大白法

平成9年11月1日号(第1部)


第一部の主な記事

<1面>
<2面>

<3面>

<4・5面>

<6・7面>

−体験発表−

<8面>
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論苑 『衆生は田の如く』 法華寺住職 高木栄顕御尊師

よそ偽物とは本物に見せかけて、人を欺くことを本性とする魔物である。悪名高い創価学会発行の『ニセ本尊』については、ニセ札の例で証明されているところである。つまり、そのニセ札が精巧であるほど偽造の罪が重いように、仏を語って衆生をだますことも、巧妙であるほどその罪が深いことはいうまでもない。昨今創価学会は、池田大作が「末法に入って以来、大聖人に続く二人目の法華経の行者になった」と学会員相手にうそぶき、いわゆる新仏宣言を行なったようだ。『ニセ本尊』の魔性がついに魔仏を作り出したのである。

道理・文証よりも現証にはすぎず

との日蓮大聖人の仰せの通り、宗門僧俗一致の唱題行の功徳によって、あぶりだされた第六天の魔王は、釈尊に敵対した提婆達多の再来のごとく、いよいよその正体を現じ喘(あえ)ぎ出したのである。『曽谷殿御返事』には、

法華経は種の如く、仏は植へ手の如く、衆生は田の如くなり。もしこの義を違へさせ給はば、日蓮も後生は助け申すまじく候。

と仰せられ、衆生は田としての持ち場を離れてはならないことを厳命されている。日蓮大聖人は御入滅に臨み、法器を選んで日興上人をもって、唯授一人の仏法の血脈を相承された。連綿たる血脈付法は現67世日顕上人猊下に及んでいる。この血脈を遡れば建長5年(1253)4月28日の宗旨建立の古(いにしえ)に帰り、未来を望めば事の広宣流布に至るのである。この厳然たる血脈法水と戒壇の大御本尊の御威光のもとに、大聖人の大慈大悲が と流れ通うのであり、それが道理・文証・現証の赴くところでなくてはならない。


田創価学会は宗門の教導に一切耳を傾けようとせず、逆におよそ人間として考えつく限りの悪口非謗を猊下に浴びせ、唯授一人の大聖人以来の血脈を蔑(さげす)み、自ら大聖人直結と称して、衆生の『田』という持ち場を放棄し、大聖人の厳命を無視して『植へ手』である大聖人の持ち場に忍び込んだのである。

迷忘の徒輩にすぎない池田大作や本部職員等が、勝手に御本仏の持ち場に回って作り出した『ニセ本尊』や、洪水のような邪義邪見の正当化の為に、創価学会の教祖として君臨する池田大作本人を、大聖人と肩を並べる存在に仕立て上げる必要が生じたのである。つまり、『植へ手』の仏を魔仏に取り替え、『法華経』の成仏の種を悪道の種にすり替えたのである。このような増上慢の徒輩に対しては、大聖人も

日蓮も後生は助け申すまじく候

と、地獄・餓鬼・畜生の悪趣に堕ちることが避けられないことを嘆かれるのである。故に私たちは、これら地獄への道連れにされる哀れな創価学会員に対して、何としても再折伏の慈悲の手を差し延べ、一人でも多く救い出すことが急務なのである。何となれば、魔は『破壊』とも『能奪命者』とも訳されるように、これに従えば人を狂わし、国家を狂わす。故に大聖人は、

日蓮を用ひぬるとも、悪しく敬はば国滅ぶべし

と仰せられるからである。


たこの『持ち場』ということを、一般世間の中で各人が置かれている立場に置き換えるならば、一層明瞭である。例えば家庭で社会であれ、また講中であれ、各人が自分の置かれた『持ち場』を確実にこなすことにより秩序が保たれ、健全な家庭・健全な社会・健全な講中が構築されるのである。逆に『持ち場』が混乱すれば、家庭崩壊・社会不安・講中停滞の引きがねになることは当然であろう。

私たち日蓮正宗の僧俗として、大聖人の定められた『持ち場』を踏み外すことなく、総本山大石寺を中心として御法主上人猊下の御指南を体して、平成14年の立宗750年の大慶事に向かって前進するのみである。

