし、過去の記録を調べると、一年生の時は明朗快活とあり、二年生になると母親の看病で時々遅刻をするとあった。三年生の時には母親が病死し、四年生になると飲酒した父親に度々暴力を受けたとの事情であった。そこで、男児に放課後の居残りを提案すると、男児は悦んで一緒に勉強をし、少しずつ自信を取り戻した。
ある日、女性教師は男児から香水の瓶を手渡された。その日は男児の誕生日であった。すぐに母親の形見と察し、その香水を付けて家庭訪問をした。留守番をしていた男児は喜んで先生に抱きつき、ひとしきり泣くと、翌日からは授業中に積極的に手を挙げるようになった。小学校卒業後も、男児からは定期的に葉書が届き、六年後には医学部合格が報告された。
そして十年が過ぎ、結婚式の招待状が届いた。招待状には、「先生、母親の席に座って下さい」と書き添えられていた。
◆ 男児は、この女性教師に出会い人生を開くことができた。また、女性教師も教育者冥利に尽きる果報を得た。しかし、もし男児が居残り勉強の提案を受け入れていなかったら、このような幸福に恵まれただろうか?
折伏でも、本堂まで来ながら御授戒を受けられない人がいる。そういう時には、今一度、この縁を大切しましょうと力強く伝えよう。どんな良縁も自分で拒否してしまったら、人生は開かないのである。
2011/09/12
寺報用の原稿 ●九月号編集後記
「昔は何もない所でした」
日正寺(札幌市)は、元は市内でも辺鄙(へんぴ)な所でしたが、街が発展して、いつの間にか地下鉄からも高速道路からも近く交通至便の立地になったそうです。
そうすると、スカイツリーが業平に建立されたのも偶然ではなく、押上駅は今や、京成線と浅草線、東武線と半蔵門線が接続する交通の要衝となっています。
女子部では、スカイツリーを縁として新来者をお寺にお連れしたり、観光客に対して街頭折伏したりすることを「スカイツリー折伏」と呼び、お向かいの常泉寺でも、毎週末にテントを張りお茶を出して、同様の下種活動で成果を上げています。
スカイツリーは諸天のお計らい。天の時、地の利、人の和を活かして、どんどん折伏を進めてまいりましょう。
●八月度広布推進会(四者対象、於妙縁寺)折伏成果は、七月中に常在寺支部(折伏誓願一九〇名)、妙証寺支部(同三〇〇名)が目標を達成、八月に入ってから常泉寺支部(同一五〇名)、本修寺支部(一六〇名)も完遂した。
白蓮院・常在寺・妙縁寺の代表信徒より活動報告があり、白蓮院の副講頭は御本尊様に折伏の成果を「注文」するような御祈念をしていたと反省懺悔し、御報恩感謝の支部唱題会で折伏が進んだと述べられ、常在寺の副布教部長は、支部誓願と個人誓願(二十四名)達成への闘いを報告した。妙縁寺の三宅氏は、創価学会や池田大作氏と縁の深い三宅家当主が勧戒を受けた経緯を報告した。
佐々木地方部長は、総本山での鼓笛隊合宿と少年部合宿の関係者の活動を労(ねぎら)った。なお、本行寺の子供たちが所属するB隊は、大編成の部で金賞を戴いた。
白蓮院の夏井御主管は、将来発生する東海大地震でも大きな被害が心配されるが、依正不二の御金言に照らせば、日本国中の人々が正しい御本尊様を拝んで仏性を顕現することで不祥の災難は払われるのであり、逆に天変地夭を巻き起こすニセ本尊を退治せねばならないと指導された。
●八月号編集後記「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものか」(三大秘法抄)
大聖人様は、文永二年三月に故南条兵衛七郎(行増)の墓参に赴き、九歳の時光殿を大いに感化なされた。また、上野の地より富士山を仰がれ、就中(なかんずく)、大石ヶ原が四神相応の霊地であることを見そなわされた。なお、時光殿はその後九箇年を経て、大聖人身延入山の報に接するや、直ちに御供養の品々を携えて御登山申し上げている。
七月から九月にかけては、お盆、終戦記念日、旧盆(帰省)、秋季彼岸とお墓参りの機会も多いが、この御事績からも、物故した諸精霊に正しく追善供養することは、法統相続にも繋がり、未来を開く功徳があるものと拝される。
未入信の家族親戚に正しい回向を伝えていくことによって、近くは家運が興隆し、遠くは一切衆生救済の御遺命達成へと繋がるのであるから、一層の精進をして参りましょう。
●七月度広布推進会(四者対象、於法道院)六月の月間折伏は、本行寺、妙証寺、法道院、常在寺の四か寺で四十名以上の入信者があり、昨年六月に比べると1.6倍の推進状況と報告された。
活動報告が、常在寺、妙縁寺、常泉寺の代表信徒からあり、常在寺講頭は、四月は僧俗一致で毎日二時間唱題をした結果十五名が入信、五月は三時間で三十一名、六月は五時間で四十一名と、本堂での唱題時間に折伏数が比例したと述べた。
阿部布教部長は、昭和五十四年の日達上人の新年の辞を引かれ、我々は臨終において勿体なくも大聖人様に迎えられて、大御本尊様の中に御引入を賜るのであるから、安心して折伏に人生を捧げようと指導した。
芳賀支院長は、「年末までまだ時間がある」「死ぬまでまだ時間がある」と思ったら負けだ、時間を粗末にしてはならないと呼びかけた。
2011/09/01
笑えない話 韓国の新聞によると、ある独裁国家の指導者は、最近、完成したばかりの文化施設を「古い」として立て直しを指示するなど、公の場で支離滅裂な発言が相次ぎ、認知症との憶測もあるという。
独裁者といえば、国内のあのセンセイも、昔の事はわりとよく覚えているのだが、ここ20〜30年分の記憶がすっかり抜け落ちてしまい、側近に対して「何で御山(※大石寺のこと)に行かないんだ」、「皆で御山に行こう」などと発言して困らせていると聞いた。本当だとしたら実に笑えない話だ。
2011/07/16
寺報用の原稿 ●七月号編集後記
「御本尊様、ありがとうございました」
