<3・4面>
本日は第29回修養会に当たりまして1,800余名の方が御参集なって、未だかってないところの大結集を成しとげた、誠に有難くこれ程結構な事はないと存ずるのでございます。
まったくこの暑い時に皆様がここに集まって修養会をなさる、先程教学部長のお話しの通り、誠にこの修養会は世間で言う修養会とこの趣きが違って即ち妙法蓮華経の修行である。先程教学部長の言った通り妙とは能生、能養、能生の義なり、即ち良く養うこの妙法蓮華経を修行するのである。こういう解釈をせられた、誠に適切なる解釈であると思います。この修養会に皆様が集まって大聖人様の御前に於いて修行なさる、誠に結構なことと存ずるのでございます。
世間では今はバカンスだとかあるいはレジャーを楽しむだとか言って、各各それそうとうの遊びをしております。しかしこの妙法蓮華経を信ずる我々は、そんなバカンスだとかレジャーじゃなくして人生そのものを楽しんでおるのでございます。世間ではおそらく、生まれて来たことの価値ということを知らない人が多いのであります。何の為に生まれてきたかと言うとわからない。生まれてキタから生まれて来たくらいしか考えていない。
しかし我々が今日こゝに生まれて、そして幸いにして妙法蓮華経に値い奉り戒壇の御本尊に向かって南無し奉る時にはその拝んでおるところ、又皆様の各家庭に於いて御本尊を拝むところ、あるいは毎日働いているところ、すべて常寂光の世界があるのでございます。そこに楽しみがあり、働く者の働くことの楽しみ、又休んでおる時の楽しみ、すべてもう一行一足一時すべてこれ楽しみの中にあるのでございます。それはすなわち妙法蓮華経を信ずるが故であります。
松野殿御書にも「妙覚の山に登りて四方を御覧ぜよ、常楽我浄の風がふきそよぎて」という御書があります。よくあとで御覧下さい。このようにまったく我々の人生は楽しい、そして最後に死ぬ、死、そのものも又楽しいのであり、死生共に楽しむことのできるのは只我々のこの信者、我々共々にできるだけでございます。
○御法主日達上人猊下御言葉 開会式の砌