宗門700年の大功徳は、血脈付法の御歴代上人を先頭に、実に無量の僧俗一同による忍難弘教の尊い結晶なのである。その功徳の上に立ってこそ、はじめて今日及び未来へと続く我が日蓮正宗が存するのである。広宣流布の大功徳聚を積み上げるため、私たち平成の僧俗は、この時代に果たさなければならない使命を自覚し、推進していくことが『時』に適った信心であることを肝に銘じ、なお一層の精進を重ねて行きたい。



−日蓮正宗改革同盟について−

最近『日蓮正宗改革同盟』とか『青年僧侶改革同盟』と名乗る団体から、法華講員に対して葉書や冊子(『富士の清流』)・新聞(『改革時報』)等が送付されているようです。「宗門の発展を願い・・・」などと、一見して日蓮正宗内部の文章のように読めますが、実はこの元僧侶等は総本山の修行に耐え切れずに逃げ出した集団で、道念の欠片もないような者どもの集まりであり、池田創価学会に汲みしてお先棒を担いでいるというのが実体です。

この中心者工藤なるものは、かつて「池田先生に袈裟・衣を着せれば大聖人と同じ」などと発言して日達貎下の宸襟を悩ませ奉った人物であり、今では学会幹部の言いなりになって法華講員宅を訪問しては脱講運動などと称しています。

元学会青年部員(のち得度)などから構成される彼らが、総本山から離脱した今崇めているのは当然のことながら池田大作であり、最早日蓮正宗・大石寺とはなんら関係ない者どもであって、未だに日蓮正宗を僭称していますが、実際は師敵対の大謗法団体でありますから、法華講員各位にはお間違えのないよう願います。




体験発表 須田三奈子 『唱題・折伏・育成に充実の日々』

みなさん、こんにちは。私たちの講中は、御住職・村上節道御尊師のもと、御法主上人猊下より、「早く、1000世帯になっていきなさい」との御指南を賜り、一日も早い達成を目指して、僧俗一致の進行で精進してまいりました。そして8月19日、遂に1000世帯を達成することができました。現在は、新たなる御指南を戴き、平成14年までに2000世帯になることを目指して、御住職と共に進んでおります。

私は、入信して今月で十ヶ月になります。これまでに、五世帯の折伏・再折伏をさせていただいた体験を発表いたします。私は、家を出て8年間の独り暮らしをしておりましたが、お付き合いしていた方とのことで様々な問題を抱えておりました。このままではいけないと、宣行寺の近くにあるアパートに引っ越してまいり、その二ヶ月後の11月末に、姉の折伏により入信しました。姉も入信して日が浅く、どんな信心なのか判らないまま、姉と共にお寺に参詣し、講頭さんにお会いしました。その時、大聖人様の教えを筋道立てて話して下さり、「御本尊様に向かって題目を唱えない限り、今の状況から抜けることはできない。みんな幸せになるために生きているんだ」と話してくださいました。「生きがいは、何ですか」と聞かれ、何も答えることのできなかった私は、人一倍幸せを求めていても、どうにもならないこの時に、本当に幸せになれるのだろうかと思いもしましたが、姉を信じて入信しようと決意しました。その日のうちに御本尊様を御下附いただき、御安置することができました。

それからは毎日、姉と共に朝夕の勤行を続けました。本当にこれでいいのだろうかという不安の中、姉や講頭さんをはじめ、講中の人たちの励ましにより、何とか続けることができました。そして気がつくと、入信当時の悩みはすべて解決され、何よりも、この御題目を唱えていくと、活力が湧いてくるのです。感情をなかなかコントロールできず、人に当たったり、落ち込んだりと、悩みの多い生活から、自分自身を見つめ直すことができ、毎日楽しく過ごせるようになりました。唱題も楽しく、大聖人様の信心を、人に話さずにはいられなくなってまいりました。年明けの1月は、友人に会う機会も多く、会う人会う人に下種をしていきました。数人の友人が来寺し、講頭さんより折伏していただきましたが、成就しませんでした。成就できなくても、あまり気にならず、人に話すことが嬉しく、また、友人の姿が以前の自分の姿であると感じたとき、この信心に励める喜びとなり、さらに唱題の時間も増えていきました。3月になり、講頭さんの個人指導がありました。私は唱題は50分であることを話すと「御法主様の御指南は一時間だよ。明日から、朝一時間の唱題をしていきなさい。自分は仏様の大慈悲を戴いて生活していることを忘れず、自分の力では出来ない折伏を、唱題の中で祈り、願っていくように」と励ましてくださいました。私は御報恩の折伏をさせていただきたいと、強く感じました。