登壇した少女は体験発表をそう締め括った。平成十三年に総本山で行われた、法華講連合会少年部大会でのことである。原因不明の病気を克服した小学生の女の子が、その純真な心で素直に御本尊様の御力を感じていることが、ひしひしと伝わってきた。
本年度夏期講習会(第一期)における、『折伏実践の方途』と題する講義の中で、担当講師の御僧侶が「法華経の功徳はほむれば弥(いよいよ)功徳まさる」(御書九六九頁)との御文を引かれて、『御本尊讃嘆(さんたん)の折伏』というお話をされた。つまり、折伏がよく出来る人は、御本尊様をよく褒(ほ)め称(たた)える人であるとのお話であった。
私たちは、御本尊様という最高の縁に出会うことで、如何なる悪業も変毒為薬して必ず幸福な境涯を実現できると確信し、「この御本尊様は素晴らしいよ、是非お寺に行きましょう!」と、一人でも多くの人に、元気よく声をかけてまいりましょう。
●六月度広布推進会(於妙縁寺)はじめに石井副支院長より開会の挨拶があり、「末法の時」「平成二七年に向けた時」「一年の前半を締め括る時」に適った信心をと呼び掛けられた。次に、全員で御法主日如上人猊下の御言葉(五月度広布唱題会の砌、抜粋)を拝読した。続いて、五月末日付の折伏推進状況が報告され、布教区全体の達成率は40%であった。なお、本行寺は47%で、平均値よりは高かった。
次に、各支部代表の信徒三名の体験発表があった。妙証寺女子部員は、転勤が原因で心身が疲れ果てて寺院参詣も出来なくなった状態から発心し、五名の方を次々とお寺にお連れ出来た体験を生き生きと語った。次に、本行寺婦人部員は、自分の病気に泣いていた日々から折伏相手のことを思って泣く日々に変わるにつれて、自然に家族・眷族が団結する姿が現れたと述べた。続いて、常泉寺布教部長は、一月から本堂で行われている五時間唱題と、毎週土日に境内で行われているテント折伏(お墓参りの人や、スカイツリー見物の人が対象)によって、昨年とは見違える成果があがっていると報告した。
次に佐々木地方部長の激励があり、東日本大震災の被災地で猛烈に折伏が進んでいる寺院があると紹介した上で、我々も国難に際して腹の据わった折伏戦をと呼び掛けた。
ここで、布教区教師を代表して再び石井御尊師が登壇し、御法主上人猊下が「一人ひとりが、理屈ではなく、折伏実践の行動を起こすことです」と仰せられているのに、実際にそうなっていないとすれば、間違っているのは猊下の御指南ですか、それとも一人ひとりの信心ですか、と厳しく指導された。
最後に、芳賀支院長が閉会の挨拶として、被災地で秩序が保たれているのは日本が仏教国の証拠だと述べられたうえで、『法華初心成仏抄』の「法華経を以て国土を祈らば、上一人より下万民に至るまで、悉く悦び栄へ給ふ鎮護国家の大白法なり」の御文を引き、大良薬たる御本尊をもって国土を救い、一切衆生を救おうと呼び掛けられた。
●六月号編集後記御山が変わるときには、世の中が大きく変化する――私達は昔からずっとそう教わってきた。
総本山大石寺では、御法主日如上人猊下の元で、立正安国論正義顕揚七百五十年慶祝記念事業の一環として、諸堂宇の建て替え等が進められて、私達も登山する度に、こちらが新しくなった、あちらが新しくなったと嬉しくなったものである。
「仏法は体、世法は影」との御金言に照らせば、平成二十七年、同三十三年の御命題達成を通じて、いよいよ仏国土建設を進める準備が整ったのである。
世の中では東日本大震災と、引き続く原子力災害によって、これまで多くの人々が信頼してきた社会システムが、実は安全ではないことが露呈し、価値観の変革までが迫られる情勢となった。
今こそ私達は、清浄で、安心で、機能的になった総本山の姿が、一切衆生の仏性が希求する、霊山浄土の姿そのものであることに確信と誇りを持って、一人でも多くの人を御戒壇様のもとにお連れすべく、精進してまいりましょう。
2011/06/30
福島原発3 もう少し詳しい文章も書きましたので、御参考まで。
http://physics.c.u-tokyo.ac.jp/?page_id=563
2011/06/09
夏期講習会 平成23年度(第8回)法華講夏期講習会の第1期が、総本山において、5月28日(土)・29日(日)の一泊二日で行われた。これは本年『実践行動の年』に当たり、折伏と育成を実践する信心の涵養を目的として、活動者を対象に開催されたものである。本行寺支部からは、丸山講頭をはじめ各地区代表の39名が欠員なく参加した。
参加者は、支部バス等で午前11時までに着山し、総二坊に集合した。昼食のち、最初の行事である御開扉に臨み、これから始まる講習会の内容を命で受け止め、信心の糧とするべく御祈念を申し上げた。
御開扉終了後、参加者一同が広布坊に入場すると、午後3時より第1時限目の講義が「僧俗一致で御命題達成」と題し、宗務院布教部長・常在寺御住職の阿部信彰御尊師により行われた。まず、この度の東日本大震災は、大聖人様が『立正安国論奥書』に「未来も亦然るべきか」と仰せられた通りの姿であり、この大悪の瑞相を大善の功徳へと変えるのが正宗僧俗の使命であると述べられた。また、御命題達成のためには異体同心の信心が不可欠であり、折伏をしようと思えば出来るのにしない人は異体異心であると厳しく注意された。また、講中は広宣流布のための組織であり、御主上人猊下の御指南に一致団結するところに個々人の成仏もあると述べられた。最後に、育成活動も折伏活動と同様に会議して取り組むようにとのお話があった。
