大白法

昭和38年7月20日号


主な記事

<1・2面>

<3・4面>


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大石日進上人遷化される
猊下の大導師にて御本葬


磐城妙法寺第24代住職として、また永年宗門の枢機にも参与尽心された大石日進御尊能師には、4〜5年前より老衰の身を養なわれておられたが、去る6月23日午後4時、読経・唱題のもとに、世寿82歳をもって安詳として遷化なされた。直ちに馳せ参じられた早瀬庶務部長の指示を得て、種々打合せを完了し、御法主上人猊下の御都合を伺って、25日本葬と決定し諸所に通報された。

24日には・訃報に接せし教区副支院長法華寺中浜尊師をはじめ教区内の諸尊師と、諸準備諸役を差定し、午後6時より早瀬庶務部長の導師にて、また8時よりは法類を代表しで早々駈けつけられた、富士宮要行寺・八木直道尊師の導師にて、故御能化を偲びつつ御通夜の看経に入り、厳飾の祭壇芳薫のもとに、供養唱題の声が絶えなかつた。

明けて25日、御本葬に当り、永年の宗門に尽砕されし、御尊能化の累功を嘉(よみ)とせられて、畏れおくも、御法主上人猊下には、特に御導師を賜わる旨仰せ出され、柿沼総監をはじめ、阿部教学部長、吉田渉外部長、早瀬理事を随へられて御到着になる。大石日進尊能師に対して、「大乗院日進贈上人」と上人の謚号を賜るの栄誉に浴された。

全国の有縁の諸大徳も参集され、総代はじめ法華講信徒、学会より猪股支部長以下多数の学会員も列席し、午後1時より御法主上人視下の大導師のもとに厳粛かつ盛大に御本葬の儀が執り行なわれた。

大石日進贈上人は、昭和4年、妙法寺住職を拝命されて以来、佐久間尊師に後任をゆずられるまで、およそ30年の長きにわたり、当寺の信徒の化導と寺門護持発展に当られ乍ら、宗門の枢要職務に奉任される等、法臘(ほうろう)実に72の僧道の全生涯は、御僧侶の亀鑑とされている。





論苑 『組織の理解』



人に各々の特色が有る如く、仕事にも複雑な仕事から単純な仕事に至る迄差別が有ります。こつこつと与えられた仕事を真面目に成し遂げて行く事から、或る一つの仕事を始めから自分一人で終り迄仕上げて行くもの、尚、大勢で手分けして成し遂げて行く仕事等、誠に数多く有るものです。

一般の通念では、仕事と云えば物を作る事だけだと考え勝ちになるものですが、人間を作り社会を作るのも大切な仕事であります。人間及び社会を作ると云う事は、一人では出来るものではありません。当然其処には多くの人々が集まって、夫々の能力を持ち寄り十二分に協力してこそ初めて実現出来るものであります。

個人には特長の有る能力を多く持って居る人と、さしたる能力は無くとも其の人でなければ出ない持味を持って居る人がありますが、仕事全般を見渡した時、其の配分を上手に行ない、分担して仕事を遂行していくならば、個人々の力は全部生かされて其処に見事な仕事が出来上がってまいります。これが組織の原理です。

今此の原理を応用して、全体の利益を考えて、最も勝れた集団の環境を作るとするならば、此処に一つ考え落しをしてはならない大事な事があります。それは「ルール」を守る事です。此の「ルール」と云う事はスポーツの時等の「ルール」の類ではなく、生きて行く上に於いて最も厳しく守らなければならない。即ち、相手の尊厳を認め、尊ぶ事でありますが、一口に尊ぶと云えども現実は事理雑乱を許さない、侵すべからずの問題が伏在します。

世の中には自己の責任を遂行出来る人と、逆に出来ない人とがあります。又、困難なる仕事を何処迄も工夫と努力を惜しまず解決して行く人もあり、口が達者で物事を軽く考え総べてを好い加減にちょろまかして行く人もあります。此の現実の中で自他相互間に尊敬の気風を作り出して行く事が、即ち「ルール」を守ると云う事になるのです。此の事を全体の人々に留意する様要求する事は誠に大変な事でしょうが、やはり長い間かかっても実行させなければなりません。ましてや中核をなす幹部に於いては忘れてはならない重要な事であります。


組織を組む上に於いては考えなければならない点に、「目的」の明確と名分と云う事が必要になってまいります。目的とする点があいまいであったら又其の名分となるものが、ぼやけて居りますと、他日必ず迷いを起して来る者が出てまいります。人の心は夫々自由に事物を想像する事が出来ます故に此の事は一言で然もよく其の内容の義を言い表し、万人が良く認め得る事になれば誠に上々です。

次には環境を取り巻く諸般の情勢と其の分析の上に於いて「要員」の問題が出て来ますが、此の要員の問題には質と練度が大切になってまいりますが、練度の点は過去の度合いと現在及将来に亘っての練度を比較する事になりますが、此れには当然身に付けて行くものの変遷が決め手になって来るものです。質の問題は智識だけではなく思想が大きく取り上げられる事はもとよりでありますが、更に此の思想の変遷と社会構成の移行並びに人間生活の幸福等、尚、其の具体的な在り方身に完全に武装された、姿の如く付いて居る事が大事になってまいります。若し此の要員の問題が軽く扱われて行くとしたならば組織の基礎になるものはもはや何物もありません。

組織には当然、「統率と運営」と云う問題が出てまいりますが、昔から此の統帥権に就いては世間ではいろゝな議論が出て居りますが、仏法は慈悲であり猊座、即ち猊下の下に統率されるものであります。運営は分々に分掌された部分に慈悲の振舞に於いて行なわれる事はあえて論ずる迄もありません。此の様にして運営されて行く組織でも油断をすると忽ちに方向を転換したり又、機能を麻痺させてしまう恐れが発生するものです。其れ故、常に手が届かなかったり忘れている所が無い様に点検をする必要が出てまいります。そうして何時、如何なる時でも生きゝとして活発なる動きを呈している事が条件とされていなければなりません。

然しいくら生きた組織と云えども苛酷に使えば故障を起してまいります。中央と最先端の意志の疎通、其の他種々の問題が次から次へと発生して来ます。此の問題をどう処理するかと云う事になりますと、当然其処に部分的に調整出来るものは夫々の機関の役員会で取り上げ、尚又全般的な問題になりますれば総合調整を行なわれなければ解決するものではありません。

そうして常に所期の目的に向って組織は全機能を発揮して、たゆまず前進致して行くと同時に厳しく評価されていなければならない性質を持つものであります。若し此の評価に耐えられない運営は、自らの交替の時期と自覚されなければならないものでしょう。




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