そのような中、講中は1000世帯に向かって、ものすごい勢いで進んでおりました。姉も折伏を成就でき、私は班員さんの折伏を祈る中、一分でも仏様の役に立たせていただきたいとの思いで、唱題を続けてまいりました。そのんある日、高校で同級生だった木川さんから連絡がありました。彼女もまた、多くの悩みを持っており、さっそく会う約束をしました。我が家に見えた木川さんは、御本尊を見ると「学会なの?」と尋ねてきました。「実は、17年前に、学会員だった友人に名前を貸してほしいと言われ、知らない間に御本尊を手渡され、どうしていいのか判らないまま、今に至っている」とのこと。そして、昨年結婚をしたものの、体調もすぐれず、毎日家に閉じ籠もった生活をしていることを話してくれました。私は、一日も早く脱会して、正しい信仰をしていこうと話しましたが、学会員である自覚がなく、信心はしたくないと言う有様でした。これ以上の折伏はできないと諦めかけている時、講中の方が我が家に見えて、彼女に「今のあなたの姿が法華誹謗である」と、謗法の恐ろしさを話してくれました。素晴らしい御本尊様に縁していながら、謗法の限りを尽くし、塗炭の苦しみに喘いでいる友人の姿を目の当たりにし、この時、何とか救っていただきたいと強く思うことができました。木川さんはその日に来寺され、無事に脱会し、勧誡式を受けることができたのです。講頭さんより、正しい信仰をする功徳は莫大であり、御本尊様に題目を唱える生活が最高であるとのお話がありました。「一日も早く御本尊様を御安置したい」と言い、明るくなった木川さんを見ると、本当に嬉しくなりました。

しかし、ほっとしてしまった私自身は元の生活に戻り、自分の心に蓋をし、御題目を唱えても心には響かなくなりました。気持ちはあるものの、何も進まない状態となりました。折伏にノルマがあるようにさえ感じられ、何もしないうちから結果を考え、折伏は私にはできないと諦め、宿業のままの生活となりました。その状態を見すかすかのように「最近元気がないね。折伏していないからだよ」と講頭さんから声をかけられ、「縁を探しています」と答えました。すると、「それは、大聖人様の信心ではない。考えていると言って、行動しないのが一番ずるい。どこで終わるか、本物になるかのどちらかしかない」と厳しく指導してくださいました。そうはなりたくないと思ったものの、仕事ではミスが続き、肋間神経痛になって背中の痛みからくる高熱で、一晩眠れない夜を過ごしました。身口意が伴ってないための罰だと思いました。

それからちょうど夏休みとなり、五日間・一日3時間の唱題と、必ず折伏することを固く決意しました。夏休みも最後の日、偶然に、近所に住む同級生の平尾さんと、久しぶりに再会しました。彼女の口から出る言葉は、信心する前の私であると感じました。気がついたら私は、自分が日蓮正宗の信心をしていること、仏様に守られて生活していることが、いかに楽しく安心した生活であるかを話していました。以前は、折伏が成就するかどうか、育成がうなくいくかどうか、あれこれ悩んだり、落ち込んだりもしましたが、ただただ仏様のお使いをさせていただきたいという強い思いが湧いてきました。平尾さんは、その日のうちに来寺され、講頭さんより「真面目に正直に生活しているが、その分、報われていない。御本尊様に智慧をいただいて生活していきなさい」と言われて入信を決意しました。そして御本尊様を御下附戴き、御安置することができました。