2時限目は、「破邪顕正の実践」と題して、宗務院教学部長・能安寺御住職水島公正御尊師より講義があった。これは特に「信仰する必要を認めない」とか、「寺社への参詣はするが、特定の宗教には入らない」といった無信仰論者に対する折伏の手掛かりについてであった。今の世の中は、若年層を中心に宗教意識が低下しているが、一方で、多くの人は不安や迷いも感じている。そこで、幸せになるためには心を磨く事が大切であること、人格を磨くためには師の指導が必要であること、仏の悟りや安住の境涯は個々の生命に内在していること、仏性を発現するためには正しい縁が必要であること等、相手が納得できるところから順を追って話していくことが糸口になるとのお話しであった。また、過去の体験などから宗教団体は信用できないという人には、「三証」「五重相対」等の合理的な選別法によって最上の法義を示す本宗では、狂信・盲信などとは無縁であることをしっかり伝えるようにと述べられた。
3時限目は、「折伏実践の方途」と題して、昨年、全国の折伏の原動力となった折伏推進委員で宣行寺御住職の村上節道御尊師より講義があった。まず、御尊師は、「御本尊様のお陰です」、「御本尊様ありがとうございます」と、御本尊様を讃嘆する人は折伏が出来ると述べられた。続いて、大白法の体験発表等から折伏の秘訣を抽出すると、@猊下様の御指南を命に刻んで成就した、A御住職様の熱い思いに導かれて成就した、Bお題目を沢山あげて成就した三点であると述べられた。一方で、自分が望むような功徳が得られても、その感謝が持続しない人は、周りの因縁を無視し、自分中心の勘違いをしている人であると注意があった。
以上で1日目の講義は終了し、それぞれの宿坊に戻り、宿坊の御住職様とともに夕勤行ののち、夕食をはさんで、1時間の唱題行を行い、午後9時半に就寝した。翌朝は午前2時半に丑寅勤行に参加し、6時15分より朝勤行、引き続き朝食と宿坊の清掃を済ませ、午前9時からの御法主日如上人猊下の御講義に臨んだ。
御法主上人猊下は、昨年に引き続き「信行要文」として御書から信行に関する御文を時宜抜粋されて、1時間半にわたり、親しく御講義を下された。まず、『法蓮抄』より、「信無くして此の経を行ぜん人」との御文を引かれて、信無くして行じるとは、大御本尊様と血脈相伝に背いた信心であり、今日では創価学会・正信会・顕正会等が該当すると仰せられた。次に、『一谷入道女房御書』より、「日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし」の御文を引かれて、末法は三徳有縁の日蓮大聖人様を帰命依止の本尊と定めて即身成仏するのであると仰せられた。次に、『妙一尼御前御消息』の「法華経を信ずる人は冬の如し、冬は必ず春となる」との御文を引かれて、一生成仏の絶対的な功徳力を示した御文であるが、そのための必要条件は法華経を信じるという事であり、絶対に信心を失ってはならないという、励ましと戒めのお言葉であると仰せられた。次に、『撰時抄』より「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑いなし」の御文を引かれて、法華経の行者とは別しては本地無作三身の大聖人様御一人であるが、総じては弟子旦那も行者の難の一分を覚悟しなければならないと仰せられ、その心構えとして、犬に足を噛まれたときに、その足をもっと差し込むと犬は驚いて噛むのを止めるそうだが、魔も同じであるから恐れない事だと仰せられた。次に、『南条殿御返事』を拝読されたが、ここで終了時間が近づいたため、御法主上人猊下は、僧俗一致で力強く前進すれば全ての講中が折伏誓願を達成できる、達成出来ないときは、自分の心に合わせようとして亀裂が生じているのだから、広宣流布の一点に全てを集中しなさいと締め括られた。
御講義ののち、引き続き閉講式があり、挨拶として布教部長は、国難に際して一人ひとりが「憂国の士」となって立ち上がり、全員が必ず講習会の内容を実践して報恩を尽くされたいと述べられた。また、大講頭・永井委員長が参加者を代表して謝辞を述べた。
帰りの支部バスでは、車内運営が行われ、全員が感想と決意を述べ、明日からの更なる信行を誓い合った。
2011/05/30
福島原発2 福島第一原発は3号機の冷却が順調とは言い難いようですが、事態がここまで落ち着けば、原子炉の崩壊や、使用済み核燃料の再臨界などの大事故は起こりにくくなったと思われます。しかし、2004年に起きたマグニチュード9.1のスマトラ沖地震では、本震から3カ月後にマグニチュード8.6の最大余震が生じたということもありますので、決して油断はできません。
もうこれ以上の大事故が起こらないとすると、これから問題になるのは、ごく低い線量の放射線に長期的に少しずつ被ばくした場合に、がんが増えるのではないかという点です。もともと、日本の法律における住民の被ばくの限度量は毎年1 mSvまででした。しかし、国は緊急事態という事で、暫定基準値として毎年20 mSvまでに引き上げました。これらの値はICRP(国際防護委員会)の勧告に基づいたものです。しかし、この毎年20 mSvならば絶対にがんが増えないのかというと、必ずしもそうではありません。
がん細胞は、初めはたった一個の細胞でも、数十年間をかけて増殖します。一方で、生体には放射線に対する抵抗力や、がん細胞に対する免疫力が備わっています。したがって、放射線の被ばくでがん細胞が生じるかどうか、そしてそのがん細胞が生き延びて増殖するかどうかは確率的な問題であって、確率である以上、どんなに少なくてもゼロにはなりません。つまり、これ以下の量の放射線ならば、絶対にがんにはなりませんという「しきい値」は原理的に存在しないのです。
