大白法

昭和38年8月20日号


主な記事

<1・2面>

<3・4面>


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第29回夏期修養会より


○御法主日達上人猊下御言葉 開会式の砌

本日は第29回修養会に当たりまして1,800余名の方が御参集なって、未だかってないところの大結集を成しとげた、誠に有難くこれ程結構な事はないと存ずるのでございます。

まったくこの暑い時に皆様がここに集まって修養会をなさる、先程教学部長のお話しの通り、誠にこの修養会は世間で言う修養会とこの趣きが違って即ち妙法蓮華経の修行である。先程教学部長の言った通り妙とは能生、能養、能生の義なり、即ち良く養うこの妙法蓮華経を修行するのである。こういう解釈をせられた、誠に適切なる解釈であると思います。この修養会に皆様が集まって大聖人様の御前に於いて修行なさる、誠に結構なことと存ずるのでございます。

世間では今はバカンスだとかあるいはレジャーを楽しむだとか言って、各各それそうとうの遊びをしております。しかしこの妙法蓮華経を信ずる我々は、そんなバカンスだとかレジャーじゃなくして人生そのものを楽しんでおるのでございます。世間ではおそらく、生まれて来たことの価値ということを知らない人が多いのであります。何の為に生まれてきたかと言うとわからない。生まれてキタから生まれて来たくらいしか考えていない。

しかし我々が今日こゝに生まれて、そして幸いにして妙法蓮華経に値い奉り戒壇の御本尊に向かって南無し奉る時にはその拝んでおるところ、又皆様の各家庭に於いて御本尊を拝むところ、あるいは毎日働いているところ、すべて常寂光の世界があるのでございます。そこに楽しみがあり、働く者の働くことの楽しみ、又休んでおる時の楽しみ、すべてもう一行一足一時すべてこれ楽しみの中にあるのでございます。それはすなわち妙法蓮華経を信ずるが故であります。

松野殿御書にも「妙覚の山に登りて四方を御覧ぜよ、常楽我浄の風がふきそよぎて」という御書があります。よくあとで御覧下さい。このようにまったく我々の人生は楽しい、そして最後に死ぬ、死、そのものも又楽しいのであり、死生共に楽しむことのできるのは只我々のこの信者、我々共々にできるだけでございます。

そのつもりでどうぞ快く楽しんで修行し、楽しんでお題目を唱え、又家へ帰っては楽しんで働いて頂きたいと思います。誠に今日はこれから3日間、暑いところ大いにひとつ楽しんで勉強していって頂きたいと思います。御苦労様でございました。



○御法主日達上人猊下御言葉 閉会式の砌

今日は、皆様が来てからすでに4日目になって、ようやくその修養会の目的を達して、ここに終りを告げる事になりまして、誠におめでたく存ずるのでごさいます。わずか三泊四日でありましても、この暑いのによく規律正しくお過ごしになって、それぞれ得る所を各々得られたとこう考えておる次第でございます。

何分にも本山は、普通の寺院或いは地方の本山と称する寺からみると、非常に何となくしまりが無い。よく地方の本山、京都あたりへ行ってごらんになっても解りますが、もうすっかり塀で取り囲まれて、この範囲がその寺の領分だという事がはっきり解ります。しかし本山はそう云う事が無いので、どこからどこまでが本山の境内であるかわかりません。よくみれば、富士山のてっぺんまで本山の境内であり、又南は太平洋迄本山の境内である様な気がするのでございます。

この取りとめの無い所に一つの範畴というものがあり、そこに知らず知らず境内というものが固ってくるのである。と同じように、この仏法はとりとめも無い無限のものであるが、しかしその無限の中に知らずゝその範畴があってそこで一つの自分の修行があり、自分がそれに依って成仏を得るという道が開かれてくるのであり、妙法は無限大である、宇宙全体は妙法である、と云うととりとめもない。しかし、妙法は我であるとなってくると、自分というものに一つ限定されてくる。我が仏になるという風にですね。そこに知らず知らず大きく、開けば非常に無限大である。縮めれば、只我々のこの一身に存するのである。これが妙法であります。

今、皆様方がこの知らず知らずの内にその妙法を体得せられて、今日お帰りになれば又どうぞこの妙法を更にかみしめて、よく又思いかえして、そして更に信心を励んで折伏に邁進し、広宣流布の大願へ進んでいって戴きたいと思います。

本山もいろゝ計画を立てまして、ここ数年の間には恐らく皆様の想像もつかない、大きなものになるのでございます。今、計画をたてている事を簡単に申しますれば、只今の黒門よりもっと南から、お御堂の裏のお華水の北の方まで、この境内が伸びていろいろ建物を建て、広々としていきたいと考えておる次第でございます。

どうかその時は皆様が手を取られて、もっと大勢が集まってこの広い、仏教徒の寺院としては世界中にないこの場所に於いて、どうぞ声高らかにお題目を唱えて、広宣流布のをのぞむと同時に又即身成仏の本懐を遂げられん事をお願いする次第でございます。永い間、ご苦労様でございました。



◇閉会式挨拶 総監・柿沼広澄御尊師

皆様方が、お元気で修養会を終って、めでたく、お帰りになる事を心から、ここにお喜びする者でございます。

御案内の通り、自民党に於いては現在の世相、特に非行少年と申しますか、悪い事をする少年が大変多い。二十歳で人を殺す事を何とも思っておらない。また倫理的にも道徳的にも、現代の社会は混乱の極に達しておる。こういう事に頭を悩ましまして、何とかしてそれ等をなくすためには宗教的な機構を拵(こしら)えなければならないと決議しまして、30億円とかの予算をとるそうでございますが、これをどうしたらよろしいかと、現在、再び頭を悩ましておるそうでございます。

まったくのところ日本人だけが天下泰平を謳歌するのか、去年まではレジャー時代と言われたのが、今度はフランス語のバカンスという言葉がはやりまして、もう遊ぶのが人間の目的であると、こういうような具合に新聞も書きたてれば雑誌も書きたてて、修養というような言葉は新聞の片隅を探さなければ殆んどわからないという時代です。海に山には出かけましても、精神の修養をする者が、数の上から申しますと、日本人の何パーセントにあたるかという時代であります。

この時に当たって、修養会が第29回を迎えて、政府から予算をもらったわけではございません。お互いが、一年中此の日のために心がけて、節約を旨として登山したのであります。三泊四日のこの修養会に、帰るとすぐ同時に反省会を拵え、来年の企画を拵え、そしてお互いが此の日の為に進んでここへ再び来て下さる、誠にこんな尊い事はないと私は思っております。

しかも政府が宗教を教育すると申しましても、正しい宗教とうものは一つしかございません。正しいという字は、一の字を書いて止まるとう字を書いて正と読みます。日蓮正宗と言うのは日蓮正宗だけが本当の正しい宗教であるが故に、日蓮正宗と名乗っておるのでございます。色々と新聞でも、御案内の通り、今後人づくりをしよう国づくりをしようと、こう申しましても、何にか定った心がけがなければ出来ません。

今後とも日達上人の御謹戒をよく心にとめて、大御本尊様をしっかりだいて、来年は30回になります。「30にして立つ」と言う言葉がございます。どうか30回の夏期修養会には講堂に溢れるよう、今年来た方は新しい人を必ず連れて来て、この本当の正しいところの教えを実行して、戒壇の大御本尊様を家族中で御護りするという決意を持たれている人を、一人でも多く増やしていただきたい。そして日々夜々に、大聖人の御言葉、日達上人の御言葉を体されて共々堅固に益々精進されて、広宣流布の礎にならん事をお願い致しまして、挨拶にかえる次第でございます。





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