朝、共にお寺に参詣し、出社するという毎日の中で、私自身が育成されているということに気付かされました。なかなか育成が進まず、なぜ、どうしてという思いと、どうやったら育成できるのかをあれこれ悩んでいたことが、愚かであり、自分の小さな考えで育成に当たっていたことが判りました。今、共に勤行・唱題をし、共に広布のお役に立てさせていただくことによって、育成もさせていただけるのです。そして、改めて自分の生活を見た時、朝夕の勤行と一日一時間以上の唱題が当たり前となり、折伏・育成に取り組んでいる毎日が、楽しく、充実しております。御住職様よりは、「何事をするにも心掛け一つであり、心掛けの悪い人は、すぐ休みたくなる。目標を掲げ、何が何でもやっていかなければいけない」と御指導をいただいております。

大聖人様は、『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらけきる功徳あり。無限地獄の道をふさぎぬ』(御書1036頁)とご教示であります。無限地獄にひた走り続けている学会員、まだ大聖人様の信心を知らない、縁ある人に対して、御法主上人様の御指南、御住職様の御指導のとおり、正しい信仰に導くことこそ、私の使命であると実感しております。平成十四年まであと五年。三十万総登山を見すえて、力の限り精進していくことを誓い、私の体験発表とさせていただきます。ありがとうございました。


やさしい教学 『良医病子の譬』

昔むかし、あるところに、どんな病でも治してしまうという、非常に腕の良い医者がいました。そして、この医者には、たくさんの子供がいたのです。

あるとき、医者は用事で遠くの国に出かけました。その留守の間に、子供たちは、薬がたくさんある棚から、おもしろ半分に、毒薬を飲み込んでしまったのです。それはたいへんな毒で、子供たちは悶(もだえ)え苦しんで、地面にのた打ち回り、苦しみのあまり本心を失っている子供もあれば、あまり毒に犯されずに気が確かな子供もいました。

そこへ、医者の父が戻ってきたのです。その様子を見た父は、大変に驚くと共に、何と愚かな子供たちであろうかと、深く悲しみました。

子供たちは、父が帰って来たのを知ると、喜んで父に、「よく無事にお帰りになりました。私たちはたいへん愚かで、お父さんが留守の間に、誤って毒薬を飲み込んでしまいました。どうか治療をして、命をお救いください」と、助けを乞うのでした。

父は、急いで子供たちの病を癒(いや)そうと、好い薬草ばかりを集めて、突いたり砕いたり、篩(ふる)ったり混ぜ合わせたりして、ついに色も香りも味わいも好い、最高の薬を作り上げたのです。

そこで、父は子供たちに、「この薬は、色も香りも味わいも最高であり、どんなに重い病でも治してしまう効き目があるから、今すぐにこれを飲みなさい。そうすれば、たちまちのうちに、お前たちの病は癒(い)えるであろう。だからもう、何も心配することはないぞ」と言って、その良薬を与えました。

子供たちの中でも、心がそれほど乱れておらず、まだ本心を失っていなかった子は、父の言葉を信じ、さっそくその薬を飲みました。すると、たちまち病は癒えていきました。ところが、毒が深く入り込んで、本心を失ってしまった子は、父が帰って来たのを喜び、助けを求めていたのにもかかわらず、父の調合した薬そのものを疑ってしまい、飲もうとはしなかったのです。

そこで、父は考えたあげく、一つの方便(ほうべん)を思いつきました。父は、「私は、既に年老いて、身も心も衰え、間もなく死ぬであろう。だから、この最高の薬を、今ここに留めて置くから、私の言葉を信じて飲みなさい。飲めば必ず病は治る。だから、疑ってはならないぞ」と子共たちに言い聞かせると、再び遠い他国へと旅立ちました。

するとある日、父の使いの者が子供たちのところへやってきました。そして、その使いの者は、子供たちに、「あなた方の父上は、既に他国でお亡くなりになられました」と言いました。