今のところ、原発の近隣を除けば、日常生活で毎年20 mSvも被ばくすることはあり得ませんし、またこのような異常事態が5年間も放置されるとは思えませんが、仮に5年間で累計100 mSvを被ばくしたとします。そうすると、ICRPの報告書では、がんリスクの増加は0.055毎Svとされていますので、1000人が100 mSvを被ばくしたとすると、計算上はこの被ばくが原因で、このうちの5.5人ががんを発症し死亡(※厳密には障害や死亡を足し合わせて合計5.5人が死亡したのと同等の損害が発生)することになります。なお、事故などで被ばく量が多いときは、被ばく量と発がん数の比例関係が確かなので、その直線を被ばく量が少ないところまで真っ直ぐに延長して考えても良いと仮定して計算していますが、この是非については賛否両論があって決着していません。
しかし、現実問題として難しいのは、日本人のうち1000人中約300人は、放射線を浴びなくても別の原因でがんを発症して死亡するので、机上の計算では約300人が約306人に増えると求められますが、それが本当かどうかを疫学的に統計データで確かめることは極めて困難です。どの人のがんが放射線に由来するのかを区別することも出来ません。なので、がんがどれだけ増えるかという疑問に科学的に回答すると、5〜6人と推定はしていものの本当の事は誰にも「分からない」と答えるべきです。ただし、「分からない」と「無い」は全く別物であって、どこかで「分からない」を「無い」ものとしてそのリスクを無視するような議論がされているとしたら、それは危険なことでないかと気をつける必要があります。
なお、チェルノブイリ原発の事故ではっきりしたのは、原発の近隣で、甲状腺がんを含む甲状腺の病気だけは確実に増えたということです。甲状腺は成長ホルモンを作りますが、小児の甲状腺にヨウ素131という放射性同位元素が蓄積したのが原因です。ヨウ素131は、下記の分類では、ガス状ないしパウダー状で飛散すると考えられます。また半減期は8日間ととても短いので、非常事態においては、このヨウ素131をやり過ごす事が極めて重要です。また、大気よりも水道水には遅れて出てくるものと思われます。
水と食料の備蓄は、一般的な防災の観点からも、多少は自宅に用意しておくべきでしょう。例えば、赤ちゃん用の粉ミルクは、基本的に栄養素が豊富でバランスも考えられているので(大人には脂肪分が少し多いようですが)、下記の様に砂糖水をすする作戦よりは、サバイバル時の非常食として有用かと思われます。
(一方で、がんになるかどうかは、確率と免疫力と宿業の問題ですから、朝晩の勤行をしっかりやって、食生活や睡眠時間などの生活習慣を見直す事がより大切です)
2011/05/19
2011/06/16 推敲
福島原発 現時点では、福島原子力発電所の事故は、1986年におきた旧ソ連のチェルノブイリ原発に比べれば平穏に推移しており、官民軍が一体となった注水作業が成功する事を祈るばかりである。
では、有効な対策が取れずに、メルトダウンによる原子炉格納容器の崩壊や、貯蔵されている使用済み核燃料の臨界を防げなかった場合は、住民はどうするべきだろうか。
チェルノブイリ原発の事故では、住民が健康に暮らせなくなった地域は、概ね半径30km以内とされている。ただし、短期的な放射線量の増大は世界中で確認された。したがって、仮に福島原発が最悪の原子炉崩壊等に至った場合は、日本国内どころか世界中で放射線量が増大するものの、直ちに生命に危険が及ぶような影響を受ける恐れがあるのは、半径30km以内という距離が目安になる。つまり、現在の政府の避難指示は原子炉崩壊等の事態にも対応しているので、それ以遠の地域から、更に遠へ緊急避難する必要はない。
さて、原子炉崩壊等の場合の放射能の空間分布を考えると、第一には原子炉があった近辺に留まるであろう燃料棒の残骸など極めて高レベルの放射性物質である。膨大な量の放射線が発生するのでこれに接近することは不可能であるが、逆に原発施設から離れていれば(数km程度か?)、その放射線が直接飛んで来て被ばくすることはない。放射線量は、原発から離れるにしたがって距離の二乗に反比例して急速に減衰する。
第二は、原子炉から半径30km程度の地域に飛び散ると予想される塵砂状の放射性物質である。いわゆる「死の灰」のようなものであり、現在の避難指示は「死の灰」を被らないためとも解釈できる。風向きや天候には注意が必要だが、概ね半径30km以遠であれば「死の灰」が飛んできても、直ちに健康被害を与える分量にはならないと考えられる。「死の灰」は土壌を汚染し、長くその地域に留まる。
第三は、原子炉から半径30km以外の地域にも飛び散るであろうガス状の放射性物質や、粒子が極めて細かいパウダー状の放射性物質である。これらは風にのって日本国内から世界中へ拡散すると考えられる。この放射能がある場所に留まることはないので、時間が経過すれば希釈され減衰する。
次に、時間分布を考える。放射能には核種ごとに定まった寿命があり、時間が経過すると徐々に放射線を出さない物質へ変化する性質がある。ある放射性物質は数時間で半分になるし、またある放射性物質は数万年で半分になる。半分になる所要時間を半減期という。半減期が短い放射性物質は、放射線をどんどん放出して、すぐに無くなる。半減期が長い放射性物質の放射能はなかなか無くならないが、逆に単位時間当たりに発生する放射線の量は少ない。いずれにしても、時間が経つほど放射能は減衰する。
ここで住民が放射線から身を守るためのポイントは、風に乗って飛来するガス状やパウダー状の放射性物質で、特に半減期の短いものとの接触、特に経口摂取(吸引、飲食等)を防止する事である。したがって、万が一、原子炉格納容器が崩壊した、あるいは再臨界によって放射能が大量に環境中に放出されたという緊急事態を知らせる報道があり、かつ近隣の放射能が有意に上昇したら、例えば20μSv/h(マイクロシーベルト毎時)を超えたら、窓や換気扇(エアコンを含む)を閉め切って3日間できれば一週間は、自宅に籠城する(やり過ごす)のが最善である。閉め切った家の中での被ばく量は、大雑把に屋外での10分の1以下と期待される。(ただし政府もしくは自治体から避難指示があった場合はそれに従うこと)
