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御法主上人猊下御言葉 法宣寺本堂落慶法要の砌(抜粋)
本日は、当艮弘山法宣寺本堂新築落慶法要を奉修するに当たり、お招きを受けて参上いたしました。しかるところ、有縁の信徒御一同には多数参詣せられて、この慶祝法要がまことに盛大に執り行われまして、仏祖三宝様にも心から御高覧遊ばされることと存ずる次第であります。皆様、本日は大変おめでとうございます。当寺の檀信徒の方々はよくご存知と思いますが、この艮弘山法宣寺の濫觴は、明治26・7年に尾張講中からの開拓者の方々が志を立てられ、種々の努力によって明治29年に、一番最初の鷹栖教会という教会所が建てられたことに始ると聞いております。その少し前に、函館に函館教会所が建てられましたので、この鷹栖教会は北海道の中では2番目に建てられた教会であります。
しかしながらその9年ほど後に、総本山第56世日応上人の御親教等に因縁して、この鷹栖教会が艮弘山法宣寺として、山号・寺号を頂き、また北海道庁から許可を得て寺院として出発することになったのであります。まだこの時点では函館教会も寺院となっておりませんでしたので、北海道の中で初めての日蓮正宗寺院として、北海道における正法興隆のもとになったのであります。
当時の開拓者の方々は寺院建設のために、この土地に生い茂っていた3メートルにも及ぶような熊笹の中を分けて開墾されました。そのような中における衣食住はまことに乏しいものであり、特に初期のころの建物は、ほとんど掘っ建て小屋同然の姿であったと聞いております。その中で、僅か20世帯ぐらいの方々が、自分たちの住む所よりも、まず日蓮正宗の寺院を造りたいという志に燃え、その志を同じくしてこられたと聞いております。この志をもって正法興隆のために奮闘せられたということは、日蓮正宗の弘教史の中に本当に特筆すべき尊いことと思うのであります。
このような因縁の上から寺院が出来ましたが、当寺が日応上人から『艮弘山(こんぐさん)』という山号を付けられた所以は、そこに存すると思います。艮弘山の『艮(うしとら)』とは、東北という意味があります。東北とは、すなわち総本山大石寺からその方向に位置し、そして『弘(ひろむ)』とは、北海道の広布における第一番の寺として出発するという意義が込められておるのであります。しかも、
仏法の住処は鬼門の方に三国ともに立つなりという御指南もあり、仏法において丑寅の方角は、仏法の護持・伝承に関わりのある非常に意義の深い方角であります。そこに初めて寺院が出来たというところに、『艮弘山』という山号が示されたというふうに考えられるのであります。
そして、この日蓮大聖人様の正法を持ち、広宣流布に向かって前進するというところに、 寺院号としての『法宣寺』という名前が付けられたということは、日応上人のお心が、また歴代上人さらに元の宗祖大聖人・日興上人のお心が、この法宣寺をもととして、北海道の広布を達成するという意味の御期待の心をもって、このような山号・寺号がつけられたというふうに感ぜられるのでございます。 (以下省略)
『集おう十万、法華講衆』 法華講連合会青年部長 井出国弘
今を去ること780年前、熱原法難を機として御図顕あそばされた、日蓮大聖人様出世の本懐たる一閻浮提総与・本門戒壇の大御本尊の脇書には、「願主 弥四郎国重 法華講衆敬白」と認(したた)められております。『法華講』とは、大聖人様が直々に命名された尊い名称であります。法華講の組織は古くから各寺院にあり、末寺ごとに信心活動に励んでいましたが、全国がまとまった活動はありませんでした。そこで、御先師日達上人真の広宣流布を目指し、全国レベル・世界レベルでの活動が出来るようにと、昭和37年法華講連合会を結成されました。法華講連合会は各地方毎に地方部を組織し、現在は25地方部あり、地方部長を軸に活動を行っています。さらに地方部は法華講連合会理事となり、御法主上人猊下より任命された法華講連合会委員長と共に全国的に実践5項目の信心活動を進め、広宣流布の大願成就に寄与しています。
御法主日顕上人猊下は、平成8年唱題行(1/4)の砌、
戦後、法華講連合会という組織が出来まして、色々な時期がありましたけれども、総本山を外護し、特に各寺院におけるそれぞれの法華講と連絡を密にし、また種々の必要なことをお互い知らせながら啓発しあっていくというところの組織として、今日まで発展してまいりました。この連合会の在り方こそ、これからの宗門の広布の道を顕していくところの重大な組織であると存ずるものであります。さらに同年1月6日の末寺住職、寺族初登山の砌、
この機会に申し上げておきたいのは、法華講連合会の存在であります。以前にも申しましたが、『縦糸』と『横糸』があって初めて織物が出来るように、広布の発展、信徒の育成においてもこれは不可欠であります。・・・この『横糸』としての連合会の在り方、そして『縦糸』としての宗務院・宗務支院・各末寺の指導教師の立場というところが相まって、初めて広布の進展も存すると思うのであります。と御指南されております。御法主上人猊下は、「平成10年には真の地涌の同志が立ち上がる」旨の御指南を下されましたが、いよいよ平成10年3月から4月にかけて行われる客殿落慶記念十万法要登山にむかって、今全国の地方部では青年が立ち上がり始めました。
福島地方部青年部大会
は、各支部青年部長が中心となり徹底した家庭訪問を行い、 かつてない結集をはたしました。これに触発されて、東北第二地方部青年部大会も、家庭訪問の結果、今まで見たこともない多くの青年たちが大会に出席され、最初の目標の2倍近くの結集をもって行われ、これまた力強く明年へ向かって出発しました。その波動は、今全国の青年部に影響しはじめました。これらの大会を通して感ずることは、各支部・地方部そして連合会が一つになり、御法主上人猊下の御指南の通りに、また各指導教師のご指導を受けきった時に大きく前進出来るという、尊い異体同心の信行の姿であります。
法華講には、700年前から信心の根本の根が厳然と存在し、いよいよその根から芽が出て、若木と成長する『時』が来たことを私は強く感じます。また幾つかの地方部において指導教師の御指導の下、支部での信行に励んでいる青年が中心となって、総本山に集い合おうとの声が上がりはじめました。この自主的な声全国レベルの輪と拡がり、登山会に集いはじめ、本年2月度には700余名の青年が、そして9月度には全体1300名のうち約900名の青年が登山に参加し、同年代の青年の素晴らしい体験発表がありました。