この知らせを聞いた子供たちは、深く悲しみに沈みました。そして、「もし、お父さんが生きていてくれたならば、私たちのことを慈悲深く哀れんで、よく護ってくださったのに。しかし、今は私たちから遠く離れた他国で亡くなられてしまった。私たちは、頼る方もいない孤児になってしまったんだ」と落胆したのでした。

それからというもの、子供たちは来る日も来る日も悲しみに閉ざされ、父の言葉を信じなかったことを後悔しました。そして、その中でついに本心に醒(さ)め、父の残した良薬の色も香りも味わいも好いことに気づくと、その良薬を口に含んだのです。すると、みるみる元気なもとの体に戻っていってのでした。

その様子を、他国で聞いていた父は、子どもたちが皆元気になったことを知ると、子供たちのいる我が家に帰ってきたのでした。そして子供たちは、再び父が自分たちのもとへ、戻ってくれたことを、大いに喜びました。



◇ ◇ ◇

このお話は、法華経の『如来寿量品第十六』の中に説かれています。この譬を、末法の今日、私たちの身に当てて拝するならば、非常に腕の良い医者とは、末法の御本仏たる日蓮大聖人様のことであり、たくさんの子供たちとは、末法の一切衆生のことなのです。

つまり、子供たちが誤って毒薬を飲んでしまったということは、日本国の一切衆生が、法華経以前の低い教えに執着する謗法の僧侶たちの、誤った教えを信じ込んでしまい、災難の苦海に喘(あえ)ぐ姿を指すのです。

そして、この時に、父の医者が戻ってきたということは、貞応元年2月16日に、末法の御本仏たる日蓮大聖人様が日本国に御出現あそばされたということです。

さらに、子供たちが父の帰りを知って喜んだというのは、苦しみに喘ぐ衆生の心中に眠っていた仏性が眼を醒まして、歓喜したということです。ところが、毒気が深く入った衆生が多いために、自らの仏性を喜びを覚(さと)る者はいなかったのです。

そこで父が、直ちに子供たちの病を癒そうと薬を調合し、良薬を飲むよう勧めたということは、大聖人様が無量の教法の中から、最も勝れた法華経という薬草より妙法蓮華経の大良薬をお説きになられ、衆生の謗法による三毒の病を治すべく折伏・弘通あそばされたということです。

本心を失わずに父の言うとおりに良薬を飲んで病が治ったという子供というのは、大聖人様の教えを信じて弟子檀那となり、正法を護持して即身成仏を遂げた順縁の衆生をいい、逆に本心を失って父の言葉を信じることができずに良薬を飲まなかった子供というのは、謗法の毒気によって大聖人様の教えを信ずることができず、かえって大聖人様を怨嫉して、誹謗・中傷して地獄に堕ちていった逆縁の衆生を指すのです。

そこで父が再び旅に出た後、旅先から使いの者に自分が亡くなったと、子供たちに告げさせたということとは、大聖人様が衆生に恋慕の心を起こさしめるために、弘安5年10月13日、武州池上の宗仲館で御入滅あそばされ、滅不滅の相をお示しになってということです。

そして父が、子供たちが本心を取り戻して良薬を飲み、もとのように元気になったのを知って、子供たちに再会したというのは、大聖人様が常住不滅の御尊体たる本門戒壇の大御本尊を未来広布のために御図顕あそばされ、この大御本尊様を信じ奉る者に対して、三世常住の御利益を垂(た)れ給ふことを指すのです。

大聖人様は、『聖愚問答抄』に、「仏を良医と号し、法を良薬に譬へ、衆生を病人に譬ふ。されば、如来一代の教法を撞篩和合して妙法一粒の良薬に丸せり。豈、知るも知らざるも服せん者、煩悩の病ひ癒えざるべしや」(御書408頁)と仰せのように、貧・瞋・癡の三毒による煩悩の病に苦しむ末法の一切衆生を救うべく、妙法の大良薬たる本門戒壇の大御本尊様を、今日、総本山大石寺に留め在かれたのです。