近隣の放射能は、関東地方であれば、
などで確認が出来る。様々な機関が独自の測定結果を公表しているので、情報操作の心配はない。なお、1 mSv(ミリシーベルト)=1,000 μSv(マイクロシーベルト)であり、Gy(グレイ)という単位で表示されていたら、これはSv(シーベルト)とほぼ同じと考えてよい。このように自宅待機を勧めると、いわゆる「買いだめ」を助長するのが心配、というかその責任まで考えると何も書けなくなるが、万が一の非常事態に生き残るという観点だけからすれば、例えば飲料水がペットボトル入りである必要は全くなく、放射能で水道水が汚染される前に、水道水を容器(空きペットボトルとかポット、場合によっては風呂)に溜めておけば良い。あとは、これに砂糖でも溶かして飲んで、布団を被って暖かくして寝ていれば、いざとなったら健康な人は一週間ぐらいは耐えられる。チョコレートでもあればなお良い。糞尿処理の問題等もあるが、サバイバルという観点では本質的ではない。とにかく、非常事態のニュースとともに避難者が高速道路や公共交通機関に殺到する(しかも誰も逃げられない)というのが、一番危険であるから、あらかじめ冷静な対応を促す情報を提供するべきである。
2011/03/17
2011/05/19 推敲
2011年賀
昨年(平成22年)は、本行寺男子部の三方面のうち、第一方面と第二方面の責任者を兼ね、青年部の活動に専念したため、『妙音』のホームページの手入れをする余裕はなく、更新作業がほとんどできなかった。しかし、それでも諸天のお計らいか、二名の読者から連絡をいただき、それぞれ顕正会と創価学会から脱会して、本行寺男子部でともに活動することになった。結果として、昨年は自身の分世帯も含めて、眷族で合計4回の御本尊送りができ、また本行寺男子部も誓願目標15名を早期に達成し年間20名の入信(うち5名は乳児の初参り)の成果となった。更に本行寺支部も11月下旬に220名の目標を達成した。青年部最後の年に、お世話になった組織に多少の恩返しをさせていただくけたと思う。
年末に壮年部へあがったため、本年(平成23年)は『妙音』の運営を復旧するつもり。
2011/01/01
本行寺と東京スカイツリー(5)
テレビでもしばしば報道されているように、本行寺の周辺がすっかり観光地の雰囲気になってきました。食事の選択肢が増えるのはいいですが、結局、人が多くて入れないというオチも・・・。
2010/09/12
文献の電子化 書籍はどんどん増えて場所をとるし、しかも重いので移動は困難である。かといって、資料価値や愛着もあって簡単には捨てられない。しかし、我が家の本棚も限界に達しつつある・・・そんな事態の収拾を図るべく、一部の文献は電子化(PDFファイル)する事にした。その方法を専門的に解説したホームページがあり、失敗例なども豊富に紹介されているが、基本的な手順は以下の通りである。
1.裁断機まず、裁断機で書籍の糊付け部分を切り落とし、頁をばらばらにする。例えば、最近の『大日蓮』だと背表紙から6mmぐらいの位置に刃を当てるのが適当だが、古い冊子は製本が甘く糊がはみ出ている場合があるので、余分に切り落とす必要がある。裁断機はPLUS(プラス株式会社)製の手動裁断機PK-513Lを購入した。怪我をしないように十分注意すること。
2.スキャナ
次に、スキャナーで頁毎に読み込む。もちろん自動的な頁送り機能と、両面読み込み機能が必須である。読み取り結果をPDFファイルとしてPCに保存する。ページスキャナーは富士通株式会社製のScan Snap S1500を購入した。Adobe Acrobat (Standard版)が添付されているが嬉しい。
3.OCR仕上げとして、電子画像化された各頁をOCRでテキスト文章として解析し、解析結果のテキスト文章を各頁に埋め込んで保存すると、電子データの全文検索が可能になる。OCR専用ソフトもあるが、Adobe AcrobatのOCR機能でも十分かと思われる。あとは、忘れずにバックアップをとっておけば、何時でもプリントアウトし、書籍を復元を試みることができる。
実際の作業は、『大日蓮』1年分(12冊)を電子化するのに約1時間であった。1冊あたり約5分となる。なお、巷には以上の作業を有料で行うサービスもあるようだ。
電子化した書籍(冊子)の例:御法主日顕上人猊下御言葉集−宗旨建立750年に向かって−
2010/08/27
本行寺と東京スカイツリー(4)
本行寺は言問通り沿いにありますが、隅田川の浅草側から言問橋を渡ってスカイツリーへ向かう導線上に位置するため、週末ともなると、本行寺の前を通る人の数がめっきり多くなってきました。それと相関があるのか、創価学会員等が自分から本行寺を訪ねてきて再入信する事例が増えています。また、スカイツリーの建設現場を見学した後で、「実はお参りしているお寺が近くにあるんだけど・・・」と新来者を連れてくる人も多く見受けられます。将来的には付近の交通渋滞などが懸念されますが、今のところ活気が出てきて雰囲気は良くなっていると思います。すでに東京タワー(333m)よりも高くなって、世界第10位だそうです。
2010/05/15
組織論入門書 一瞬「萌え」系の表紙にたじろいでしまうが、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著、ダイアモンド社刊)は初心者向け経営学の良書である。世法であるから「慈悲」という言葉こそ出てはこないが、講中運営にも通じる組織論入門書として一読の価値有り。
2010/05/10
法人化 法人化というと、例えば、東京大学は国立大学法人東京大学となった。法人格を得たことで、財産(例えば、特許等の知的財産なども)を所有できるようになった。一方で、運営に関しては、授業料すら結局は自主的に決められないという有名無実の感もある。また、身近な変化では、これまで生協しかなかったキャンパス内にレストランやコンビニが設置され、生協が競争にさらされることで生活環境が明らかに改善した(高速道路のサービスエリアと状況が似ている)。
これと関係あるようなないような話しで、御宗門では大日蓮出版が株式会社として運営されるようになった。何が変わるのかと思っていたが、紀伊国屋書店、楽天ブックス、amazon(丸善)等で書籍が購入できるようになった。特に謗法破折が一般流通経路に乗るというのは非常に有意義だと思う。
2010/03/01
2010年賀
昨年は、立正安国論正義顕揚750年(7月)の佳節に、転職(4月)、転居(6月)、結婚(9月)と人生の大きな節目を迎える事となりました。仕事では、これまでは応用工学(テクノロジー)を中心にした研究開発職でしたが、現在のポストは理学(サイエンス)の色彩が強い研究教育職になりましたので、頭の切替が必要です。家庭では、奥さんと、お互いが何処に気を遣っているのかが察知し合えるように早くなりたいと思います。また、これまでは、信心を第一に仕事とのバランスを考えていれば良かったのですが、これからは家庭が加わって三つ巴になります。今年も忙しい一年になりそうです。
2010/01/01
新東京タワー(3)
2009/09/20
2時間唱題行(完遂) 6月末に転居してからは自宅での唱題が主になったが、7月9日の満行日には累計が207時間に達し、目標に3.5%上乗せして唱題行を完遂した。自分一人だけで唱題する際には、1時間当たり3000遍(20分当たり1000遍)のペースなので、唱題遍数では更に上乗せが出来た。
平成6年の六億遍唱題行のときは高校生だったため、今回は社会人としてより厳しい条件であったが、本山任務に関する3日間を除いては2時間唱題が欠ける日はなかった。
唱題行開始と同時に転職(4月1日)し、その後、100日間には本山OB任務(4月4〜5日、5月16〜17日、6月6〜7日、6月19〜21日)、婚約(4月28日)、御能化を自宅にお迎えしての宅御講(4月29日)、支部登山(5月24日)、転居(6月29日)など盛り沢山の日々であったが、諸事万端があたかも最初から決まっていた事のように整然となった。逆説的に述べれば、この時期に唱題行がなかったら果たして乗り越えられた疑問であり、やはり御供養と同様に唱題に費やした時間は全部(或いはそれ以上に)戻ってくるという事だろう。
2009/07/11
新東京タワー(2) 正式名称は「TOKYO SKY TREE」(東京スカイツリー)になったそうですが、建設工事も順調にすすみ、街のあちこちからクレーンが見えるようになりました。
どうやら、言問通り(常泉寺と本行寺の間の道路)の正面に現れるようです。
2009/05/01
2時間唱題行 4月1日より、御法主日如上人猊下の御指南による2時間唱題行が開始されるとともに、私は新しい職場に環境が変わり、しばらくは超多忙が予想された。そこで、平日は本行寺の朝詣りに参加してから引き続き唱題を行い、出勤までに大半を終わらせる作戦で立て実行中である。
平日で夜の会合が無い場合のスケジュールは、こんな感じである。
04:00 起床
05:00 家を出発
05:55 本行寺の朝勤行に参加
06:30 御住職と30分間の唱題
07:00 引き続き残って唱題
08:15 お寺を出発
09:20 出勤
21:30 退勤(裁量労働制)
22:45 帰宅
24:15 就寝夜の睡眠時間が3時間半程度になるので、当初は午後に軽く昼寝をしていたが、しばらく続けていると体が慣れたのか、さほど眠くもならなくなった。今までは、自分は7時間は寝ないと頭が冴えない体質だと考えていたが、実はそれが思い込みで、必ずしもそうではない事に気が付いた。もっとも2時間唱題の実行で、生命力が増進しているからこそ可能なのだとも思われる。
2009/04/13
輸送班OB 本年4月から12月までの期間限定で、輸送班OB登録制度により本山任務をさせていただくことになった。
ひょっとしたら「OB班」とか編成されていて、多少は楽なスケジュールが組まれているのではという淡い期待はすんなり裏切られ、むしろ、私が現役の時には6人で分担していた現場が4人に減っていたりして、予想以上にハードな任務であった。しかし、意外にもブランクに戸惑うこともなく、無事に復帰戦を終えられた。頭よりは体が動きを憶えていたのだろう。
法華講事務所での解散式の時点では、もう一日任務が続いても大丈夫だなと思っていたが、スーツに着替えて緊張が解けるとかなりの疲労感があり、7月26日の大総会までには本調子を取り戻さねばと感じた。私が現役の時に班員さんだった方が、もう立派に班長を務められていて安心した。
余談であるが、OBは夏の制服として、輸送班のトレードマークである青のパイロットシャツではなくて、自分で購入した白のポロシャツを着用する事になっているんで、ちょっと残念。あと、黒いズボンを着用しているのも、白いズボンを忘れたのではなくて、そういう決まりなのです。
2009/04/05
ブラスバンド(終) 高校1年生で法華講連合会ブラスバンドに入隊してから、人生の半分を隊員として過ごした。楽器は主に金管楽器のトランペットを担当し、トランペットの陣容が充実してからはフレンチホルンに持ち替えて最後の4年間を過ごした。一番の思い出は、昨年、地涌倍増大結集推進決起大会(プレ大会)で全国4会場を回らせていただいた事であり、17年間の任務の集大成となった。