そして、この大法を受持するならば、どんなに深く毒気が入った者であっても、必ず苦しみから救われ、やがて即身成仏の大果報を得ることが叶うのです。ですから、私たちはこの御本仏日蓮大聖人様の御金言を決して疑うことなく、信の一字をもって自行化他にわたる信心修行に精進していくことが大切なのです。

本年は、宗旨建立750年の大佳節の年であり、宗門未曾有の法華講30万総登山が行われる千歳一遇の時です。私たち法華講員は、今この時にこそ、謗法の病に苦しむ世間の人々を一人でも多く救うべく、折伏・育成に励み、一人でも多くの眷属を連れて30万総登山に参加して参ろうではありませんか。




御書解説 『星名五郎太郎殿御返事』(御書363ページ)

一、御述作の由来

本抄は、文永4年(1267)12月5日、大聖人様が46歳の御時に認(したた)められた御書で御真蹟は現存しません。

<対告衆>

星名五郎太郎の名は、他の御書には示されておらず、上総の国に住み、佐久間兵庫亮の家臣であったと伝えられていますが、詳しいことは判っていません。

<背景>

文永元年(1264)11月11日に、小松原の法難が起こり、大聖人様は左の手を打ち折られ、右の額(ひたい)には癒(い)えた後も四寸もの痕(あと)が残る傷を負われました。翌文永2年(1265)3月8日には南条兵衛七郎殿が亡くなられています。そして文永4年(1267)8月15日には、大聖人様の御母君である梅菊女が亡くなられました。御母君の百箇日忌が過ぎて間もない12月5日に本抄は認められています。なお、翌年の1月18日には、大聖人様の『立正安国論』の御予言が適中して、蒙古の牒状が鎌倉に到着し、日本国中が騒然となるという状況にありました。


二、本抄の大意

はじめに仏教の伝来について略説されます。インドに発祥した仏教は、漢の明帝の時に中国に伝来し、玄宗皇帝の代に至るまでに流布し、我が国へは欽明天皇の世に初めて仏教が伝えられ、以来、一切の経論・諸宗が国内に満ちているとされます。しかし仏教には大小・権実等の違いや、前後の段階などの正邪の判断基準があり、これに迷うと仏教を学びながら、かえって大重罪を作ることになるから、仏道を志す人は必ずこれらの筋道を知らなければならないと示されます。

次に、邪正を明らかにするには、凡眼・凡智ではなく経文と仏智等によって仏勅を重んじるべきであり、天台大師、伝教大師も経文によって『法華経』が中心であることを定められたと述べられます。しかし、当時の僧俗は皆この判断基準に依らないために、念仏や真言等の権教・邪義を尊信して、大乗妙典である『法華経』を謗(そし)り捨てているから地獄に堕ちるのであると説かれます。

そして念仏・真言は、法は権教・邪義であり、人は邪見・謗法であるとされ、特に真言宗に対してその邪義を破折されます。

 一には、真言が最極の秘密ということは、真言三部経のなかでは『蘇悉(そしっじ)経』を王とするとの意味であって、一切経のなかで第一とするものではないこと。

 二には、『法華経』との勝劣をいえば、『法華経』には二乗成仏、女人成仏、悪人成仏が説かれているが、真言の経典には全くないこと。また『法華経』に説かれる六瑞、宝塔出現、地涌千界涌出等の瑞相に、真言の経典が勝れることはないこと。

 三には、竜樹菩薩の『菩堤心論』には「真言のみに即身成仏が説かれており、諸経には欠けて書かれていない」としているが、『法華経』に即身成仏が説かれる以上、真言だけに説かれるとすることは誤りであること。さらにこのことは同一人物が書いた『大智度論』と内容が矛盾しており、『菩提心論』は竜樹菩薩の作ではなく、たとえ竜樹菩薩の作であったとしても誤りであること。

 四には、弘法大師が『法華経』は真言に比べれば第三であって戯論(けろん)であるとの暴言を吐いているが、これは『法華経』の「已今当説最為第一」の文に背(そむ)き、さらに『薬王品』の「十喩(じゅうゆ)」によれば、『法華経』は一切経中の第一であって、弘法の説は『大日経』等にまったく根拠のない我見であり、仏智に背くものであるということ。