九州大会では、各地方部が鼓笛隊を中心に音楽隊を組織してパフォーマンスを披露した。各隊の規模や技量には差違もあったが、これに対して運営委員長の斎藤善道御尊師より「上手な人もそれなりの人も力に応じて大勢参加したのは、随力弘通の折伏の義になぞらえ」るとのお言葉があった。『随力弘通』とは日頃から耳にする語ではあるが、この時ばかりは自我という殻が存在しないかのように命に染み渡ってきた。自分には専門的な演奏力もなく忸怩たる思いをしてきたが、17年間の御奉公の末に4文字の意味を教えていただいた事は値千金、最大の餞であった。
北海道大会では、リハーサルの際に阿部信彰御尊師より、演奏後の一礼は会場全体に対して行うのではなく、御法主上人猊下に向かって行うようにとのご注意があった。私には、これが単なる一礼だけの問題ではなく、ブラスバンドの演奏姿勢そのものに対するご指摘と感じられた。大阪ドームの外野席など、想像以上に遠い参加者との距離間に戸惑いつつ、一方で集音マイクの位置等が気になり、演奏が散漫になっていたのではないかと反省される。そうではなくて、一つ一つの演奏記号の効果が、御法主上人猊下のお席で最良に聴こえるべく表現する以外の事を考える必要はなく、そこで一つになった音が結果として会場へ拡がれば良いのだと得心した。考えてみれば、演奏に限らず信心活動の全ては御法主上人猊下の御もとで一本化されるのであり、各人の生涯の意義はそこに見出されるのである。
ここまでで、私のブラスバンド隊員としてのお役目は終わったので、プレ大会を通じて目覚ましく成長した後輩達の活躍を見守りたい。
2009/03/29
−魅惑のバイオリン 魂のコンチェルト− 半年前に売り切れてしまう貴重なチケットを譲り受け、NHK音楽祭2008を鑑賞してきた。目玉は、諏訪内晶子さんによるシベリウスのバイオリン協奏曲ニ短調で、指揮はウラディーミル・アシュケナージ、オケはフィルハーモニア管弦楽団というスペシャルだった。諏訪内さんは、愛器「ドルフィン」を携えて世界を翔けまわる才媛。最近、資生堂のCM(リバイタルグラナス)で鈴木京香さんと共演中。
昇り切る音階の美しさは魂を吸い込まれる程で、ストラディヴァリウスがソプラノの楽器であるという事が全身に響いた。一体、どれだけの内面があって練習を積めばこの音が奏でられるのかと思うと、自分は仕事も信心ももっと頑張らなくてはならいないという元気が涌いてきた。やはり本物は素晴らしい。
2008/12/08
日開上人の祥月命日忌法要 11月4日、総本山第60世・日開上人の祥月命日忌法要が総本山大石寺で行われた。本来の御命日は11月21日であるが、御大会式との関係で、例年日程が調整されている。法要は、午前10時より客殿において、御法主日如上人猊下大導師のもと、総監様、重役様、本山内外の御能化様方、御尊師様方が御出席、更に、有縁の寺族および信徒が参列して奉修され、献膳・読経・焼香・唱題と如法に進められた。また、御親族である御隠尊日顕上人猊下も御出仕あそばされた。法要終了後、引き続き墓参が執り行われた。
法要に先立ち、大書院で参詣の僧俗一同に対して御目通りが行われ、御法主上人猊下より「天の時・地の利・人の和の中でも人の和が肝要であり、明年の50万総登山は僧俗一致によって必ず達成する」との趣意の御言葉を賜った。
法要終了後は、秋晴れの中、参詣者全員で歴代墓地に参詣し、再び御法主上人猊下大導師のもと読経・唱題が行われ、日開上人の墓前に一人ずつお線香をお供え申し上げた。墓参終了後、信徒は新築なった久成坊で主催者よりのお弁当をいただき、御開扉終了後に順次下山した。
有縁信徒は100名弱が登山し、うち本行寺支部からは柳沢総講頭(総代)、丸山講頭(総代)をはじめ41名が参列した。本行寺の前住職が御隠尊上人猊下である因縁から、例年、日開上人の祥月命日忌法要には代表登山が行われる。昭和30年頃までの入信者の中には、本行寺に在勤されていた妙修尼様(御隠尊上人猊下の御母堂様)より御授戒を受けた人も多い。大変厳しい方で、戦後初期の信行会は妙修様に鍛え上げられた側面もあり、引いては日開上人に大恩のある講中である。
2008/11/04
公明党の与党病? 最近、年金からの天引き問題などから議論が再燃している後期高齢者医療制度は、言ってみれば自公政権の代表的な成果でもある。
歴史的には、自由民主党・自由党・公明党(自自公)の連立政権であった小渕内閣第2次改造内閣における1999年10月4日の三党合意(※1)に端を発し、その後の準備期間を経て2006年6月21に公布された。特に、衆参両院の本会議に先立って開かれた衆議院の厚生労働委員会では、2006年5月17日に自民党と公明党の連立与党側が強行採決に踏み切り、「姥捨て山法」「高齢者いじめ法」等と世論の批判を浴びている。
また、同法案の準備期間のうち、第一次小泉内閣(2001年4月26日〜2003年11月19日、改造内閣を含む)及び第二次小泉内閣(2003年11月19日〜2004年9月27日、改造内閣を含まない)の厚生労働大臣が坂口力(公明党)であった点も銘記すべきであろう。公明党の大臣のもとで起草され、自公政権によって施行した産物なのだ。
その辺に関して焦りがあるのか、最近は重要法案や解散時期をめぐって福田前首相と物別れに終わったり、以前に日蓮正宗へ再入信した竹入元公明党委員長に続いて、矢野元公明党委員長までもが創価学会から脱会するなど、公明党のバランスが崩れているのは傍目にも明らかだ。かつての公明党は致命的な政教一致批判を招かないよう、もっと慎重に工夫していた気がするのだが、そろそろ「与党病」が深刻になってきたのだろうか?