 五には、『法華経』が『華厳経』に劣るということは、認識眼が欠けていること。等を示されて、真言宗の立義は『法華経』を誹謗するものであることを明かし、無間大城に堕ちるものであると説かれます。さらに、善導・法然等の念仏もこれに例するに、やはり阿鼻の炎に焼かれるのであるとされます。

これらの邪師は通力による一分のしるしを奇特とするのですが、通力をもって法が勝れるとするのであれば、月氏の外道に過ぎるものはないとされ、仏法の道理に依らないわずかな現証などを信じてはならないことを説かれます。

そして、結論的に『涅槃経』の文を挙げ、このような、念仏・真言等の悪知識に近づけば、浄身および浄心を破られて三悪道に堕ちてしまうから、近づかぬよう用心すべきであると決せられます。

最後に、この御書が帰りを急ぐ使者を待たせて認めたために、充分な内容でないことを断られて、またの機会に詳しく申し上げたいと仰せられています。また、大聖人様の命に別状がなけれは、明年下向したいと述べられ、本抄を終わられています。


三、拝読のポイント

本抄では、特に真言の邪義を破折されております。その破折の判断基準は、「但し委しく尋ね見れば、仏法に於て大小・権実・前後のおもむきあり」等と仰せのように、仏教には勝劣・浅深等の筋道があるため凡眼・凡智に依るのではなく、必ず経文に示された仏智・仏勅に依らなければならない、ということです。

そもそも八万法蔵ともいわれる膨大な一代仏教は皆釈尊の説教ですが、その化導の次第と教理の内容には一貫した筋道があります。天台大師は、これを五時八教として分類されたのです。すなわち、華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華・涅槃時の五時であり、真言宗や念仏宗が依りどころとする経典は、このなかの方等時に位置する方便の権大乗の教えなのです。このような、釈尊の化導の全体観を弁(わきま)えないで、時も機根も外れた方等時の経典をもって末法の衆生を救おうとしても、悉(ことごと)く釈尊の真意に外れることになります。ここをもって邪義・邪見・謗法といいます。

しかるに、念仏・真言等の邪師は、自宗所依の経に執着を起こすため、これを正統化しようとしてさまざまな粉飾(ふんしょく)を施します。本抄における大聖人様の破折は、このような真言の粉飾を暴(あば)き、破折されたのです。

次に、悪知識に対する心構えです。本抄の最後には、『涅槃経』の、「悪象等に於ては畏るゝ心なかれ、悪知識に於ては畏るゝ心をなせ。(中略)悪象の為にころされては三悪に至らず、悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る」等の文に当てて、弘法・善導等をはじめ邪智謗法の悪知識に近づかぬよう用心すべきであると仰せです。

悪知識は、さまざまな手練手管(てれんてくだ)をもって、正法正義に信順する私たちの浄身・浄心を破り、悪道へと堕としめます。現在、その最たるものが創価学会であり、多くの人々を正法正義から退転させようと躍起になっています。私たち法華講員は、よくこれを見抜くとともに、池田創価学会という悪知識によって苦しんでいる多くの人々を再折伏によって正法へと導いていくことが肝要です。


四、結び

所詮、邪義・邪宗が自宗に執着を起こせば、ウソで誤魔化(ごまか)す以外に生き延びる術(すべ)はないのです。現在の創価学会の姿も、哀れなほどにまったく同じです。現在、創価学会は発行部数五百万部と言われる『聖教新聞』と、数十万部と言れれる『創価新報』という、真っ赤なウソで塗り固めた武器を使って、世界中の人々を騙し続けています。まさに悪知識の最たるものと言えましょう。

私たちは、それらの御法主上人猊下と宗門に対する悪口、誹謗、中傷を断固破折しつつ、慈悲と確信をもって多くの創価学会員を救っていこうではありませんか。


※この原稿は修徳院支部の川人さんの御協力で掲載いたしました。




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