※1 2005年を目途に、年金、介護、後期高齢者医療を包括した総合的な枠組みを構築すること、それに必要な財源の概ね二分の一を公費負担とすることを合意。(Wikipediaより)
2008/10/13
お料理教室 ひょんなことから、「和風ハンバーグ」の講習を受けた。塩を加えるとミンチが固まり始めるなど、実際に体験してみると新鮮で楽しい。酒:みりん:醤油:水(等量)でタレを作って、適度に焦がした表面をカラメル状(てかてか)に仕上げた。
周りは女性ばかりなので、とても気楽である。研究者は自分の専門分野で優れた能力を誇示することが仕事であるが、お料理教室なら、男性である自分が一番下手であっても何も恥ずかしくないので、気分転換にはもってこいなのだ。でも意外と手先は器用だったりして・・・?
2008/09/13
富士美術館 総本山の御経蔵の裏手に富士美術館という創価学会系の施設がありましたが、どうやら本年夏頃に廃業したようで、今ではホームページも閉鎖されてアクセスできません。
http://www.fujibi.jp/
かつては、正本堂解体に伴う御遷座の際に望遠レンズでの撮影を試みるなど、出城の役割も果たしていたようです。
最近では、富士美術館を訪れた創価学会員が、平成21年に向けて着々と整備が進む総本山の偉容を目の当たりにしてショックを受けるなど、デメリットの方が大きくなってしまったのかもしれませんね。
2008/08/19
東日本決起大会 とても印象に残ったシーン――最後に「キャノン砲」で、舞台側から参加者の方に向かって銀色の紙テープが発射され、その勢いをもって幕引きとなった。そして、司会者が両猊下の御退場をアナウンスするまでの僅かな瞬間に、舞台下に立っていた一名の男性が、両猊下の歩まれる赤い絨毯に散った紙テープを手際よく拾い集めて御退場に備えた。
こんな、何でも無い場面が非常に印象深かったのは、実は、この男性は日蓮正宗の信徒ではなかったからである。つまり、さるイベント会社の社員で、お仕事として全国4箇所の決起大会をサポートして下さっていた。そして、東日本決起大会でも舞台下正面に陣取って、諸事万端が打ち合わせ通りに進むように配慮をしていたのである。そこに、紙テープの一部が流されて赤絨毯の方に飛んできたのだ。
すると、想定外であったためか、あるいは絨毯の縁の部分で両猊下が踏まれる心配はなかったためか、咄嗟に動く人がいない中で、このイベント会社の方がススット進み出て、ごく自然な素振りでテープを拾い、何事もなかったように両猊下が御退場をなされた。仕事とか理屈とかを抜きにして、両猊下に対する尊敬の念から生じる当然の振る舞いだったので感動したのである。恐らく、一般の参加者は業者さんとは気が付かなかったことでしょう。
2008/06/15
御霊宝虫払大法会 通称、「お虫払い」に参加させていただきました。
久しぶりに大講堂の写真を撮りました。昭和33年に、戸田日城大居士が中心となって寄進した建物です。本年3月1日で築50年を迎えました。桜の花が一週間もって良かったです。海外からの登山者も楽しみにしていたでしょうし。
奉安堂をバックに和気靄々と記念撮影です。フランスの御信徒かな?
2008/04/07
春季総登山 3月29〜30日の春季総登山には、連合会ブラスバンド隊員として参加しました。
今年は桜の開花が早くて、春季総登山の時点で見頃を迎えていました。塔中坊を始め、総本山各所で堂宇の立て替え工事が進められています。そのため、しばらくの間は宿泊定員が少なくなっています。
準備が整った総会会場の様子です。舞台上は、最前列の向かって左側(演台に近い方、上座)に登壇者でもある御当代日如上人猊下がお座りになり、右側(手前)に御隠尊日顕上人猊下がお座りになります。よく見ると、用意された御座布団の厚さが違います。不二の師弟関係の麗しさは、心の貧しい誰かさん達には未だに理解できないようですが、まさに百聞不如一見。どこかのは、師弟の名を借りて権威付けたいだけですもんね。
2008/03/30
ガソリン税の暫定税率 東京新聞の発言欄に投稿(初投稿!)したところ、3月11日の朝刊に掲載されました。
暫定税率論議 使途分散は? ▼今国会で論戦中のガソリンにかかる暫定税率について一言。石油高騰の世相を無視した与党の延長案も、暫定税率分の財源手当を示さない民主党の廃止案も、バランス感覚を欠いた極論であるように思う。▼ガソリン1リットル25円の暫定税率のうち、例えば、10円分を環境税として目的化して環境立国を目指す。また、5円分を道路特定財源として必要な高速道路の建設と維持に充当。さらに、5円分を一般財源化して必要な施策に投じ、残りの5円分は減税として国民生活に還元するというのはどうだろうか。大岡裁きでは三方が一両ずつ損をして落着した。▼今回の論戦には、背後に権益と票を巡る思惑が見え透いて残念だ。
もちろん、これはプロの方が添削したもので、オリジナルの原稿は以下のものです。
今国会におけるガソリンにかかる暫定税率の攻防について、価格高騰の世相を無視した与党の延長案も、減税分の財源手当を示さない野党の廃止案も、バランス感覚を欠いた極論であるように思う。今月末に期限の切れる25円のうち、例えば、10円分を環境税として目的化して環境立国を目指し、5円分を道路特定財源として必要な高速道路の建設と維持に充て、5円分を一般財源化して必要な施策に投じ、残りの5円分は減税として国民生活に還元するというのはどうだろうか。大岡裁きでは善意の三方が一両ずつ損をして落着したが、今回の論戦は背後に権益と票を巡る思惑が見え透いて残念だ。
確かに、野党=民主党は間違いでした。
ところで、結局4月1日に「減税」になって5月には元に戻るそうですね。そういう短期的な措置を、普通は「暫定」と形容するのだけど。ちなみに新聞社からの謝礼は、1000円相当の金券でした。作文の練習には良いですが、小遣い稼ぎにはなりませんね・・・。
2008/03/12
東日本大会(下見) さいたまスパーアリーナの下見に行ってきました。広布坊より広い会場で演奏するのは初めてですからね。
2008/01/31